具注暦を眺める(後編)2024年05月23日 05時15分20秒

大河ドラマのストーリーは、今週の段階で、長徳2年(996)まで進んできました。
この年は藤原道長が政敵を追い落とし、権力を掌握する山場となった「長徳の変」が起こった年であり、一方、主人公の紫式部は――ドラマの中ではまだ紫式部ではなく、「まひろ」と呼ばれていますが――父親である藤原為時の越前国司抜擢にともない、父とともに越前に下った年です。

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その長徳2年の具注暦が手元にあります。

(下辺と右辺の色が濃いのは日焼けによる変色。約28×42.5cm)

具注暦の現物を探していて見つけました。
『御堂関白記』で現存するのは、長徳4年(998)以降のものなので、長徳2年の具注暦はすこぶる貴重です。


といって、もちろん本物ではありません。平成8年(1996)に、「現存しない長徳2年の具注暦の内容はたぶんこうであろう」という考証の末、復元されたものです。


復元に当たったのは青山学院女子短大の藤本勝義氏(国文学)。形態は巻子本ではなく、ばらばらの和紙に刷られていますが、これを表具屋に出して巻物にしてもらえば、より本物らしくなるでしょう。

(奥付)

この具注暦が作られたのは、ずばり紫式部の遺徳によります。
同封されている藤本氏の送り状には、その間の事情がこう書かれていました。

 「〔…〕昨年は紫式部の越前下向一千年に当たり、福井県武生市を中心に、華やかできめ細やかな千年祭行事が催されました。紫式部の通った木の芽峠、湯尾峠などを越える国司下向の旅では、馬が横倒しになり動けなくなるなどのハプニングも生じましたが、紫式部、為時らに扮した一行が峠を上り下りする姿は、千年の時を越えたハイライトでした。

 さて、その千年祭の折、紫式部が武生で見た暦―長徳二年具注暦―を復元・発行しました。原稿を私が執筆・作成し、能筆の前武生市立図書館長の加藤良夫氏が「御堂関白記」具注暦の書体・形式に準じて書写し、越前和紙に印刷したものです。

 今回は正月・六月(越前下向の月)・九月・十月(紫式部が暦を見て歌を詠んだ月)の四カ月分を作成しました。〔…〕」

つまり、本品は今から28年前、「紫式部、越前下向1000年」を記念するイベントが福井県で開催された際、それにちなんで制作され、関係各方面に配られたものです。体裁は『御堂関白記』を参考に、それを一部簡略化(朱書と縦罫を省略)してありますが、これは許容範囲内でしょう。

特筆すべきは、具注暦を現代人が見てもチンプンカンプンでしょうが(少なくとも私はそうです)、この復元品には藤本氏による簡明な解説メモ↓が付いていて、これを見れば一目瞭然…とまでは言いませんが、その構成がおぼろげに分かるのは大層有難いです(メモは下の1枚だけで、暦全体に及ぶわけではありません)。


1000年前の人々の精神世界を律していた暦。
その実際を、こうして手に取って眺めるのは興の深いことで、大河ドラマを見る際も一層力こぶが入ります。