本邦解剖授業史(6) ― 2017年06月18日 09時11分50秒
こうして、大正の後半ぐらいから、戦争をはさんで昭和の後半にいたるまで、日本中の学校で解剖の授業が行われたように想像します。ただし、その実態が何となくボンヤリしています。
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生のデータを求めて、この連載の最初に返って、串間努氏の『まぼろし小学校』(小学館)に採録された、解剖体験記を引用させていただきます。カッコ内は、アンケート回答者の生年と学校時代の居住地です。
●ミミズ、フナ、カエル、メダカ。カエルは解剖後、アルコールランプで調理し、いただきました。美味しかった。 (昭和35年生 東京都文京区)
●カエル、コイ(コイは後で煮て食べました。その匂いが廊下まで漂ってきて、いい匂いだったこと!) (昭和38年生 長野県飯田市)
●「解剖は可哀想」ということで、やらなかった。 (昭和37年生 石川県羽咋郡)
●たぶん、イワシ。 (昭和41年生 熊本市)
●カエル、フナ、メダカ。 (昭和45年生 岐阜県各務原市)
●金魚(250円の出目金)。 (昭和46年生 東京都足立区)
●解剖は残酷だと新聞で話題になり始めた頃なので、したことがありません。 (昭和46年生 奈良市)
●解剖は、教師がやって生徒は見てるだけでした。 (昭和47年生 岐阜県関市)
●何も殺しませんでした。一寸損したな、と思ってます。 (昭和48年生 群馬県勢多郡)
●解剖は、カエルを殺すならネコを殺すも同じだとされ、禁止されていました。 (昭和51年生 千葉県松戸市)
●カエル、コイ(コイは後で煮て食べました。その匂いが廊下まで漂ってきて、いい匂いだったこと!) (昭和38年生 長野県飯田市)
●「解剖は可哀想」ということで、やらなかった。 (昭和37年生 石川県羽咋郡)
●たぶん、イワシ。 (昭和41年生 熊本市)
●カエル、フナ、メダカ。 (昭和45年生 岐阜県各務原市)
●金魚(250円の出目金)。 (昭和46年生 東京都足立区)
●解剖は残酷だと新聞で話題になり始めた頃なので、したことがありません。 (昭和46年生 奈良市)
●解剖は、教師がやって生徒は見てるだけでした。 (昭和47年生 岐阜県関市)
●何も殺しませんでした。一寸損したな、と思ってます。 (昭和48年生 群馬県勢多郡)
●解剖は、カエルを殺すならネコを殺すも同じだとされ、禁止されていました。 (昭和51年生 千葉県松戸市)
ごく少数の例ですが、どうやら昭和45年生まれの人が、小学校高学年から中学1~2年生を過ごしたあたり、すなわり昭和50年代後半に、解剖授業の有無の境目があるらしい…ということを、この連載の1回目で述べました。
ここでもうちょっと底堅い事実を求めて、過去の新聞記事に当ったら、いくつか興味深い記事を見出したので、該当記事を引用してみます。(以下、青字は引用者による強調)
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まず、今から四半世紀前、平成5年(1993)の記事です。
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読売新聞(1993.11.13 大阪版朝刊)
カエルの解剖 残酷さなく感動も 生命の尊さ学ぼう 大教大付属平野中が公開
カエルの解剖 残酷さなく感動も 生命の尊さ学ぼう 大教大付属平野中が公開
珍しくなったカエルの解剖が十二日、大阪教育大付属平野中学校(大阪市平野区)で開かれた教育研究発表会で、関西の公立中学教諭ら約五十人に初めて公開された。かつては、どこでも見られた授業風景だが、野生ガエルの激減による入手難に加え、残酷との声が出て多くの教室から姿を消している。
中二理科の授業で、田中啓夫教諭(45)が「生き物に触れて、直接、体の仕組みを学ぶだけでなく、生命の神秘や思いやりを知ってほしい」と十五年前から取り入れている。この日は、四十一人の生徒が、十一班に分かれ、業者から購入した体長約二十センチのウシガエルを各班一匹ずつ、解剖用のハサミとピンセットを使って真剣なまなざしで挑戦。「せき髄と脳」「消化器官のつくり」などテーマは生徒が決めた。
麻酔はかけたものの、血が出て、時々動くカエルにたじろぐ女子生徒もいて、最初は気味悪がっていた様子だったが、「最後まで心臓が動いていた。生命力の強さに感動した」「かわいそうだったけど、命の大切さがよくわかった」など感想を話していた。
カエルなどの解剖は、中学校理科の教師向け指導書の中にあるが、扱っていない教科書が多い。授業では話だけで終わり、取り入れている学校でも、実験用の十センチほどのアフリカツメガエルを教師だけが解剖したり、死んだ魚やビデオで代用したりしている。
見学した公立中の教諭は「十年以上前からやっていませんが、素晴らしい取り組みだと思う」などと評価。京都府大宮町立大宮中の古橋克彦教諭(39)は「女子生徒が嫌がらず、目を輝かせていたのが印象に残った。興味本位ではなく、解剖を通して何を学ぶかの意識付けが大切。そうでないと、残酷な実験に終わるだけ。授業で実施したいと思います」と話していた。
