神保小虎・『鉱物界教科書』(その1)2008年10月19日 18時30分58秒


こんな本を通勤電車の中で読んで、怪しさを醸し出しています。

■神保小虎(著)
 『普通教育鉱物界教科書』
 開成館、明治36年

前の和装本から20年ばかり時代を下って、これまた「どうしようもなく明治」な雰囲気の表紙ですが、でも同じ明治でも肌触りが一寸違いますね。世紀の変わり目、日清(1894)・日露(1904)の戦役をはさんで、日本の世相は大きく様変わりしましたが、教科書の表情にもそれが出ているようです。ここにはもう和紙や木版の味わいはありません。洋紙に活版の時代です。(「新世紀教科叢書」というのが、時代の気分を表わしていますね。)

神保小虎という、何か渡世人のような名前の著者は、ものの本によれば「1867~1924。幕臣の家に生まれ、1887年東京大学卒。北海道地質調査後ベルリン大学に留学。帰国後東京大学で鉱物学を講義、1907年鉱物学科主任教授」(平凡社『地学事典』)という経歴だそうですから、押しも押されぬ立派な鉱物学者です。

ネット上で見つけた肖像はこんな↓顔。
http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/photo/doc/0B031770000000.html
東大に移る前は北海道庁の技師をしており、アイヌ語も非常に堪能だったそうですから、なかなかスケール感のある人物ですね。

神保の趣味なのか、本書は勇壮な書き出しで始まります。
「天には日月かかり、星つらなり、地には山聳え、野広がり、川その間を流れて、末には遂に海に入る。われら人類を始めとして、獣や、鳥や、魚や、虫や、はた草や、木や、すべてこの天地の間に生まれ出でて、ここを棲処とし、ここに生長し、ここに繁茂し、ここに終る。これ実に自然界の有様なり。」

これに続く記述を見ていて、鉱物趣味史の観点から、また少し気付いたことがあるので、それを書いてみたいと思います。(この項続く)