鬼と星2022年02月22日 23時01分11秒

前回の品のように、その素性が分かるものはいいですが、染付の器の絵柄には、何だかよく分からないものもたくさんあります。たとえばこれ。

(最大径8cm)


これも星の文様に目を留めて、天文和骨董のひとつとして手にしたのですが、これは一体何でしょう?ここに描かれているのは、儒教の聖典である「五経」の名称、怪しい鬼の姿、そして星の模様です。でも、果たしてこれが全体として何を意味しているのか、いまだに謎です。

(底面はいわゆる「蛇の目高台」。18世紀以降に登場した器形といいます)


この絵なんかは、太鼓をかついだ雷神のようにも見えますが、下のような類例を見ると、この点々は太鼓ではなくて、やっぱり星模様であり、星宿図で間違いありません。

(ネット上で見かけた画像を寸借。以下も同じ)

上で「類例」と書きましたけれど、この種の絵柄は決して珍しいものではなくて、探すと同じような品はたくさん見つかります。


上は「鬼文様火入れ」という名称で売られていた品。


こちらは明治以降の印判手の皿ですが、鬼らしきものは生白い足を長く伸ばしているし、星々も自由奔放すぎて、もはや何がなんだか分かりません。

   ★

おそらく前回の皿のように、これだって昔の人にはその意味が分かっていたと思うんですが、いつの間にか伝承が途絶えて、一種のミッシングリンク化している感じです。

鬼とか星とかいうと、儒教よりも道教に親和性があると思うので、そこに五経が登場するのも釈然としません。あるいはいっそ、「斧(よき)、琴、菊」の絵を描いて「良きこと聞く」に掛ける類の、駄洒落的な品なのかな…と思ったり。まあ、何にせよ天文古玩的には、ここに登場する星の意味合いをぜひ知りたいところです。

   ★

以下余談です。

この小碗はもともと煎茶碗でしょうが、当時の煎茶道は「江戸のハイカラ趣味」の最たるもので、特に蕪村や池大雅なんかが活躍した頃は、中国趣味と緊密に結びついた煎茶道は、古臭い抹茶道に対するアンチテーゼとして、当時のスノッブたちに強くアピールしたと聞きます。

今の煎茶道は、家元制度を取り入れたりして、すっかり抹茶道のエピゴーネン化していますが、煎茶道本来のあり方からすると、幾分おかしな感じがします。

コメント

_ S.U ― 2022年02月23日 09時18分42秒

疑問として、、二十八宿の星の並びのパターン(つまり、星座の連結線のパターン)が日本の近世の民間に多少なりとも普及していたかということがありますが、どうなのでしょうか。

 二十八宿の星の連結パターンは、古くは、高松塚古墳、キトラ古墳の壁画にありますし、後代では『和漢三才図会』にも一応載っています。近世以降の天文書なら一応は図があったと思います。これを一般民間人がある程度知っていたかというのが疑問です。

 普及度からいうと、頒暦や暦注書などに図があったかどうかというのが決め手になるかもしれませんが、そういうものは見たことがありません。ご紹介の器の画のようなものも参考になりそうです。でも、星宿の形をちゃんとフォローしているかどうかは怪しいようですね。

 ところで、鬼と言えば、鬼宿というのがありますね。星のパターンは、かに座のプレセペ星団を取り囲む4角形が基本になっているようです。

 とにかく、二十八宿は、東洋天文学のプロ(暦学者)とアマ(民間人)のつながりと解く突破口だと思います。

_ 玉青 ― 2022年02月23日 21時21分25秒

二十八宿の星の並びは、あまり知識としては一般化していなかったでしょうね(今の人が星座を知らないのとどっこいどっこいでしょう)。知られているとすれば、鼓星とか、羽子板星とかの、その土地土地での民間星座の方が、よっぽど知られていた気がします。

