足穂の里へ(9)…番外編・天文科学館(後編)2011年09月16日 05時48分24秒



子どもたちに人気の手回しオーラリー…と書きたいところですが、たいていの子どもはグルグルとハンドルを2、3回まわしただけで、ダーッと次の展示に走っていきます。惑星の公転は、あまり子どもたちの興味を引く対象ではないようです。

(「オーラリーについて講じる哲学者」 ジョゼフ・ライト画 油彩 1766年頃.
出典:http://en.wikipedia.org/wiki/File:Wright_of_Derby,_The_Orrery.jpg

かつては、大人も子どももオーラリーに夢中という時代もあったのに、現代人には、当時の人々の心境を想像するだけでも一苦労。まあ、人間の視野の広がりを喜ぶべきかもしれませんが、現代の科学館の担当者の苦労も多とせねばなりません。


昔の北京天文台に置かれた(今もあるはず)渾天儀のミニチュア。
(以前、コメント欄で渾天儀の模型があったら欲しいという声があったのを思い出しました。たぶん、中国現地に行けば、類似の品が土産物として売られているのではないでしょうか。)


かつて記事(http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/11/18/4703549)にしてから、2年目にしてついに対面した、カール・ツァイス・イエナ製のプラネタリウム。
現役としては国内最古、世界でも5本の指に入るという古参兵の雄姿と、「にっぽんの伝統話芸」とも呼ぶべき生解説の魅力を、心ゆくまで堪能してきました。

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以下、おまけ。


天文科学館のお土産のポップアップカード。(100円也)


天文科学館のリーフレットより。これぞ日本のローズライン。明石には東経135度を示すモニュメントがいろいろあります。


天文科学館に行く前に、付近をぶらぶらしている時に見つけた、国道沿いの標柱(昭和8年=1933年建立)。現在は鞘状の覆いですっぽり覆われて、ちょっと窮屈そうです。

(天文町のバス停)

この辺は前述のように寺社も天文尽くしですし、おまけに「天文町」という町名までできています。天文趣味の徒にとっては端倪すべからざるエリアです。


天文町1丁目1番地に暮らすなんて、なんだか素敵じゃないでしょうか?


(この項つづく。次回は明石最後の目的地、無量光寺を目指します)

無駄 無駄 無駄 無駄 無駄ァァァ!2011年09月18日 07時22分59秒

(↑激しく繰り出されるこぶし。)

「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくるDIOにぶちのめされたような気分。
たかがネット、それがなぜこうもつながらないのか?

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修理に出していたPCが帰ってきました。
いや、修理はまったくしなかったそうです。要は「どこもおかしくない」とかで、かかった費用は0円でした。メーカーの方で確認したところ、ネットへの接続はまったく問題なしとのことでした。(実は修理に持ち込んだ店頭でも確認してもらって、「お客さん、別に普通につながりますよ」と言われたのですが、念のためメーカーに送ってもらったのです。)

むむむ…と思って、久しぶりに我が家のケーブルとモデムにつないでみました。
あ!つながった!!と思ったんですが、しばらくしたら、またつながらなくなりました。その後はてこでもつながりません。

とすれば、つながらなくなった直前に何をしたか?が問題ですが、それはあるソフトのインストールでした。「君ィ、それなら原因はそれじゃないか!」ということで、すぐさま問題のソフトをアンインストールして、さらに本体とモデムの完全初期化もしたのですが、それでもダメなので、どうも狐につままれたようです。「本体の故障か?」と思っても、すでにメーカーから異常なしのお墨付きを得ているので、かえって始末が悪いです。

ここは「知恵袋」ではないので、こんなことを書くのはどうかと思いますが、もしお読みの方でヒントがあればご教示ください。

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主症状は、インターネット接続の状態表示が「限定または接続なし」になって、つながらないというものです。ADSLモデムの方は、ランプ表示はすべて正常で、現に他のPC(今書いている機械です)をつなぐと問題なくネットに接続できます。

PCのことは、普通の家電製品と同程度にしか分かってないのですが、分からないなりに分かったことは、どうもIPアドレスの割り当てがうまくいかないということ。自動で割り振られるアドレスが、通常の192.168….とかでなくて、169.254….(リンクローカルアドレスというらしいですね)になっている一方、デフォルトゲートウェイには何も割り振られません。

つながらない原因はここか…と思って、両者を手動で割り当ててやると、何となくつながる気配を見せます。すなわち、接続の状態表示は「接続」になるのですが、つながるのはどうもモデムまでで、そこから先のインターネットに出て行けないようです。

