夏休みは理科室へ…理科室の怪談(その4) ― 2011年08月09日 21時01分00秒
(↑液浸標本戸棚。 近畿教育研究所連盟編、『理科教育における施設・設備・自作教具・校外指導の手引』‐昭和39年‐より)
ここまでのところを、もう1度まとめて、怪談の場所、出現する怪異、それにまつわる因縁譚、不気味さを演出する理科室アイテムを書き抜いてみます。
<戦前>
○事例1
場所…標本室の前に続く中2階の教室、
怪異…ノッペラボウの娘
因縁譚…学校の裏の娘がそこで死んだ
理科室アイテム…人体標本
○事例2
場所…理科室
怪異…壁面に現われる大人の手の跡
因縁譚…校舎建築時にその壁の裏から左官職人が転落死。校舎は昔墓地だった。
理科室アイテム…特になし
<昭和20~30年代>
○事例3
場所…理科室
怪異…女のすすり泣き
因縁譚…昔、理科室で女が心臓麻痺で死んだ
理科室アイテム…骸骨
○事例5
場所…理科室
怪異…理科室に入る火の玉を目撃
因縁譚…夏休みに水死した生徒の作った標本が理科室にあった
理科室アイテム…蝶の標本
<昭和50年代以降>
○事例4
場所…理科室
怪異…夜の間に部屋の鍵が開く
因縁譚…音楽室から飛び降りた女性の顔を標本にして理科室に保管。
理科室アイテム…女の顔の標本
○事例6
場所…理科室
怪異…数年前に死んだ理科の先生が夜中に出現
因縁譚…(先生の寄贈した時計が理科室にかかっている)
理科室アイテム…先生が手にしたフラスコ、試験管
○事例7
場所…理科室
怪異…ホルマリン漬けのカエルが鳴き出す、ガイコツの模型が話しかけてくる
因縁譚…特になし
理科室アイテム…ホルマリン漬けのカエル、ガイコツの模型
★ ★
ごく少数のサンプルから大胆に推測してみます。
初期には、理科室周辺で不慮の死を遂げた死者の霊が怪異の主役だったのに、だんだん理科室に置かれたアイテムそのものが恐怖の対象となり(事例6の「理科の先生」も理科室に付属する存在であり、一種のアイテムと言えるのではないでしょうか)、それと並行して、因縁譚の希薄化傾向が見られます。いわば、心理的恐怖から即物的恐怖への転化が生じているわけです。
「え、理科室の怪談?夜中に人体模型が動き出すという、あれでしょ?」と、今では当然のように考えられていますが、実は、それはここ3~40年ぐらいの話ではあるまいか…というのが、現時点における私の推測です。
「理科室の怪談」の内実が、昭和40年代以降、変質を遂げた理由は、容易に想像できます。それは、昭和30年代を通じて、理科室そのものが各学校に普及し、同時に理科室備品も大幅に増加したからに違いありません。
当り前の話ですが、理科室も人体模型もなければ、それにまつわる怪談の生まれようがありません。(昭和33年当時、まだ全国の6割の小学校には理科室がありませんでした(注1)。また、文部省が定めた「理科室設備基準」の充足率は、昭和29年にはわずか15%で、それが70%に達したのは、ようやく昭和40年のことです(注2)。)
さらに、学校文化・学校民俗は、その参加者の意識としては、1校だけで完結しているように思えても、実は周辺校も含めて面的な広がりがないと成り立たず、理科室の怪談の場合も、地域全体に理科室が普及し、充実化が図られて初めて成立したのだ…ということも、仮説として述べておきたいと思います。
つまり、怪談というのは本質的に「語りの文化」ですから、例えば「友達のお姉さん」とか、「塾で知り合った隣の学校の奴」とかを含む、広範な語りのネットワークの中で、「ああ、分かる、分かる」と、共感的に受け止められて、初めて意味なり力なりを持ちうるので、市内の先進校にポンと理科室ができたからといって、それだけですぐ理科室の怪談が生まれるわけでもないのでしょう。
★
ところで、私自身のことをふり返ると、小中高を通じて、母校にまつわる怪談や七不思議を聞いた記憶がなくて、なんだか寂しい学校生活でした。私も「語りのネットワーク」とやらに参加して、きゃーきゃー言ってみたかった…。
(注1) 戦後の理科室について
(http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/12/10/2501818)
(注2) 魅惑の理科準備室(付・理科室の昭和30年代)
(http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/06/03/5895570)
コメント
_ S.U ― 2011年08月09日 21時59分38秒
_ 玉青 ― 2011年08月10日 22時13分18秒
理科室に化物は似合わない―。
「科学する心」に照らすと本来そうあるべきでしょうが、ひとたび悪童連の手にかかると、「『幽霊なんて迷信に過ぎん!』と呟きながら、夜ごと理科室を徘徊する理科教師の亡霊」なんていうヤヤコシイ存在を、苦もなく生み出しかねませんからねえ(笑)。
「科学する心」に照らすと本来そうあるべきでしょうが、ひとたび悪童連の手にかかると、「『幽霊なんて迷信に過ぎん!』と呟きながら、夜ごと理科室を徘徊する理科教師の亡霊」なんていうヤヤコシイ存在を、苦もなく生み出しかねませんからねえ(笑)。
_ S.U ― 2011年08月11日 06時47分45秒
>『幽霊なんて迷信に過ぎん!』...する理科教師の亡霊
意外にも、これはこれでリアリティがありますね!
