諏訪山、金星台 ― 2010年02月09日 23時31分35秒
今回の旅は、いろいろぬかりもありましたが、それでも事前に大正時代の神戸地図を買い込んだりして、「天文古玩」的にそれなりに力が入っていました。
↑は三宮駅(今の元町駅)から北の街区。左の端に見えるのが大倉山公園で、そこから東北東に進むと、支那人墓地、宇治野山(傍らに山手倶楽部)、そして測候所に至ります。もちろんここが旧海洋気象台の跡地。
ここから更に進んで、今度は諏訪山の金星台をめざします。
ここから更に進んで、今度は諏訪山の金星台をめざします。
諏訪山は諏訪神社のある場所です。ここは華僑の人々の信仰も厚い社だそうで、周辺には独特のエキゾチズムが漂っています。
(金星台に至る途中のジブリっぽい家)
神社から少し下がった位置、南に開けた高台が「金星台」。
ここは神戸屈指の天文史跡です。
(金星台全景。左手前が記念碑)
金星台は、明治7年(1874)12月9日、フランス隊による金星の太陽面通過が観測された場所で、地名はもちろんこの故事に由来します。フランスは当初長崎に観測隊を送りこんだのですが、悪天候に備えて、さらに神戸にも別働隊を派遣し、結果的にいずれも観測に成功しました。
(観測記念碑正面)
(同裏面)
明治7年というと、日本で太陽暦が使われだして2年目、まだ東大の本郷観象台すらできていなかった頃ですから、この金星の太陽面通過は、日本人が本格的な西洋式天体観測を目にした初めての機会であり、本邦天文学史において大きな意義を持つとされます。この地はいわば我が国の近代天文学発祥の地の1つ。
(記念碑と太陽。130年あまり昔、この前を金星がよぎりました。)
なお、この時使用された可動式子午儀は、現在、明石市立天文科学館に保管されているそうです。
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金星台では、約90年前、大正の半ば頃にも大変な出来事がありました。
当時トアホテルに滞在していたドイツ生れの魔術の大家、シクハード・ハインツェル・フォンナジー氏が、南方熊楠はじめ多くの人々の懇願を聞き入れ、金星台上空に「星造りの花火」を打ち上げ、宝玉のごとく光り輝く星のイルミネーションを作り出したのです。
「星造りの花火」の原理は未だ詳らかではありませんが、片手で持てるほどの金属製円筒にファンタシューム、カーバイト、その他の薬物を混合して入れておくと、一定時間後に次々と星が(さらには彗星までも)打ち出され、約1時間そのかがやきを保つのだそうです。
当日はそのニュースを聞きつけた神戸市民の大群衆で、一帯は大変な有り様でした。
やがて「諏訪山から、真紅色の、まだどこにも知らなかったような透き通った美しい紅玉が、追っかけッこをするように昇り出したのが見えました。つづいて澄み切った緑色の光の玉が会下山の方から、何と云ってよいか判らぬ紫色のタマが気象台の横から。青、白、赤、藍、乳白、おぼろ銀、海緑、薔薇紅、オレンジ―なかには恐ろしくまぶしい化物めくものがまじって、かなたこなたからめちゃくちゃに昇り出しました。」
その下を、うれしいのか怖いのか分からぬまま、「シクハード万歳!」「シクハード万歳!」と叫びながら走り回ったのが、若き日の稲垣足穂でした。
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もちろん、これは足穂の脳髄にきざした一篇の詩的映像、フィクションに過ぎません(『星を造る人』、初出・大正11年)。しかし、ここは確かにそういう夢を投影したくなる場所だったのでしょう。そうした雰囲気は今もかすかに残っているようです。
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