図鑑細見…カラー図版のはなし(1)2009年08月12日 21時36分18秒

** コメントの制限を試行的に外します。**

昨日の昆虫図鑑ですが、著者不明の上、出版年がどこにも書かれていません。古書業者によっては、1940~50年の本と見る人もいるし、1960年代と見る人もいるしで、まあ20世紀中葉と言えば間違いないと思いますが、書痴に憧れる者としては、何となく落ち着かない気分です。

ここは本をして語らしめよう―。そう思って、図版を拡大して凝視。
「ウーム…これは…」と思ったので、そのことを書きます。

  ★

以下、画像の横幅はいずれも約2センチ、800dpiでのスキャン画像です。

上の画像は、はおなじみの網点印刷。
1955年に出た日本の理科教科書からとりました。
「網点」の名前そのままに、トンボの細い翅脈も、色の濃淡も、すべて点で表現されています。

(次項につづく)

コメント

_ S.U ― 2009年08月12日 23時07分02秒

何でもかんでもお尋ねしてしまってすみません。世界で初めて写真(モノクロ)から網点印刷の製版をした時は、どういう技法で画像を網点化したのでしょうか。スクリーンを使ったのだとしたら、どんなスクリーンだったのでしょうか。

以前から気になっているのですが、ネットで調べてもなかなかわからないのです。もしご存じでしたら教えてください。

_ 玉青 ― 2009年08月12日 23時49分39秒

中根勝(著)『日本印刷技術史』(八木書店、平成11年)に関連記述がありましたので、以下書き写します。ガラスに罫書きした交差線スクリーンを使ったということで、何となくイメージは浮かびますが、これ以上の技術的細部はよく分かりません。多少なりともご参考になれば…。

 「ドイツのゲオルグ・マイゼンバッハ (Geòrg Meisenbach)は、1882 年写真網目凸版製版法の特許を得たが、実用になったのは1888年ゲオルグ・マイゼンバッハの研究に協力していた建築技師のシュメールが、自分の工夫製作したダイヤモンド針の彫刻機で、硝子板に平行線を彫り、これを二枚合わせて交差線スクリーンを製作してからである。
 
 アメリカのフレデリック・ユージェン・アイヴス(Frederic Eugene Ives)も1885年にハーフトーン法の名称でアメリカ特許を取得したが、実用になったのは1896年アメリカのレビー兄弟(Louis Edward and Max Levy)がハーフトーン写真撮影用の交差線スクリーンの製作に成功してからである。これによって原稿の連続階調を網点の大小によって表現可能となった。このスクリーンを用いて、連続階調の原稿から網ネガチブをつくり、これをエナメル感光液(重クロム酸塩類を加えたグルー感光液)を塗布した銅板または亜鉛板に密着焼付け、メチルバイオレット液で染色、水洗現像を行い不感光部のエナメル膜を除く、バーニング(摂氏340度程度で5~10分加熱)した板の裏面に耐蝕ニスを塗布、腐食液で腐食して製版を完了する。(p.251)」

_ S.U ― 2009年08月13日 00時21分36秒

ありがとうございます。かなり、...よくわかりました。幾何学的、というよりも、光学的、というように感じました。光の屈折が利用されているのかこれだけではわかりませんが。
 ネットで検索すればたいていのことはわかると思っているのですが、これについては、なかなかわからなかったのが意外でした。今回書いて下さったご説明は、おそらくネット上でも貴重な記述になると思います。(御「天文古玩」はほかにも「貴重な記述」には事欠かないでしょうが)

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