新天文対話…昭和30年代の天文教育のすがた(3)2012年06月18日 21時41分56秒

先生の星ごころが爆発すると、自作教具がとめどもなく量産されて、それだけで独立したコーナーが作られる場合もありました。


↑は滋賀県のある小学校に作られた「子ども天文科学館」の入口。
内部の様子が気になりますが、残念ながら不明です。でも、なんとなく昨日のミニプラネタリウム(天体投影器)が設置されていそうな予感。

下は小学校ではなくて、京都市教委が設置した科学教室の光景です。


月旅行の想像画や、日食観測表、大型の電飾星図など、もう何でもありです。もはや何を伝えたいのか、よく分からないぐらいですが、情熱だけはたっぷり伝わります。

それに、『手引』によれば、これはこれで良いらしく、とにかく子どもたちの興味を引きつければ、それで良いのだとする傾向も見られました。

 「天体教材の指導は困難であり、特に常置した科学室が必要である。空室を利用したり、廊下のすみ、階段の踊り場を改造して、天体に関するサイエンス・コーナーをつくり、天体に関する資料観測用具を集めて展示したりして、いつでも学習に利用できるようにしておくとよい。
 天文科学室には星座板を窓や、壁間や天井にとりつけたり、月の観察板、自作模型をとりつけ、スイッチなどの点滅装置をつけておくと印象的で子どもの興味を高めるのにも役立つ。」 
(『手引』p.98)


↑は兵庫県の小学校の一室ですが、どうも、当時はこういう光景があちこちで見られたようです。PCとプロジェクター一つで、どんなリアルな映像でも簡単に見せられる現代からすると、これはちょっと想像しにくい情熱かもしれません。ともあれ、先生たちの奮闘ぶりがよく分かります。

   ★

先生ばかりでなく、生徒も手作りに燃えていました。


神戸市の小学生理科作品展に出品された天球儀。
金属でかご状の天球を作り、表面に星座を取り付けてあります。市販品にも似たものがあったので、それを参考にしたのかもしれません。まあアイデアはともかく、手先の器用さに関しては、昔日の小学生の方がやはり長けていた気がします。

(この項つづく)

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