上述した別PCと同じデフォルトゲートウェイのアドレスを割り当ててやってもダメ。変だなあ…と思って、試しにそのデフォルトゲートウェイのアドレス宛にpingを打っても、何も返ってきません(もちろん別PCからなら返ってきますし、問題のPCからでも、手動で割り当てた本体のIPアドレス宛てのpingは返ってきます)。「なるほど、この辺が根本原因か」とは思うものの、ではどうすればいいのか、途方に暮れます。

そもそも、私はデフォルトゲートウェイとは何なのか、いまだによく分かってませんし、pingを打つという行為も、人生において昨日初めて行ったのです。人生初ping打ち。

今はネットを徘徊して、いろいろ「これはいい」と言われる方法に飛びついては、一瞬の希望と更なる絶望を繰り返している状態。なんだか、怪しげな健康食品や、奇抜な療法にすがる患者さんの気持ちがよく分かる気がします。…ああ、だんだん厭世的になってきました。神を呪う言葉がつい口をついて出るのは、こんな折です。

単純にケーブルとかコネクタとかの問題なんでしょうか。でも、同じケーブルを使って他のPCはネットにつながるし、問題のPCにしたって、他の場所に持ち込めばネットにつながるんですから、何だか妙な具合です。

とりあえず、ADSLモデムの交換を回線業者に依頼しました(リースなので、費用がかからないのはちょっと嬉しい)。それまでは悩みを棚上げにすることにします。



【15:00追記】

その後もいろいろやっているうちに(悩みは棚上げと言いながら、結局ずっとかかりきりです)、状況が整理されてきました。
問題を簡潔に振り返ると、現状は次の通りです。

1)これまでつながっていたのに、急にインターネットにつながらなくなった。
2)つながらない状態でIPアドレスを調べると、「169.254xxx」になっており、IPアドレスが正常に割り当てられていないことが判明。
3)ローカルエリア接続の修復を試みるが、「IPアドレスの更新ができないため、修復を完了できない」と言われてしまう。
4)ipconfigのrelease や renew を試すが改善せず。
5)モデムの電源を入れ直してみるが改善せず。

こういう状態はわりと普遍的なトラブルのようで、似たような質問する方が少なくないことも分りました。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2549742.html
http://windowsxp_nec.pasokoma.jp/c_408225.html

下記にも丁寧な説明があるので、これに従ってチェックしてみました。
http://faq.zaq.ne.jp/faq/1032net/app/servlet/qadoc?002009
しかし、「確認事項1~7を確認しても接続できない場合は、お手数ですがエリア別の窓口へお問い合わせください」というところに行ってしまい、そこから先に進めません。

同じような症状の人で、システムのリカバリーで直ったという人もいますが、我が家の場合は、リカバリーしてもつながりません。(しかし、つながった時もあります。どうも動作が首尾一貫しないので困ります。)

上記に加えて特徴的と思える点は、

6)正常につながった状態で、「システムの復元ポイント」を作成(OSはXP)。
7)その後、つながらなくなった時に、上記ポイントでシステムを復元すると、システム自体は正常に復元されるものの、やはり接続できない。念のためさらに再起動しても同じ。
8)しかし、その状態で何もさわらずに電源を落とし、1時間ぐらい放置してから再度立ち上げるとつながる。(この間、モデムの電源は入りっぱなし)

ネットの情報では、こうなるとどうも「DHCP周り」が怪しいとなるようです。
DHCPとは何だかよく分りませんが、私の家の環境でいうと、ADSLモデムの中にそれが入っているんでしょうか。モデムを出荷時の状態に戻しても問題が続くということは、やはりモデム自体に物理的な問題があるんでしょうか。

8)の点も不可解です。ちょっと寝かせておくと直るというのは、どういう理屈なんでしょう。それとも単なる偶然でしょうか。うーむ…謎です。



【22:00追記】

夕方、宅配の人が代替品のモデムを持ってきてくれました。
一縷の望みをかけて新しいモデムにつないだものの、状態は変わらず。
再度、メーカーのサポートに電話をかけて、LANドライバーの入れ替えや、BIOSがどうとか、いろいろ考えられる限りの方法を改めて教えてもらいましたが、ダメでした。

「最後の手段はシステムをリカバリーすることですが…」
「それは最初にやりました。」
「すると、当方でご提案できることは、もうないに等しいです。」
「では、せめて問題がどこにあるか分かりませんか?ケーブルから先の問題でしょうか?」
「おそらくは。」
「でも、他のPCだと普通につながるんですが?」
「そこが解せないところではありますが…」

サポート担当の人に解せないことが、私に解せるわけがありません。

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「むう…」と、私はここでしばし沈思しました。
「これほどまでにつながらないのは、きっと何か深い意味があるにちがいない。ひょっとして、これは一種の天啓ではあるまいか?」
そのとき厳かな天の声が、私の頭上に響きわたりました。
「光あれ!!」

そうか!光か!!!