ただ、そのこととは別に、「小さな丸を細線で連結した形は星(星座)を表す」という“約束事”は非常に一般化していたと思います。ちょうど今の我々が、★のマークを見て星と認識するように、江戸の人は、いくつかの小円が線でつながれていれば、ただちに星と認識したろう…というのが私見です。いわば記号としての星ですね。この茶碗に描かれているのも、まさにそれじゃないでしょうか。

おっしゃるとおり、こうした知識は『和漢三才図絵』や『訓蒙図彙』のような絵入り百科事典を通じて、さらにそれをネタ元にした無数の書物を通して、江戸人の常識と化し、その延長線上に「赤壁賦」の星象表現や、以前話題にした七夕の民画(http://mononoke.asablo.jp/blog/2015/01/31/7560797)があり、さらにまたこの奇怪な鬼の絵もあるのだ…と、今のところ考えています。

_ S.U ― 2022年02月24日 09時32分22秒

>今の人が星座を知らないのとどっこいどっこいでしょう
 そうなのですね。江戸時代は、星座のかたちというのは専門知識に属していて、市井の「物知り」の人が仮に知っていたとしても、もはやそれは民俗の知識ではなくインテリの知識だったのかもしれません。確かに、天文は、本質的に、外に出ればそこにある夜空の星ですから初歩の初歩は簡単ですが、日常感覚を超えた世界なので中級以上に進むのは容易なことではありません。

 だとしますと、この茶碗の柄は微妙な線を付いていると思います。おそらくは、「五経」が天象宇宙を論じた書であると認識し、さらにいうと「五経」は宇宙知識のシンボルであることを意識した上でのデザインだと思います。

 現在のデザインでいうと、ハワイの山頂にある「すばる望遠鏡」のドームと車椅子に座るホーキング博士の姿の背景に星空をオーバーラップさせたようなデザインの商品といえるのではないでしょうか。こういうのを当時の人たちがどういう感覚で用いたのか気になります。茶会でアストロアーツさんかルーチカさんのマグカップを使うくらいの気合いがあったのでしょうか。

_ 玉青 ― 2022年02月24日 22時59分53秒

鬼と星と五経。その後もいろいろ考えていますが、まったく分かりません。
ただ、一つ思ったのは、こんなふうに皿やら碗やら火鉢やら、あちこちに描かれているということは、これは吉祥文のはずで、なぜ鬼が吉祥なのかは分かりませんが、とにかく目出度く有難い絵柄として、当時受け取られていたろうということです。
というわけで、ここはS.U説に従って、「すばる望遠鏡」とホーキング博士と星空をオーバーラップさせたようなデザイン(の江戸版)ということにしておくのが、穏当かもしれませんね。(^J^)

_ S.U ― 2022年02月25日 08時39分04秒

今後の参考のために、一点だけ確認お願いいたします。

 ここで吉祥文様に現れる鬼とは、「雷神」の類いにほぼ限定されていると考えていいのでしょうか。それとも、邪鬼、悪鬼までをも含むのでしょうか。

 雷神だけなら、「天象」、「電気」ですから、易学で何かありそうな気はしますが、すぐにはピンときません。

_ 玉青 ― 2022年02月26日 08時09分28秒

あ!これはビンゴかもしれませんね。
雷は恐ろしいものですけれど、同時に雨をもたらし、実りをもたらす善神の性格も持ちますから、鬼よりは雷様のほうが余程しっくりきます。

そして、雷、星、天象、易…この辺のワードが、私の心に深く刺さります。
そこから触発されて、李均洋氏の「日・中両民族の雷神思想の源流 (その一)」という論考を読みました。
file:///C:/Users/admin/Downloads/nk13003.pdf

そこには興味深い話がいろいろ書かれているのですが、まず易の八卦図でいうと、雷は☳であり、天(☰)にも地(☷)にも属する存在であると同時に、両者が結合して生まれた長子だと説かれるのだそうです。そして、中国の神話世界では、雷神は龍神とかなりの程度混交しており、その姿は一説に人面龍身とも言われ、やっぱり水神や農神としての性格を併せ持ち、さらに黄帝神話とも結びついている由。

