新島襄とアマーストの話2016年04月30日 09時52分15秒

昨日、アマースト・カレッジの名前が出たので、そこから話題を続けます。
アマーストには古い天文台があって、「ワイルダー天文台」という固有名を持っています。

(1900年代初頭の石版絵葉書。当時はドイツが絵葉書の本場で、これもアメリカ向けにドイツで作られたもの)

といっても、天文台が完成したのは1903年ですから、新島襄が留学していた1870年頃には影も形もなかったのですが、この天文台の主力機材が、アルヴァン・クラーク製46センチ屈折だと聞いて大いに驚きました(現存)。

(大ドーム拡大)

この巨大な望遠鏡は、現在一般にも開放されており、週末観望会に参加すれば、誰でも覗くことができるそうです。

ワイルダー天文台 公式サイト
 https://www.amherst.edu/museums/wilder

アマースト・カレッジは、名門大学とは言っても、いわゆるリベラルアーツ・カレッジ(教養学部大学)ですから、プロの天文学者を養成しているわけではありません。それは新島が留学していた頃も同様ですが、その教育プログラムにおいて、科学教育にも十全の配慮をしていたことは、上の一事から明らかです。

   ★

アマーストが現在開設している専攻分野には、「物理・天文部門」があり、その淵源は1821年にさかのぼります。

アマースト・カレッジ「物理・天文部門」公式サイト
 https://www.amherst.edu/academiclife/departments/physics

おそらく、新島も留学中にその関連講義を聴く機会があったと想像します。
当時の物理部門で教鞭をとっていたのは、Ebenezer Strong Snell(1801-1876)という老先生(教授在職は、1834-1876)。スネル先生は、主に自然哲学(=物理科学)と数学を教えており、学生向けに天文学入門書なども編纂していましたが、専門の天文学者とは言い難い人物です。

(Ebenezer Strong Snell, 1801-1876。スネル先生の伝も含めて出典は以下。
 http://www3.amherst.edu/~rjyanco94/genealogy/acbiorecord/1822.html#snell-es

1870年前後、天文学の主流は、既に「New Astronomy」、すなわち分光学や写真術を応用した天体物理学の時代へと移りつつありましたが、アマーストでは19世紀前半と変わらぬ内容が、ノンビリ教えられていたのかなあ…と想像します。(新島はアマーストに入学する前から、航海天文学に接していたようですが、そちらはもとより天体物理学の興隆とは無縁でした。)

   ★

上の想像にはウラがあって、新島が留学時代に使った天文学の教科書が、現在も同志社大学に保存されています。欄外余白に「1868年8月27日」の書き込みがあり、彼が修学2年目を前に手にした本です。
http://joseph.doshisha.ac.jp/ihinko/html/n01/n01010/N0101001G.html から「天文」で検索)。

画像サイズが小さくて読みにくいのですが、Denison Olmsted(1791-1859)が著した『An Introduction to Astronomy:Designed As a Text-Book for the Use of Students in College』という本で、おそらくその第3版(1866)でしょう。
そして、この故オームステッド先生の古風な教科書を改訂したのが、他ならぬ老スネル先生ですから、要するにこの本は、スネル先生の授業における「指定教科書」だったんじゃないでしょうか。

…というところからも、新島が身近に感じた天文学の匂いや肌触りは、19世紀半ばの一般向け天文学書に漂っていた風情と、そう遠いものではなかったと思えるのです。

(19世紀にアメリカで出版された、天文学の児童書・一般書)

天文学がビッグサイエンスとなる前、星たちが今よりもある意味で近く、またある意味で遠かった時代の空気を、新島は呼吸していたように思います。

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