辰から巳へ ― 2025年01月01日 09時18分33秒
へびつかい些談(1) ― 2025年01月02日 15時44分39秒
年明けの話題は自ずと蛇になります。
蛇の星座といえば、うみへび座(Hydra)や、みずへび座(Hydrus)もありますが、海蛇にしろ水蛇にしろ、蛇界ではマイナーな存在なので、ここでは普通にへび座(Serpens)とへびつかい座(Ophiuchus)を採り上げます。
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へびつかい座は夏の星座で、さそり座を踏みしめ、ヘルクレスと背中合わせに立っています。今の季節だと、ちょうど近くに太陽があるので、その姿を見ることはできません。
(日本天文学会編『新星座早見・改訂版』(三省堂、1986)より)
上の星座早見に描かれた線画は、星座絵でおなじみの蛇遣いの姿そのままで、星座の中でも、へびつかい座はわりと「名」と「体」が一致している部類でしょう。
(恒星社版『フラムスチード天球図譜』より)
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ところで「蛇遣い」というと、ピーヒョロ笛を吹いて、かごの中からコブラを誘い出す「インドの蛇遣い」を連想します(あれをネタにした東京コミックショーの記憶が私の中では強烈です)。でも、星座の蛇遣いはどうもそんな風でもないし、あの人は大蛇を抱えていったい何をしているのか?
もちろん、星座神話の本をひもとけば、あれは古代ギリシャの医神アスクレピオスが天に昇った姿で、彼は蛇の絡みついた杖を携えていたことから、蛇が一緒に描かれているのだ…と書いてあります。でも星座の蛇遣いは杖も持ってないし、古代のお医者さんだって、薬草を調合したり、瀉血術を施したりするのがメインだったはずで、大蛇を抱えていては治療がしにくかろうと、なんだか釈然としないものを感じます。
(アスクレピオスの石膏像(AD 160)。後期古典期のギリシャ彫刻をローマ時代にコピーしたもの。エピダウロス考古学博物館蔵。ウィキメディアコモンズより)
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そもそも「へびつかい座」という和名が、あんまりよくないんじゃないか…と思います。原語の「Ophiuchus」にしろ、その異名である「Serpentarius」にしろ、本来の語義は「蛇を手にした者(Serpent-handler、Serpent-holder)」であり、何か積極的に蛇を使役するイメージはありません。
(Serpentariusと記されたへびつかい座。BC1世紀の著述家・ヒュギヌスの作とされる『天文詩(Poeticon Astronomicon)』のヴェネチア版刊本(1485)複製より)
明治43年(1910)に出た日本天文学会編纂の『恒星解説』では、「蛇遣(へびつかひ)」となっていて、現行の名称はこの頃定まったものと思いますが、それ以前は「提蛇宮」とも訳されていて(※)、語呂はともかく、意味としては「提蛇座」とした方が原義に忠実という気がします。
(※)明治35年(1902)刊・横山又次郎著『天文講話』。ただし直接参照したのは明治41年(1908)第5版。
(おせちを食べつくした重箱の隅をつつきながら、蛇遣いの話を続けます)
へびつかい些談(2) ― 2025年01月03日 10時16分26秒
星座絵で蛇遣いが抱えているのは、ニシキヘビみたいな大蛇ですが、そもそもヨーロッパに大蛇はいないんじゃないでしょうか。
アスクレピオスの蛇のモデルとされるのが、ヨーロッパ原産のZamenis longissimus、英名Aesculapian snakeで、和名のクスシヘビ(薬師蛇)もアスクレピオスにちなんだ訳語です。
(クスシヘビ。荒俣宏『世界大博物図鑑』第3巻「両生・爬虫類」編より)
属レベルで異なるものの、日本のシマヘビやアオダイショウと同じナミヘビ科に属します。体長は大きいもので2mちょっと、普通は1.1~1.6mぐらいだそうなので、「大蛇」という感じでは全然ないですね(それでもヨーロッパでは最大のヘビだそうです)。
(ローマ時代のAD150年頃、より古いギリシャ彫刻を模して作られたファルネーゼ天球儀【参考LINK】の18世紀における模写図より。出典:Ian Ridpath’s Star Tales: The Farnese Atlas celestial globe)
現存する最古の天球儀、「ファルネーゼ天球儀」に刻まれた蛇も、まあ大きいといえば大きいですが、それほど大蛇感はありません。
(紀元前3世紀のアラトスが著した『天象詩(Phaenomena)』のラテン語訳註解を書写した、通称「ライデン・アラテア」(複製)より)
上の9世紀の古写本に描かれた蛇もずいぶん細くて、ある意味リアルな描写だと思いますが、当時のヨーロッパの人がイメージするヘビは、まあこんなものでしょう。
16世紀以降、へび座が大蛇化したのは、大航海時代を迎えて、ヨーロッパの人が実際に大蛇に触れる機会が増えたからかもしれません。
…というような、どうでもいい話を枕に、次回は本題である蛇遣いとアスクレピオスの関係について考えてみます。
(この項、さらに続く)
へびつかい些談(3) ― 2025年01月04日 08時28分17秒
へびつかい座とアスクレピオスの物語はいつ結びついたのでしょう?
