書痴述懐2011年04月15日 05時52分00秒

古書の話をもう少しだけ。

   ★

以前、荒俣宏氏がご自分の蔵書(博物学書)を武蔵野美術大学に売却されたという話題を書きました。

■博物図譜とデジタルアーカイブ
  http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/05/31/5128571

その中で、私は「氏の行動はあまりにも恬淡として、少なからず違和感を覚えます…結局のところ、荒俣氏にとっての博物図譜は「資料」であって、愛書の対象ではなかったのか?」という疑念を述べました。

最近、その疑念を解く記事を読みました。


■荒俣宏さんにいざなわれる 目眩く愛書家(ビブリオファイル)の世界
 http://www.1101.com/aramata_hiroshi/index.html

↑の記事によると、荒俣氏のコレクションの4分の1が洋古書販売の雄松堂に寄託されており、残りの半分が氏の母校である慶應大学に、さらに残りが武蔵野美術大学と国会図書館に買い取られたのだそうです。

で、このインタビューの中で、こんなやりとりがあります。

「アラマタ先生にはまだ欲しい本が、あるんですか?」
「いや、もう、手に入れたいと思う本は一回は買いましたね。」

きっぱり言い切るところがすごいですね。
「一回は買った」という言い回しも、底知れぬ感じです。

「ただね、本日、ご紹介さし上げた愛書家向けの本は、ふつうの本とちがって次の誰かに渡さなければならないから…。〔中略〕だからわたくしも「つなぎ」のコマのひとつとして保管しているだけなのです。」

なるほど、そういう思いで蔵書を手放されたのですね。
一種の諦観でしょうか。人生の有限性を、知識ではなく実感として知れば、所有ということは確かに空しい。
「古書は人の手から人の手へと渡っていく」と思ったのは錯覚で、実は人間の方が不動の古書の森を通過しては消えて行く…そんなイメージも浮かびます。

我が身を振り返り、思うこと多々。でも荒俣氏ぐらいにならないと、なかなか「解脱」は難しいのではないか…という気も正直します。

コメント

_ 清水 ― 2011年04月15日 11時59分20秒

まあ果たして荒俣氏の著書が将来古書になりうるかという問題もありますけどね。。。

_ 清水 ― 2011年04月15日 14時21分13秒

すみません、さきほど投げやりなコメントを残してしまいました。その後「愛書家の世界」拝見しましたが、、、すっかり堪能しました。

_ mimi ― 2011年04月15日 19時01分19秒

お久しぶりです。実は、震災の前日に日本からフランスへ戻り、あの震災をテレビで見ることとなり、しばらくショックを受けていました。
日本のニュースと海外でのニュースの違い、一体どちらが本当なんだろう?と首をひねる毎日。それでも、チェルノブイリから30kmしか離れていない村で育った52歳になる友人が、「私はそこで育った野菜を食べ、普通に暮らしてきたけれど、この年までこんなに元気。他人に何を言われても、わが故郷ほど素晴らしいところはないのよ」と話してくれるのを聞いて、微力ですが、私こそが被災された方たちの力強さや復興していくことをフランス人に伝えようと思っています。
自然の脅威には勝てないけれど、それでも科学や物理学などの研究でまた再興されていくと思いますし、学問を超え、「なんとかしたい」というエネルギーが、時に想像を遥かに超えた何かを産みだしますもんね。

ところで・・・。
「古書は人の手から人の手へと渡っていく」と思ったのは錯覚で、実は人間の方が不動の古書の森を通過しては消えて行く…

こちらの文章、非常に感銘しました。
昨日、私の部屋の古書たちを整理していましたが、いつかは古書の森になるよう蒐集していきたいと思います。
こちらで拝見する古書は、いつも素晴らしく、いい刺激になります。
みなさんのように科学や天文には精通しておりませんが、それでも壮大なロマンを感じます。子供に向けた天文学の素晴らしい飛び出す絵本(フランスらしい)が、最近発売されていて、ペーパークラフトですが、なかなか蒐集魂を刺激してくれるよい作品です。全部で3冊ありますが、揃えて中身を読んでみようと思います。

_ toshi ― 2011年04月15日 23時59分52秒

お久しぶりです.荒俣氏の言葉,美術品についても当てはまります.
蒐集家は歴史の流れの中で,時の重みのある作品を一時お預かりするだけですね.

_ 玉青 ― 2011年04月16日 10時11分43秒

○清水さま

>投げやりなコメント

あはは、しかし正鵠を射たご指摘かと。
こういったからと言って、本を買うために本を書いた(と言われる)荒俣氏はお怒りにはならないでしょう。愛書家として名を残せれば、氏にとっては本望に違いありません。
(でも、少なくとも『世界大博物図鑑』は末永く残る業績でしょうね。電子ブック化もされましたが、あれはやはり紙の本で持っていたい気がします。)

○mimiさま

こんにちは。ご遠方からのコメントありがとうございます。
内外の震災報道の温度差に首をひねる方が多いようですね。
mimiさんに触発されて、私も記事を1本書いてみました。

古書の森…それは現実世界と心の世界の境界に存在するのでしょう。
mimiさんが作られた現実世界の古書の森は、mimiさんだけが彷徨える特権を持つものですが、反対に心の側から接近すると、他の人でもふと迷い込む可能性がある。その入口は常に開かれているけれども、誰の目にも見えるわけではない…。実に不思議な森です。

素敵な飛び出す絵本、気になりますね。是非また詳細を教えて下さい。

○toshiさま

愛書家(そして美術蒐集家)の喜びと苦悩は、対象の永続性(本当に永続するわけではないにしても)にあるのでしょうね。

記事で引用した例のサイトの冒頭には、
「あまりに本が好きすぎて、好きすぎて、友人たちがこぞって恋人を抱く青年時代にも「本を抱いて寝ていた」荒俣宏さん」
という記述があります。

いつまでも美しい「恋人」を掻き抱くことが幸せなのか、
生身の恋人と共に老いさらばえて、お互いに添い遂げることが幸せなのか、
ここでまた思いは乱れます。

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