空の旅(3)…カタラン・アトラスの世界2017年04月15日 16時41分13秒

「空の旅」のアイデアを考えたとき、最初に思いついたのは、「カタラン・アトラス(カタロニア地図)」と呼ばれる、中世の世界地図を背景に、天文学の歴史を物語ることでした。

カタラン・アトラスは、1375年にカタロニア(カタルーニャ)で製作されました。
当時知られた「全世界」を詳細に図示したもので、その範囲はヨーロッパを超え、アジア世界を横断し、極東の島々にまで及びます。地図上には多くの城が聳え、偉大な王の姿が描かれ、海には船が浮かび、ラクダに乗った隊商が陸地を横切っています。

これこそ「旅」をテーマにした展示に相応しい品。

(カタラン・アトラスに描かれたペルシャ湾をゆく帆船)

さらに、その絵筆は地上世界を超えて、巨大な天球までも描破しており、これは通常の「世界地図」の枠に収まらない「宇宙地図」と呼ぶべきものですから、ぜひ「空の旅」の背景に据えたいと思いました。

   ★

カタラン・アトラスは、高さ65cm、幅300cm もある巨大な横長の地図です。
元は50cm 幅×6枚、現況はさらに半幅の25cm 幅×12枚に切断されて、木製パネルに貼り付けた屏風状の形態で、フランス国立図書館に所蔵されています。

有名な地図なので、これまで何度も複製が作られており、私が今回並べたのも、2000年にバルセロナで出版された、そうした原寸大複製の1つです。


オリジナルと同じように、25センチ幅の縦長の地図が2枚見開きで装丁され、全部で6分冊になっています。


第1分冊は、地図の左端に当る部分。カタロニア語によって、当時の天文学や占星術の知識が記されています。まさに、この図が「宇宙地図」であるゆえんです。


そして第2分冊の天球図を経て、第3分冊以降の世界地図へと画面は続いていきます。

(この図は、地球から恒星天に至る同心球状の宇宙構造と、黄道十二宮、そして1年間の暦を表現していると思うのですが、詳細は不明。オリジナルの金彩が、金の特色刷りで美しく再現されています。)


ヨーロッパと北アフリカの地中海世界から、ロシア、中央アジアを経て、さらに東へ。


西のカタロニアから見れば東の果て、ロシアとブルガリアの国名が見えます(右下は黒海)。


右側に舌のように伸びるのは「紅海」。
この呼称はギリシャ語に由来するそうですが、地図の製作者は文字通り「赤い海」を想像したのでしょう。これまたカタロニアから見れば、遠い異世界です。

そして、画面は東アジアへ。




右下に見える「CATAYO」は、英語で言う「Cathay」で、本当は北方の契丹(きったん)に由来するそうですが、ヨーロッパでは古く中国のことを、この名で呼びました。

中国東方に散在する島々は、中国南部から東南アジアにかけての島しょ群を漠然と描いているのでしょうが、この中にはきっとジパングも含まれているはず。

   ★

今回、「空の旅」をテーマに表現したかったものこそ、まさにこのエリアで3千年の長きにわたって続けられた「旅」の風景でした。

会場のレイアウトの都合で、カタラン・アトラスを背景に…とはいきませんでしたが、カタラン・アトラスを立て並べた脇に、サブテーマである「古今東西」をイメージした品を並べることができました。

(カタラン・アトラスの地図部分の全容)

(この項つづく)

コメント

_ S.U ― 2017年04月16日 07時28分15秒

昔は地球が広かったですから、「旅」といっても現代とはぜんぜん違う意味があったのかもしれませんね。いや、旅に出る動機の部分は昔も今も違わなかったのですが、その覚悟だけはぜんぜん違ったというべきかもしれません。「奥の細道」を読んでもよくわかります。

 それでも、芭蕉などは吟遊詩人ですから特別な人で、当時はほとんどの人は生まれてから死ぬまで同じ所に暮らしていて、旅など無縁だったと思うのですが、そういう一般の人が旅人の話を聞いたり、あるいは一生に一度の巡礼の旅の機会に恵まれたとき、旅についてどのように感じたのか、想像も及ばないのですが、感想を聞いてみたいものだと思います。

_ 玉青 ― 2017年04月16日 18時15分00秒

江戸時代以前は、村々におけるイエ制度が未確立で、人と土地の結びつきは後代よりも緩やかでしたから、旅(移住あるいは流浪)は結構あったのかもしれません。(一時、漂泊者というのが、中世を語る際のキーワードでしたね。)

また、旅と対になる形で、「故郷(ホームタウン)」という観念がどのような歴史的変遷をたどって来たのかも、大いに気になるところです。

外国に目を向けると、かつての新大陸への移民なども、彼らはいったいどんな気持ちで船旅に臨んだのでしょう。故郷で食い詰め者だった人々にとって、望郷の念は薄く、あるのはただ生きる執念と希望だけだったのかなあ…とか。もちろん、移民や難民は過去の存在ではなくて、今も目の前で起こっていることですから、彼らの心情を推し量ることが、あるいはかつての旅を考える手がかりとなるかもしれませんね。

そして、将来、宇宙への移住が行われるようになったら、その旅は片道切符になる可能性が高いと思いますが、それに参加する人々の胸中やいかに?…なんてことにまで、思いは広がります。

_ S.U ― 2017年04月17日 07時11分07秒

してみると、「旅」にもいろいろな種類があるようですね。
大きく分けると、

1)物見遊山及び私用のため
2)商用のため(いわゆる出張・出稼ぎ)
3)生活形態として(移住・漂泊)

ということになるのでしょうか。これに、ほとんど一生遠くへは行かない人を加えるとおおむねカバーでき、旅のイメージはこれらの種類によって違ったことでしょう。最近読んだ本で、農業をするには気候が安定していることが必須で、そうなる以前の時代(現代の間氷期が落ち着くまで)は、ほとんどの人は3)でなくてはならなかったと知りました。
 江戸時代にイエ社会が確立してからも、農家の水呑みの跡継ぎは一生土地に縛られたけれども、次男坊以降や女の子は奉公人や職人として街に送られ、2)、3)の生活を余儀なくされて、兄弟であっても旅のイメージが大きく異なることになったかもしれません。

 旅の感情はいろいろあるようで、分類すら難しいみたいです。そのために、昨今では、敏腕の旅行会社すら読み違いで大きな借金を抱えて破綻に至り、旅先のホテルで二重に自腹を切らされた人もいると聞きます。

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