通じない話2018年06月02日 17時04分24秒

本日2本目の記事は、閑語の拡大版です。
先週のニューヨーク・タイムズで、「ナガタ方言――言語学最大のミステリー」という、大変興味深い記事を読んだので、例によって適当訳でご紹介します。

-------------- (引用ここから) --------------

「ナガタ方言――言語学最大のミステリー」  by メアリー・トンプソン

 日本の首都・東京の一角にある永田町で、一部の住民が操る言葉(一般に「ナガタ方言」と呼ばれる)に注目が集まっている。それは確かに標準的な日本語とよく似た音韻体系を持ち、文法もかなりの程度一致している。また語彙にも共通するものが多い。しかし、ナガタ方言の話者と、標準的な日本語話者との間では、ほぼまったく会話が通じない。

 これまで、両者の言語学的類似性から、「ナガタ方言はあくまでも日本語の一方言である」とする見解が、言語学界では主流だったが、最近ではナガタ方言という呼称をやめて、「ナガタ語」という独立した言語と捉えるべきだと主張する研究者も増えている。

 標準日本語とナガタ方言とのディスコミュニケーションの例として、例えばナガタ方言の話者が「シンシニ」や、「セイジツニ」という言葉を使う場面が挙げられる。それは標準的な日本語の「真摯に」や「誠実に」と発音は同一だが、標準的な日本語話者は、その意味をほとんど理解できない。

 これは確かに奇妙な状況である。明らかに同一起源をもち、現在においても共通性の高い二つの言語体系の間で、コミュニケーションがこれほど困難ということがあり得ようか?現にあり得るとしたら、その原因は何なのか?

 この言語学的ミステリーに対して、最近、画期的な見解が示された。
 「ナガタ方言はそもそも言語ではない」とする見解だ。

 ナガタ方言について長年研究してきた、ジョンズ・ホプキンス大学のマイケル・クラーク教授はこう語る。

 「ナガタ方言は、コミュニケーションのツールではありません。言語とはコミュニケーションの手段であるという前提――これは常識的にも言語学的にも支持される見解です――に照らして、ナガタ方言を言語とみなすことはできません。このことは、ナガタ方言――もはやそれを方言と呼ぶのは不適切かもしれませんが――に対して、我々が行った語用論的分析からも明らかです。ナガタ方言は、自然言語が有するはずの語用論的適格性をことごとく欠いているのです。

 また、言語は内言化することで、我々の思考の手段としても機能しますが、脳の血流分析の結果、ナガタ方言の使用者は、ナガタ方言を使用する際に、運動性言語中枢のみを使用し、感覚性言語中枢はほとんど関与していないことが分かっています。要するに彼らは発声運動は盛んに行っていますが、そこには言語の意味理解が伴っていないのです。ナガタ方言の話者は、ナガタ方言によって何か抽象的思考をすることは、おそらくできないでしょう。

 ナガタ方言は、言語というよりも、冗長度の高い無意味な記号列であり、一種の疑似言語だというのが、我々の結論です。

 もちろん、クラーク教授の急進的な見解には反対意見も多い。
 しかし、ナガタ方言の使用範囲が、日本の政治的判断の中枢部と偶然以上の確率で一致しているという事実に照らして、ナガタ方言が真に言語かどうかは、早期に決着を着けなければならない問題だろう。

-------------- (引用ここまで) --------------

ナガタ方言が言語なのがどうか、素人目には何となく言語のように見えますが、そうではないとする意見もあるようです。トンプソン氏が言うように、これはゆるがせにできない問題ですから、議論の行方を注視したいです(この言い回しも、よくナガタ方言で耳にしますが、確かにあまり意味はよく分からないですね)。

   ★

言うまでもなく、上のニューヨーク・タイムズ云々はウソです。
しかし、私の脳内ではこういう記事が日々量産されていて、私もすでにフェイクニュースに毒され、ウソと現実の区別がつかなくなっているのかなあ…と、ちょっと不気味なものを感じます。

何はともあれ、お通じの薬は多々あれど、話の通じない人につける薬はなかなかないものです。

コメント

_ S.U ― 2018年06月02日 18時32分13秒

>永田方言はそもそも言語ではない
 
 あぁ、これは恐ろしいことですね。憲法と法律は日本語で記述されているというのに、これらに基づいて権力を行使する議員や大臣が語る永田方言が言語の特性を備えていないことは根源的な問題です。これでは、憲法の前文の条件がいきなり満たされません。このような擬似言語、あるいは曖昧な言語を永田町で使うことを禁じるしか国民の生命と財産をを守り、国家を適切に運営していくことはできません。

 ということで、急にひらめきました、今後は、国会での質問・答弁はすべてコンピュータ言語でやっていただくのはどうでしょうか。C++語、Python語、Ruby語、LISP語などの中から、専門家に良いのを選んでいただけばよいと思います。議員と大臣は、皆その言語を学び、それを国会でしゃべればよいわけです。

 私は冗談を言っているのではありません。これらの言語は、どれも、AIの開発に使われているものです。およそ人間が論理的思考に用いるすべてのモノとコトの概念と実体を整理し、正しい論理と手続きで実行するいっさいのことは、AIのプログラム言語とデータレコードによって表現可能と言います。曖昧性が無く論理的に首尾一貫した議論を国会で行ってもらうには、コンピュータ言語の使用が最善の策と考えます。

 AIは新産業として、多くの若者がその習得に励み、市場でも多大な成果を挙げつつあります。小学生でもプログラミングの授業を受け始めるといいます。日本のトップクラスの数百人だか千人だかに属する国会議員やキャリア官僚がこれを習得できないということはありますまい。
 
 国会でコンピュータ言語が飛び交うと、一般国民が聞いてわからない、という心配をされる方があるでしょう。でも、大丈夫です。AIに日本語に翻訳してもらえばよいのです。膨大な行数のプログラムを高速で正確無比に実行するAIが訳すのですから、一瞬に日本語に訳され間違いも問題も生じません。もし、正しくないコンピュータ言語をしゃべる議員や大臣がいいたら、AIは高らかに Syntax Error と宣言することになり、ここで国会質問や答弁が止まります。Syntax Errorの多い議員は、国会でまともに発言すらできないことが国民に客観的に明瞭に知らされます。、きっと次の選挙か内閣改造で落とされることでしょう。どうです。いいアイデアでしょう。

_ 玉青 ― 2018年06月03日 11時00分08秒

あはは。まあ、世に不心得の種は尽きまじで、明晰に語ると見せかけて、スクリプトウイルスを仕込んで議場に混乱をもたらす者が現れたり…なんてことも予想されますね。それにしても、今の体たらくでは、いっそ内閣をAIに置き換えた方が早いんじゃないか…と軽口をたたきたくなりますが、この辺は慎重に考えたいですね。

_ S.U ― 2018年06月03日 18時38分47秒

>いっそ内閣をAIに置き換えた方が早い
 それが理想かもしれませんね。
 かつては、一部の鉱工業などの現場では、人間の労働者が不衛生で危険なところで人力を使っていましたが、今は機械が遠隔でミスなくやってくれるようになりました。政治も、どこの国を見ても政治家が逮捕されたり失脚したりする例は多く、そうでなくても失策で大ごとになることも多いので、将来は、こんなもの人間にやらせる仕事じゃないよ、と言われるようになるかもしれません。

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