…というわけで、私はこれを機会に、ADSLから光回線に乗り換えることにしました。
(まあ、光に替えたからといって、問題が解決する保証はありませんが、本体に問題はなさそうですし、接続方法を変えれば活路が開けそうな気が漠然とします。それに何せ天の声ですから、ここは従うしかありません。)

DIOとの勝負は、しばしお預けです。

足穂の里へ(10)2011年09月19日 19時28分16秒

さて、しょうもない話はおいといて、明石紀行の完結編です。
考えてみれば、明石を訪問してからもう1ヶ月も経っているので、時候遅れもいいところですが、この一文を終える前に、どうしても訪ねておかねばならない場所があります。
浄土宗・無量光寺です。

ここは明石川の河口に近く、足穂の祖父の家の近所でもあるので、今回の明石探訪では最初に立ち寄った場所ですが、話の順序として、記事にするのはいちばん最後に回しました。

(左に無量光寺、右寄りに連載の初めの方で登場した浄行寺や岩屋神社が見えます。足穂にとっては馴染み深い一角。)

30過ぎで明石に戻った足穂の生活は、ある意味、この寺を中心に回っていました。
当時の住職は、足穂の友人である小川龍彦。彼は東京遊学中にトルストイの翻訳を手がけるなど文学志向の人で、明石では当時流行の民芸運動に関心を持ち、境内に窯を築き、自ら作陶にふけるほどの入れ込みようでした。足穂は彼の善良な資質を好ましく思い、その好意にかなり甘えていたと思います。彼は一時ここの庫裏に寄寓し、そこから実家に通うような生活を続けていました。

(南を向いた山門はなかなか立派です。)

その夫人が、作中では「奥さん」あるいは「O夫人」として登場する小川繁子です。
彼女はプロレタリア演劇からスタートした俳優・薄田研二の実妹で、才気煥発なハツラツとした女性でした。足穂と彼女の関係は、地方新聞のゴシップとなりましたが、足穂にとって彼女は恋着の対象というよりも、精神的マドンナのような存在だったでしょう。

(山門の向かって左、土塀沿いに明石川の方へと続く「蔦の細道」。その昔、光源氏が想いを寄せる明石上のもとへと通った道だとされます。もちろん後世付会したフィクショナルな旧跡です。)

足穂は繁子の励ましによって、自選集「ヰタ・マキニカリス」の編纂に着手し、繁子はそのための特製原稿用紙を彼にプレゼントしました(心憎い配慮!)。また足穂が古着屋を始めたとき、貴重な時間を割いて熱心に手伝ってくれたのも彼女でした。足穂にとっては、実に頼もしい異性の友人です。

(本堂前の灯籠は大正時代に作られたものなので、足穂も親しく見たでしょう。)

また、無量光寺で暮らしていたころ、彼の精神生活において重要な位置を占めたのが、当時まだ中学生(今なら高校生)だった年若い友人の存在で、足穂は彼と非ユークリッド幾何学やら三体問題やらを語らって、心を慰めました。まあ、実際には、この天才肌の中学生の方が、足穂よりも一層進んだ数学趣味を持っており、足穂の方が少々受け太刀になっていた気配もあります。この友人はやがて肺を病んで帰らぬ客となりましたが、彼の思い出は、その後「菟(うさぎ)」という短編にまとめられました(作中では、彼は少女として描かれています)。

(本堂から山門をふり返る。左手が庫裏。右手は今も続く窯場。)

(庫裏。足穂当時と同じ建物かどうかは不明。)

足穂の第2期明石時代は、外面的にはどうしようもない、酒びたりで、その日暮らしの、野放図な生活でしたが、これら浮世離れのした人間模様の中で、足穂が本格的な天文趣味にのめりこんでいったのは見逃せません。小川住職夫人・繁子に星座の手ほどきをすることに始まり、お手製の天球儀を作ったり、小形望遠鏡を買いこんで物干し場で筒先を振り回したり、最新の宇宙論を読みふけったり…。
彼がイメージ先行の宇宙的郷愁の徒で終わらなかったのは、この時代の経験が下地になっているからで、彼の作家的成長にとっては重要な時代だったと言えます。

(この項おわり。とりあえずこれで明石を後にして、神戸へと引き返します。)

またぞろ仕事の話2011年09月20日 21時59分20秒

この3連休は「しょうもないこと」で空しく過ぎ去りました。
本当はこの間に、日本ハーシェル協会の仕事をするつもりだったのですが、何もできないまま今日に至りました。今日から本気でそちらに力瘤を入れないと、タイムリミットに間に合わないので、記事の更新をしばらくお休みします。