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当時、すでに解剖授業が珍しい存在だったことがよく分かります。
また、その要因として、「野生ガエルの激減による入手難」、「残酷との声」、そして「該当記述の教科書からの消退」が挙げられています。見学した先生の「10年以上前からやっていませんが…」という声から察するに、1980年代の初め、すなわち昭和50年代後半に解剖授業が行われなくなったとおぼしく、これは上の推測とよく符合します。
(引用が長文に及ぶので、ここで記事を割ります)
本邦解剖授業史(7) ― 2017年06月18日 09時18分04秒
(今日は長文2連投です)
上の読売の記事から更に10年余りが経過した、平成16年(2004)の状況を伝えるのが、以下の記事。
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朝日新聞(2004年10月3日 東京版朝刊)
減り続ける解剖実験 「毎年実施」6% 小学校、子どもの抵抗強く
減り続ける解剖実験 「毎年実施」6% 小学校、子どもの抵抗強く
魚やカエルの解剖実験をする学校が減っている。小学校での実施率は約2割という調査結果が今年8月の日本理科教育学会で報告された。今の小中学生の親たちが学んだころに比べ、生命尊重の考えが広がり、教科書の扱いも小さい。流れは変わらない様子だが、本物の命にふれる絶好の機会になる、と新しい視点で解剖授業に取り組む教師もいる。(高橋庄太郎)
小学生は6年の理科で、人や他の動物の体について学ぶ。解剖実験はその一環で、主に魚の内臓を見て、体のつくり、働きを確かめる。
昨年末、鳩貝太郎・国立教育政策研究所総括研究官らのグループが全国の実態を調査し、理科教育学会で発表した。
計575校の理科主任の回答によれば、過去3年間に「毎年解剖実験をした」学校は6%で、「したりしなかったり」と合わせても22%だった。解剖実験をしなかった理由で一番多いのは「教科書で扱っていないから」。「視聴覚教材で代替できる」「生命尊重の教育に反する」が続く。
魚の解剖は、1958年、学習指導要領の「指導書」に盛り込まれたのをきっかけに、教科書が詳しく記し、学校でも取り組み始めた。解剖の仕方を教師に伝える講習会が盛んに開かれた。
その後、指導要領の改訂が重なる中で、解剖の位置づけは低くなり、現行要領の「解説」(以前の指導書に相当)は「(体内観察には)魚の解剖や標本などの活用が考えられる」という表現になっている。
理科教科書は6社から出ているが、3社はフナなどの解剖を取り上げ、ハサミの使い方、解剖した状態の写真、図を載せている。しかし、他の3社は魚の消化管を図解しているものの、解剖にはふれていない。
解剖実験は学習内容として最もインパクトが強いといわれるが、準備、後始末に手間がかかるなど教師の負担が大きい。「生きた魚を殺すのはかわいそう」「気持ち悪い」「こわい」など、子どもの抵抗感が強い。
○「命の授業」で取り組み
最近は命の大切さを教えることが学校の重要課題になっている。現行の指導要領の「解説」でも、動物などの体の学習のねらいとして、「生命を尊重する態度を育てる」とうたっている。
教科書会社の理科担当者は「教科書に解剖の仕方を載せても、やる必要はないと判断する学校が多いと思う。生きたフナ、コイを入手することも難しくなった」と話す。
全国調査をした鳩貝・総括研究官は(1)60年代から70年代をピークに解剖実験は減り続けてきた(2)新採用教員の多くは自ら経験していないのでさらに減ると予測し、次のように言う。
「動物の生命を実感し、その大切さを知る解剖実験は、生物愛護、生命尊重の態度を育てる理科の目標にかなう。ただし、解剖理由を十分説明するなど入念な準備や謙虚な姿勢が欠かせない」
学校の中にも解剖実験の役割を評価する声はある。岐阜県飛騨市立古川西小の重山源隆先生は前任校で生きたコイを解剖させた際、子どもの気持ちを調べた。
事前アンケートでは不快、恐怖、同情からの抵抗感が強かったが、終わった後、道徳の時間に話し合わせたら「命を奪うのは残酷だが、命の大切さがわかるような気がする」などの意見が目立つようになった。
「生き物の死を真剣に受け止め、理性で考えるようになった。動物は死んでも生き返る、と信じる子がいる時代に、やりっ放しにしないなど教師側がしっかり取り組めば、解剖実験で得られるものは大きい」と重山先生は指摘する。
○中学校でも傾向は同じ
中学校では60年代、人の体のつくりに近いカエルの解剖が理科に組み込まれた。学習指導要領で明記したのがきっかけだ。しかし、小学校の魚と同様、指導要領の扱いが小さくなった。
5種類ある現行の教科書を見ると、カエルはその呼吸法を見るなど観察の対象とされている。カエルにふれていない教科書もある。各教科書が解剖写真を載せていたのとは様変わりだ。
◆小学校での魚の解剖実験は必要?
