『鉱物小学』 読了(後編)2008年10月15日 21時55分33秒

(真紅のタイトルページ。この目を刺すような赤が、江戸ならぬ明治の色。)

何か1日おきの更新が意図せずパターン化しつつあります。現在の余業と本業のバランスから自然こうなっているのでしょう。

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本書の後半は鉱物各論で、各鉱物の性質を略述しています。その際、鉱物界を分類するのに、「最も簡便なる」分類法として、「燃鉱」「金鉱」「塩鉱」「石鉱」の4分類を挙げています。

「燃鉱」とは火に燃えるが水には溶けないもの(金剛石、石墨、石炭、硫黄…)、「金鉱」は火に燃えず水にも溶けず金属光沢のあるもの(金、銀、白金、辰砂…)、「塩鉱」は酸や水に溶解するもの(石膏、方解石、蛍石、明礬…)、「石鉱」は火に燃えず水にも溶けず、金属光沢のないもの(石英、雲母、角閃石、鋼玉石…)です。今の分類体系とは大いに異なりますが、感覚的に判りやすいですね。これなら私にも覚えられるかも。

さて、「鉱物趣味」の歴史という観点から、この本で鉱物の美がどう捉えられているかを見てみましょう。そう思って読むと、この本には「美麗」という語句があちこちに出てきます。

例えば、「(金剛石)…極めて美麗なるものにて 殊に紅、緑等の色彩あるものは 其光彩の燦然たる 得て名状す可からず」とか、「(黄金)…一種固有の黄色を備え 其美麗なること他の金属に優れり」とか、「(柘榴石)…間々明光を有するものありて頗る貴重せらる 其他美麗のものは装飾となし…」等々。

ただ、これらは宝石としての美なので、今の鉱物趣味の王道である「鉱物が鉱物らしくあることの美」(母岩つきの結晶を貴ぶような)とはちょっと方向性が違いますね。

ただ、それにしても、例えば蛍石の記述を見ると「色は白、黄、紅等にして間々美麗なるものあり 之を熱すれば燐光を発し 亦頗る美観なり」と、燐光のように特異な現象にも注目していますし、また石英のようにごくありふれた鉱物が、「光沢玻璃の如くにして…其色彩及び透明性も亦一様ならざれども…混合物なきときは透明にして無色なり」と書かれていて、ここには「美麗」の一句を当てる一歩手前のような口吻が感じられます。この辺が鉱物趣味の芽生えのような…

この本の原著の背後(19世紀後半のイギリス)には、現代に通じる鉱物趣味が前提としてあったはずで、この邦訳書が、その点をどこまで理解していたかは不明ですが、「玻璃の如き」硬質な透明性を美とする感性は確かにあって、その辺から徐々に日本的な鉱物趣味が育っていったのではないでしょうか。