(Giuseppe de Rossi による17世紀の天球儀の複製)
こういう考証は文献の森に分け入らないとできないので、素人のよく成し得るところではありませんが、ウィキペディアを眺めただけでも、いくつか有益な情報が得られたので、メモ書きしておきます。
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まず英語版「Ophiuchus」の項【LINK】には、へびつかい座に言及した最古の文献は、アラトス(315/310-240BC)によるもので、アラトスはエウドクソス(BC4世紀の人)の今では失われた著作を参照して、それを書いた…とあります。
アラトスの著作、「ファイノメナ(天象詩)」は、前回の記事にもちらっと出てきましたが、ローマ時代にラテン語訳され、「アラテア(アラトス集)」の名を得て、後世大いに流布しました。伊藤博明氏がそれを邦訳されているので(グロティウス「星座図帳」千葉市立郷土博物館、1993)、へびつかい座に関する箇所の訳文をお借りします。
(上掲・グロティウス「星座図帳」より)
「膝を折り曲げた、不幸な星座[ヘルクレス座]が頭を上げている方向に、<蛇つかい>[へびつかい座]があるだろう。あなたは、まず最初に広大な両肩を、そして次に残りの部分を見いだすだろう。これらの部分では光が減じているが、他方、両肩は、月の半ばの満月のときでさえ、十分な輝きを保っている。<蛇つかい>の手は光が弱く、その間を滑っていく<蛇>[へび座]は、彼の両手によってつかまれ、彼の胴体に巻きついている。彼の両足は<蠍>[さそり座]に達しているが、左足は<蠍>の背中に押しつけ、右足は宙に浮いている。彼が手で支えている重さは等しくない。というのは、彼は右手で<蛇>のごく一部を持ち、左手でその全体を支え、そしてこの左手によって、<蛇>を<冠>[かんむり座]へ達するまで持ち上げているからである。<蛇>の顎の先端にある髪の毛のような星は、天の<冠>[かんむり座]の下で輝いている。」
これを読んでただちに分かるのは、ここに星座の形や星の配置は書かれているものの、アスクレピオスの名も、それらしい神話物語も一切出てこないことです。まあ、他の星座も全部そうなら、「そういうもの」で済むのですが、『ファイノメナ』にはちゃんと星座神話の書かれた星座もあるし、むしろその方が多いので、なんだか不思議な気がします。
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では…と、今度はギリシャ神話そのものに注目してみます。
古代における最も体系的なギリシア神話集とされる、アポロドーロスの『ビブリオテーケー』(高津春繁訳による邦題は『ギリシャ神話』、岩波文庫)を見ると、そこにはアポロンと人間の女性との間に生まれたアスクレピオスが、ケンタウルス族のケイロンによって育てられ、医術を学び、ついにはゴルゴンの血を使って死者をよみがえらせる技を編み出したため、ゼウスの忌避に触れ、その雷霆に撃たれて死んだ…という伝承が書かれています。でも、ここには蛇と関連する記述が何もないし、彼がその後、天に上げられて星座になったという肝心のことも書かれていません。
まあアポロドーロスが、星座神話に一切口をつぐんでいるなら分かるのですが、おおぐま座の有名な物語――アルテミスの女従者カリストが、ゼウスによって星に変えられ、「熊」と呼ばれるようになったこと――なんかはちゃんと書かれているので、これまた「うーむ」という感じです。
(長くなるので、ここでいったん記事を割ります。この項つづく)
へびつかい些談(4) ― 2025年01月04日 08時35分01秒
(前回のつづき。今日は2連投です)
では、「蛇遣い=アスクレピオス」説が、最初に登場するのはいつか?
