コレクター宣言2020年09月14日 21時05分32秒

「博物蒐集家の応接間」に触発されて、ぼんやり考えたこと。

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私は理系アンティーク、ないし天文アンティークが好きで、いろいろなモノを手にしてきましたが、自分では決してコレクターではないと思っていました。それは、収集方針が系統立ってないし、収集フィールドもひどく曖昧だからで、「そういうのを収集家とは呼ばないだろう」と、常識的に判断したわけです。

でも、継続は力なり。時と共に、やっぱり自分はコレクターなんじゃないか…という気がしてきました。

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そもそも、上で述べたコレクター観はいささか偏狭に過ぎたのではないか?
コレクターの中には、たしかにシジミチョウや、フランスの19世紀挿絵本や、トミカのように、自分の収集フィールドをしっかり決めて、そのフィールドの中で悉皆コレクションを目指す人も多いとは思います。

でも、たとえば「ビーチコーマー」、すなわち浜辺の漂着物探しはどうか?
あれも収集の外延が曖昧で、コンプリートすることも原理的にありえませんが、それでもビーチコーミングを楽しむ人は多いし、その収集をコレクションと呼ぶことに、いささかの支障もありません。


私がやっているのも、要はビーチコーマータイプの収集行為なのだと思います。

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では、一体何を拾い集めているのか?
…といえば、「Popular Astronomyに関わる品」です。

ポピュラーアストロノミーを「通俗天文学」と訳すと、文字通り俗っぽくなってしまいますし、「一般向けの天文学」でもまだ不十分です。「万人の中にある星ごころの発露」と敷衍すると、ようやく腑に落ちます。そういうくくり方をすれば、自分がなぜ正統派の天文アンティーク以外に、天体をモチーフにしたゲームや、エフェメラや、アクセサリーにも魅かれるのか、自分でも理解できるし、人にも説明ができます。

まあ、「万人の中にある星ごころの発露」と言っても、外延のはっきりしない表現であることに変わりはないんですが、少なくとも内包ははっきりしています。私がそこに「星ごころ」を感じるか否か、当の私にとっては至極明瞭だからです。他の人からすると、「なんじゃそりゃ」と思われるかもしれませんが、そこがビーチコ-ーマーの自由さで、そういう気ままなコレクションを、これからも続けたいなあ…というのが、今の気持ちです。

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正統派天文学は、もちろん星と人間のかかわりの最も太い幹ですが、それ以外にも星にかかわる人々の営みはいろいろあって、それぞれの色合いで「星ごころ」が濃く薄くにじんでいます。そうした品々が、私の「博物蒐集家の応接間」に、あたかも星座のように並んでいてほしいと思うのです。