さらに我が経験を述べさせていただきますと、地方都市で育った小中生の時代に、私は「学校の怪談」を、何となく都会的(東京から届く雑誌に載るような)で、伝承としては「新興ジャンル」に属するものとして理解していたように思います。
既存ジャンルとしては「土着旧弊的伝承」があったはずですが、子どもはそんな古くさいものには興味がなく、子どもの「語りのネットワーク」でささやかれていたのは、おもに近隣地域で起こった現実の不祥事(殺人、心中、集団の喧嘩、放火など、実話だと信じられる事件)でした。
推論ですが、昭和40年代は、「学校の怪談」自体が旧来のジャンルを置き換えるべく全国遍くに爆発的な普及を見せた時期なのではないかとみますが、そうだとすると、理科室の怪談の変化にはそのへんの効果もありそうに思います。
意外にも、これはこれでリアリティがありますね!
さらに我が経験を述べさせていただきますと、地方都市で育った小中生の時代に、私は「学校の怪談」を、何となく都会的(東京から届く雑誌に載るような)で、伝承としては「新興ジャンル」に属するものとして理解していたように思います。
既存ジャンルとしては「土着旧弊的伝承」があったはずですが、子どもはそんな古くさいものには興味がなく、子どもの「語りのネットワーク」でささやかれていたのは、おもに近隣地域で起こった現実の不祥事(殺人、心中、集団の喧嘩、放火など、実話だと信じられる事件)でした。
推論ですが、昭和40年代は、「学校の怪談」自体が旧来のジャンルを置き換えるべく全国遍くに爆発的な普及を見せた時期なのではないかとみますが、そうだとすると、理科室の怪談の変化にはそのへんの効果もありそうに思います。
_ 玉青 ― 2011年08月12日 20時34分33秒
学校の怪談は「都市伝説」であり、文字通り都市のものであった…。
実に微妙な時代の感覚ですね。
昭和40年代後半、これはズバリ私の小学校時代ですが、その頃は「うしろの百太郎」とスプーン曲げが子どもたちの心を捉えていて、全国の子どもたちが身近に怪奇なものを激しく求めた時代でした。と同時に、オカルト的な話題がマスメディアに乗ったことで、怪談も全国的な画一化が一気に進んだ時代だったかもしれません。口裂け女もメディアがなければ、あれほどポピュラーな存在にはならなかったでしょう。対面型の語りのネットワークが機能した時代から、メディアが妖怪を生み出し、その細部を規定する時代へ…。
でもネット時代になって、語りのネットワークが新たに復活したような気もします。
実に微妙な時代の感覚ですね。
昭和40年代後半、これはズバリ私の小学校時代ですが、その頃は「うしろの百太郎」とスプーン曲げが子どもたちの心を捉えていて、全国の子どもたちが身近に怪奇なものを激しく求めた時代でした。と同時に、オカルト的な話題がマスメディアに乗ったことで、怪談も全国的な画一化が一気に進んだ時代だったかもしれません。口裂け女もメディアがなければ、あれほどポピュラーな存在にはならなかったでしょう。対面型の語りのネットワークが機能した時代から、メディアが妖怪を生み出し、その細部を規定する時代へ…。
でもネット時代になって、語りのネットワークが新たに復活したような気もします。
_ S.U ― 2011年08月13日 07時54分33秒
>実に微妙な時代の感覚
私の記憶でも、当時の地方の小中生が、都市部にあると聞く学校の怪談と同等のものが自分の学校にもあってほしい、と願ったというのは極めて自然に感じられます。
>語りのネットワークが新たに復活
これは、結局は、土着旧弊型が都市の雑踏に舞台を移して復活していることになるのでしょうか?
私の記憶でも、当時の地方の小中生が、都市部にあると聞く学校の怪談と同等のものが自分の学校にもあってほしい、と願ったというのは極めて自然に感じられます。
>語りのネットワークが新たに復活
これは、結局は、土着旧弊型が都市の雑踏に舞台を移して復活していることになるのでしょうか?
_ 玉青 ― 2011年08月13日 17時09分31秒
>土着旧弊型が都市の雑踏に舞台を移して復活している
どうもそんな気がしますねえ。
霊・魂・呪い・あやかし・魔…こういった概念は、ジャンルを問わず、あらゆる漫画・アニメ・ライトノベル作品に取り入れられてて、一部の若い人にはものすごくリアリティが感じられるようですね。そして、それが今ネットを通じて拡大再生産されているわけです。その是非はともかく、人が世界と向き合う時、そういった解釈装置を必要とする(場合がある)のは確かなようです。
どうもそんな気がしますねえ。
霊・魂・呪い・あやかし・魔…こういった概念は、ジャンルを問わず、あらゆる漫画・アニメ・ライトノベル作品に取り入れられてて、一部の若い人にはものすごくリアリティが感じられるようですね。そして、それが今ネットを通じて拡大再生産されているわけです。その是非はともかく、人が世界と向き合う時、そういった解釈装置を必要とする(場合がある)のは確かなようです。
コメントをどうぞ
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私も、伝統的な伝承として怪談は、本来、因縁譚としての不幸な事件を必要とするものだと思います。だとすると、理科室で事件が起こる可能性はそもそも低そうであり、かつ設定される被害者の候補は理科の先生や理科好きの生徒ですが、日頃から科学的精神を説く理科関係者が化けて出るというのもストーリーとしてしっくり来ません。理科室の怪談自体が、因縁譚になじみにくい傾向を内包していたと考えます。
私が在学中に聞いた学校の怪談は、階段にまつわるもので、夜間に数えると段数が増えるという、いわゆる「十三階段」に分類されるものでした。他にもあったかもしれませんが忘れました。