これまた英語版wikipediaを参照すると、ローマ時代のヒュギヌス作とされる『アストロノミカ』(AD2世紀)に、その記述があるといいます。同書は『ポエティコン・アストロノミコン』の名でも知られますが、 Mark Livingston によるその英訳本(1985)がネットに挙がっていたので【LINK】、それを見てみます。
(ヒュギヌス『ポエティコン・アストロノミコン』、1549年バーゼル版より)
英訳本だと、45頁から48頁にかけて、へびつかい座についての記述があり、あの蛇遣いはいったい誰なのか、諸説が開陳されています。曰く、あれは奸計によって善竜を殺したトラキアの王カルナボンの姿である。曰く、あれはリュディアで大蛇を退治したヘラクレスである。曰く、テッサリアの悪王トリオパスである。いや、トリオパスの息子、英雄ポルバスである…と諸説紛々の中、最後の方に「多くの天文学者は、あれがアスクレピオスだと信じている」と、ようやくお馴染みの説が出てきます。
(Giovanni Cinico による星座図(部分)。羊皮紙に彩飾、1469年、ナポリ。出典:George S. Snyder, MAPS OF THE HEAVENS. Abbeville Press, 1984)
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ここでウィキペディアを離れて、昨年11月に邦訳が出たばかりのマニリウス(マーニーリウス)の『アストロノミカ』(竹下哲文訳、講談社学術文庫)を開いてみます。『アストロノミカ』は、AD1世紀に成立した占星術の古典です。
「大きな蜷局(とぐろ)と捩(よじ)った身体で身体に巻きつく蛇を
引き離しているのは、蛇使いと呼ばれる者。
そうして彼は、輪をなして屈曲する胴のもつれを解こうとする。
しかし、蛇はしなやかな頸を反らして振り返り、
緩めた蜷局で掌を受け流して戻ってくる。
両者の力が拮抗しているため、この戦いはいつまでも続くだろう。」
引き離しているのは、蛇使いと呼ばれる者。
そうして彼は、輪をなして屈曲する胴のもつれを解こうとする。
しかし、蛇はしなやかな頸を反らして振り返り、
緩めた蜷局で掌を受け流して戻ってくる。
両者の力が拮抗しているため、この戦いはいつまでも続くだろう。」
ここにもアスクレピオスの影はなく、むしろ両者は互いに力を尽くして戦っているというのですから、こうなると蛇を悠々と使役するどころの話ではありません。紀元後のローマ世界でも、「蛇遣い=アスクレピオス」は決して自明のことではありませんでした。
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これまでのところを整理すると、古代ギリシャ時代、少なくとも『ファイノメナ』が書かれた紀元前3世紀頃には、既にへびつかい座は空にあったわけですが、その頃はへびつかい座とアスクレピオスの物語は、まだ明瞭に結びついていなかったか、アスクレピオス信仰の強い土地で語られる地方伝承に過ぎず、汎ギリシャ的な共通理解には至ってなかったのではないか…と想像されるのです。「蛇遣い=アスクレピオス」の物語は、その後時間をかけて徐々に整えられ、人口に膾炙したものと思います。
これはへびつかい座に限らず、他の星座神話だって深掘りすれば異説も多いでしょうし、そもそも大元のギリシャ神話が異説だらけなので、プラネタリウムで語られる星座物語を、何か輪郭のかっちり定まったものと考えると、間違うことも多いだろうなあと、改めて思いました。
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ところで、素人考えに屋上屋を架して恐縮ですが、ローマ時代以降「蛇遣い=アスクレピオス」説が力を得たのは、アスクレピオスとローマの固い結びつきによるのかもしれんなあ…とも思いました。これは紀元前後の人であるオウィディウスの『変身物語』に出てくるアスクレピオスの物語を読んで、ぼんやり感じたことです。
それは遠い神話時代の物語ではなく、もっと後の話です。
ラティウムの地(イタリア半島中部)に疫病が流行ったとき、ローマ人がエピダウロスからアスクレピオス神を勧請したことがあったのだそうです。ローマを救うためアスクレピオスは大蛇の姿に身を変え、故地・エピダウロスを後にし、イタリア船で威風堂々と進む姿を、オウィディウスは感動的に描いています。以下、中村善也訳 『変身物語(下)』(岩波文庫)より。
「女も、男も、あらゆるひとびとが、彼を迎えるために、ほうぼうからここへ駆けつけた。トロイアから迎えたウェスタ女神の、その聖火を守る巫女たちも、そのなかにいる。みんなが、歓呼の声をあげて神にあいさつする。快速の船がさかのぼってゆく河の、その両岸には、つぎつぎに祭壇が設けられていて、香がぱちぱちと音をたて、かぐわしい煙であたりをつつんでいた。〔…〕
はやくも、船は、世界の首府であるローマの都へはいっていた。蛇は、高く背伸びをすると、マストのてっぺんに頸をもたせかけ、それを動かしながら、住むのに適した場所を求めてあたりを見回した。
〔…〕アポロンの子である蛇は、ローマ人の船を出ると、この島へやって来た。そして、本来の神の姿にもどって、厄災を終わらせた。この神の到来が、都を救ったのだ。」
はやくも、船は、世界の首府であるローマの都へはいっていた。蛇は、高く背伸びをすると、マストのてっぺんに頸をもたせかけ、それを動かしながら、住むのに適した場所を求めてあたりを見回した。
〔…〕アポロンの子である蛇は、ローマ人の船を出ると、この島へやって来た。そして、本来の神の姿にもどって、厄災を終わらせた。この神の到来が、都を救ったのだ。」
アスクレピオスはギリシャ生まれの神様ですが、同時にローマを救った英雄にして「おらが神様」でもあり、ローマ人にとって蛇とアスクレピオスは一体不可分でしたから、「あにその雄姿、天空になかるべけんや!」というわけで、空に浮かぶ蛇遣いにアスクレピオスを重ねることは、ローマ人にとっていちばんしっくり来る解釈だったんじゃないでしょうか。
(この項つづく。次回完結予定)
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