博物美、そして博物Bar2011年09月24日 10時39分52秒

記事の間隔が開いています。
例の仕事はまだ途半ばですが、ちょっと気が付いたことをメモ。

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今日の朝刊一面は、ユーロ安の話題と、「ニュートリノは光速を超えた」というセンセーショナルなニュースでした。紙面に載った専門家のコメントは、懐疑的なものが多いようで、今のところ白黒はっきりしない話ではありますが、記者氏も含めて、一般の興味は「すわタイムマシンの実現か!?」というところでしょう。(両者がどう結びつくのか、定かではありませんが。)
今、改めてブラッドベリを読んでいるので、なんとなく懐かしいSF世界を目の当たりにしたような気分になりました。

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さて、本題はこちら。
昨日、仕事の合間にボーっとして(ボーっとする合間に仕事をして、かもしれませんが)、またネットを徘徊。もう何百回も何千回も続けている検索作業によって、だいたいの場所はなじみのような気がしていたのですが、昨日は全く初見のサイトに行き当たりました。

■Vicious Sabrina Archives
 http://vicioussabrina.blog72.fc2.com/

表題のヴィシャス・サブリナというのは、退廃美とヴンダーな世界に魅せられた、1人の架空の女性の名前です。
その非在の女性に仮託して創作活動をされている―より正確に言うと、その創作活動を通じて非在の女性の人格を形成している―アート&デザインユニットが情報発信しているのが上記のページ。
(上のブログを含むさらに上位の公式サイトはこちら http://vicious-sabrina.com/)。

架空の女性ヴィシャスは、架空の邸内に自らのヴンダーカンマーを作り上げ、そこで博物趣味にあふれたアクセサリーを制作しており、そのアクセサリー自体は現実のものとして販売されています。“Accessry of Curiosities – Wunderkammer von Vicious Sabrina/学術標本を蒐集するアクセサリー”と銘打った、その創作コンセプトは以下に。
http://vicioussabrina.blog72.fc2.com/blog-entry-56.html

ヴンダー趣味や博物趣味は、今やこういう方向に太い枝を伸ばしていたのかと、少なからず驚きを感じました。そしてその主が、80年代生れの若い世代であることにも。

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さらに過去のエントリーを見ていくと、以下のような記事が目に留まりました。

■展示販売のお知らせ / 中目黒のCafe & Bar " Malmö " にて
 http://vicioussabrina.blog72.fc2.com/blog-entry-69.html

ここでは、東京の中目黒にある“Malmö”というお店が紹介されています。
昆虫標本や剥製や人体解剖図に囲まれたバーという、尖端的というか、かなり客を選ぶ店のようです。記事中の紹介文には、「標本や剥製の数々を酒のつまみに愛でながら、中目黒の素敵な夜のお供に」…とあります。私は素敵だと思いますが、二の足を踏む方も多いでしょうね。


それにしても、Vicious Sabrina さんにしても、Malmöさんにしても、こういう洒落た空間作りに憧れはするものの、現実にはなかなか難しいものです。リアルに生活する部屋は、あたかも一個の都市の如く、猥雑な不統一を内包しています。そこには闇もあれば、犯罪もあり、一部はスラム化しています。いかに強権的な為政者(部屋の主)でも、いかんともし難い現実…。


またまたそれにしても、なぜこれらのページがこれまで1回も検索にかからなかったのか、それが私にとっては大きな謎です。
日本に限ってもこうですから、世界のヴンダー界は、依然広大無辺だと思わないわけにはいきません。

やわらかな鉱物結晶群2011年09月28日 21時57分17秒

だんだん目が血走ってきました。
目には見えませんが、脳も血走っている感じがします。

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まとまった記事がかけないので、以前撮りためた写真がそのまま放置されていたのを、脈絡なしに載せてみます。


写真は、目のつんだ木材を正確に削り出した、古い鉱物結晶模型です。
アメリカの業者から購入したものですが、その業者さんは、ヨーロッパの学校で使われていたものらしい…と述べていて、結局、出所もメーカーも不明です。


木味が古いものと、新しいもの(朱のペイント書きがあるもの)と、系統の違う2種類の模型が混在しています。



古い方の模型は、1833年に創業したドイツの鉱物標本販売の老舗「クランツ商会」のものかもしれませんが、確証はありません。


驚いたことに、クランツ商会は今も盛業中で、その結晶模型セットは、同社の現行のカタログにもしっかり載っています。

日本で近代的な鉱物学が講じられるようになったとき、明治新政府は、すかさずクランツ商会の結晶模型をドイツから輸入し、675個から成るそのコレクションは、今でも東京大学総合研究博物館に保管されています。(上の写真の背後に写っているのが、その解説を含む図録です。 田賀井篤平(編)、『東京大学コレクションXIV クランツ鉱物化石標本』、東京大学出版会、2002)

手元の模型にも、ちょっとそんな趣があって、古く床しい鉱物学教室の空気が、しかと感じられます。