そして、その黄帝の氏である「軒轅(けんえん)」は、また星座の名でもあって、李氏は

軒轅十七星 在七星北、如龍之体 主雷雨之神(『大象列星図』)
軒轅、黄龍体(『史記・天官書』)

といった文を引いています。軒轅は今のさそり座に相当する星の並びを指すようで、あれは確かに龍に見立てられるのにふさわしい形ですよね。

こんなふうに、雷と星と中国の古典世界が結びついてくると、上の絵柄もそこから発するもののような気がするのですが、もちろん江戸の陶工が、中国古代の伝承に通じていたとは考えにくので、あれは何か中国に元絵があって、それを中国趣味の一環として模倣したのではないか…という考えが浮かびます。ここからさらに、あの絵の初出の探索と、中国における類例探しに、調査の手を広げていければいいのですが、すぐには難しそうなので、これは今後の宿題です。

_ S.U ― 2022年02月26日 09時55分33秒

ご確認ありがとうございます。
「雷」の八卦との関係もありがとうございます。

 雷が電気であることを確認したのはベンジャミン・フランクリンの有名な実験ですが、易学の「東洋物理学」では、雷は宇宙のエレメントの「陰陽」(マイナスとプラス)が起こす力とみられていたので、かなりの基礎理論に属するものと見ています。(「東洋物理学」など無いとする向きがあるかもしれませんが、もちろん、東洋医学、東洋工学があるのと同様、東洋物理学も理論としてはあります。)
 雷の八卦が「地地天」になっている理由はわかりませんが、地面が天から力をもらったという分析なのでしょうか。また、ぼちぼち、研究してみたいと思います。(ご引用のURLがローカルファイルになっているようなので、よろしければネット上のアドレスをおしらせくださるようお願いします)

 「軒轅」の龍体との対応については存じませんでした。
なお、「軒轅」17星は、普通は、さそり座ではなく、しし座の頭付近からこじし座、やまねこ座?付近の星とされているようです。

http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/~kazu/chinaseiza/gisholist.html#eight
(星宿272)
形は、さそり座と共通していて、これも、ぐにゃっと伸びた曲線です。

_ 玉青 ― 2022年02月26日 10時52分51秒

失礼しました。以下からお入りいただければと思います。
https://nichibun.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=6202&item_no=1&page_id=41&block_id=63

>「軒轅」17星…しし座の頭付近から

あれ?と思って見直したら、李氏は「房・心・尾」を当てていて、やっぱりさそり座説を採っていました。どういうことかな…と思って、大崎正次氏の『中国の星座の歴史』を開いたら、軒轅にしし座・やまねこ座を当てるのは、清代の『儀象考成』に拠ったものらしく、さらに古い時代の『開元占経』や『宋史天文志』では、軒轅を星宿に置いており、うみへび座のクネクネを、それに見立てたようです。結局、軒轅の場合は星の並びよりも先に神話があって、それを実際の星空に当てはめる方法には諸説あったのでしょう。(以上、資料のななめ読みなので、誤解があるかもしれませんが。)

_ S.U ― 2022年02月27日 08時11分55秒

資料のご紹介、ありがとうございます。雷神の由来については、自然哲学見地からたいへん興味深いです。あとで、ゆっくり読ませていただきます。

 軒轅がその由来から「龍体」であるならば、さそり座は、東方青龍の胴体ですから、もとはさそり座にあったという推定は成り立つと思いますが、龍の星座が空に2つある可能性もあり、また、星座は、人が星の並びを何らかの用途に生かす文化ですから、さそり座の星を軒轅と呼んだ図なり文字なり伝承なりの資料がないと、判断は下せないと思います。

_ 玉青 ― 2022年02月27日 11時38分35秒

「軒轅=さそり座」説に関して、著者の李氏は、林巳奈夫(著)『龍の話―図像から解く謎』(中公新書)を引いて論を展開されているので、そちらに典拠が出ているかどうか確認してみます。
まあ、2000年ではきかない歴史をたどる旅ですからね、煎茶でも一服しながら、ゆるゆる参ることにいたしましょう。

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