必要性は感じない 64.0%
必要 28.3
してはならない 1.6
わからない 6.1
(理科主任約570人の回答)
【写真〔省略〕説明】
東京都杉並区では、多くの区立小学校が設備のそろった区立科学館でコイの解剖をしている=杉並区立若杉小提供
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ここには興味深いデータがいろいろ紹介されています。
まず、わりと最近でも(といっても10年前ですが)、6%の小学校が、毎年解剖の授業を行っており、「したりしなかったり」という学校を含めると、2割強の学校で解剖が行われていたという事実―。これは結構多いような気もしますが、でも、これは家庭科で魚の下ろし方を習うのと兼用…という学校も含んでの数字でしょうから、やっぱり少ないは少ないです。
そして、この記事で知った重要な新事実。
それは、魚の解剖が普及したきっかけは、1958年(昭和33)の小学校の『学習指導要領』に付属する「指導書」に、該当事項が盛り込まれたことであり、同じくカエルの方も、同時期の(記事は正確な年代を挙げていませんが1960年代)中学校の『学習指導要領』に明記されたことが普及の原因となった…ということです。
したがって、この連載の第1回で、「これまで文科省が公式に「解剖をしろ」とも「するな」とも通達した形跡はなく、ある年を境として、全国一斉にパッと切り替わったわけではありません。」と書いたのは不正確で、廃止の方はともかく、その普及については、制度的な裏付けがあったことになります。(当時、先生を対象にした解剖講習会が盛んに開かれたというのも、興味深いです。)
こうして、国立教育政策研究所(当時)の鳩貝氏が総括したように、戦後の解剖授業のピークは1960年代~70年代(昭和35年~55年)であり、その後は減少傾向に歯止めがかからずに推移…という概況をたどったわけです。
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ところで、上で引用した2つの記事の中間、平成10年(1998)には、以下のような珍妙な「事件」も報じられています。
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毎日新聞(1998年12月17日 大阪版夕刊)
東大阪市の男性教諭、児童の目の前でネコの死体解剖
東大阪市の男性教諭、児童の目の前でネコの死体解剖
東大阪市立小学校3年担任の男性教諭(47)が理科の授業で、ネコの死体を解剖して見せ、児童が泣き出したり、気分が悪くなるなどのショックを受けていたことが17日、分かった。同校は「あってはならないこと」として教諭に注意。教諭も「軽率だった」と反省しているという。
同校や市教委によると、11月12日、学校近くの通学路で車にひかれたとみられるネコの死体が見つかり、市の環境事業所が引き取りに来るまで、この教諭が保管することになった。
教諭は翌日午前、動物の体のしくみを教える授業の一環として、理科室でカッターナイフでネコを解剖し、内臓を取り出して児童に見せたという。保護者の抗議で学校側が知った。
教諭は生物を得意としており、「授業に役立てようと考えた」と話しているという。校長は「子供たちは残酷に感じたと思う。教諭を厳しく指導した」と言い、市教委指導室は「同様のことがないよう研修などで徹底したい」としている。
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この教諭は、別に猟奇な先生ではなく、むしろ地元の教育研究発表会なんかには率先して参加するタイプの先生だったんじゃないでしょうか。そして、1998年という年を考えると、当時好評を博していた、「ゲッチョ先生」こと盛口満氏の一連の著作に触発されて、「子どもたちに生物のリアルな姿を伝えたい」と考え、こういう挙に出た可能性もあります。
私は何となく憎めないものを感じますが、さすがに小学3年生の児童を相手に、ネコの解剖は、無理がありました。まあ、事の是非はさておき、解剖授業衰退期に起きた奇妙なエピソードとして、ここに紹介しておきます。
(次回、この話題をめぐる落穂拾いをして、この項完結予定)
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