少年採集家(4)2012年03月12日 21時40分33秒

一通りこの本に目を通しましたが、やはり文中に戦争の影はまったく登場しません。それがむしろ不思議なほどです。序文の日付は昭和18年7月になっているので、開戦前に準備した原稿を、この時期に上梓したわけでもなく、きな臭い中での執筆だったはずですが、著者は一切そのことに触れようとしません。

著者の松室重行という方については何も存じ上げませんが、ネット情報によれば、戦中から戦後にかけて『ヘッセ小品集』や『ハウフ童話集』を訳したり、『医学ドイツ語小辞典』を編んだりした方です。昭和11年当時は、作家・牧野吉晴とともに、美術雑誌「東陽」編集部に在籍していました(http://10tyuutai.blog58.fc2.com/blog-entry-95.html)。

動植物に関する著作は、この『少年採集家』だけですから、要するに採集・標本については素人の趣味の範囲を出ない人だと思いますが、それだけに一層純な思いが本書にはこめられているのでしょう。

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以下、「はしがき」から抜粋。

「近頃、少年少女の皆さんが、熱心に植物の採集や動物の採集を行ふことは、まことに結構なことだと思ひます。
 たゞ、残念なことには、せっかくの採集が永つゞきしないことです。
 すべての皆さんが、大きくなってから、植物学者や動物学者になるといふのではありませんから、いつまでもつゞけて欲しいとは申しません。
 しかし、国民学校の四五年生ではじめたら、中学校の二年生や三年生ぐらゐまではつゞけて、一通り完成した採集標本をつくり上げていたゞきたいと思ふのです。」

この辺は実にリアリスティックですね。「さあ、みんな大学者たらんことを目指せ!」と尻を叩くようなことはせず、途中でやめてもいいから、意味のある採集を目指しなさいと、現実的な助言をしているわけです。

「少年少女の皆さんがする採集だからといって、それがたゞの、いくらかためになる遊びではないのです。さういふ考へ方は悪いと思います。」「採集することが決して目的ではなく、これはたゞ、動植物の知識を得る手段です。これをよく心得てゐて、そして一定の方針を持って採集をすゝめ、標本の保存と鑑賞とを忘れない人が、よく採集をつゞけられるのだと私は思ひます。」「科学する心といふのは、要するに正しい道をふんで、忍耐づよく、どこまでも、ものごとの奥底まできはめて行くといふ不撓不屈の精神のことなのです。どうか皆さんも、この精神を忘れずに、一つりっぱな採集標本をつくり上げるやうに努力して下さい。」

自分に言い聞かせるような強い調子があります。
この時期(ミッドウェーの敗戦からガダルカナル撤退、そしてアッツ島玉砕が続いた時期です)、お上の統制はいよいよ厳しく、知識人も時局におもねる発言が多かったと思いますが、松室氏はそうした言辞を弄することなく、少年少女に専一に正しい科学する心を説いたのは、立派だと思います。そしてまた少年少女を慈しむ目を感じます。

(すくい網採集法を試みる戦時中の少年)

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イントロダクションにあたる第1章「博物採集とは」には、次のような一節があります。

「採集から我家に帰って来て、包を開いて、眺めたり、調べたり、較べたりするたのしさ。特別に美しい標本、珍しい標本、りっぱに仕上げた標本、かういふものを標本箱に入れるときのたのしさ。
 静かな冬の夜ながに、ひとり静かに標本箱をとり出して来て、眺めたり、調べたりして、何度となく新しい発見をして喜ぶたのしさ。」

現実の日本には、すでにこういう喜びが失われていたはずだと思うと、なんだか切ないです。

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さて、その内容ですが、表紙から受ける印象とは違って、著者がいちばん力点を置いているのは植物採集で、過半のページがそれに当てられています。しかも、通常の押し葉だけでなく、種子の標本や樹皮の標本、あるいはキノコやコケや地衣類や藻類の標本作りにまで記述が及んでいて、松室氏の本領が植物趣味にあったことがうかがえます。

その次に昆虫採集の話題ですが、そこでメインとなるのは蝶と蛾で、それ以外の昆虫はごく簡単にしか触れられていません(そして最後に貝のことがチラッと出てきます)。糖密採集法や叩き網採集法など、おなじみの方法も、主に蝶や蛾を採集する方法として紹介されているのが、ちょっと珍しく感じられました。

(中身は文字ばかりのページが多くて地味めです。)

(これは比較的図が多いページの例)

結局、著者は植物と蝶や蛾の熱心な採集家だったと想像されますが、そういう人には生きにくい時勢であったろうなあ…と、ここでもやっぱり思います。

書かれている内容自体は、私が子どもの頃読んだ採集と標本づくりの本とほとんど変わりません。もちろん、時代の流れを感じる叙述もあって、たとえば蝶の幼虫の乾燥標本を作るのに、私自身は「電熱器と茶筒」を使えと習いましたが、昭和18年当時は「アルコールランプと石油ランプのほや」を使うよう書かれています。あるいは、プリザーブドフラワーを作るのに、今だと強力な乾燥剤や機械の力を借りますが、当時は「熱してよく乾燥させた砂」の中に花を埋める方法が紹介されていて、その辺に時代を感じるのですが、でもやっていることは一緒です。採集と標本作りの基本的テクニックは、たぶんこの1世紀ぐらいほとんど変わってないんじゃないでしょうか。

(『少年採集家』より。ランプのほやが登場するのはさすがに古風。)

(これはこれで懐かしい小学館の『採集と標本の図鑑』。昭和45年・改訂第20版より。しかし口でぷーぷー吹くのは、むしろ昭和18年よりも技術的後退か。)

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変わったなあ…と感じるのは、「中身」よりもむしろ「外皮」、すなわち表現形式の方です。

この『少年採集家』には、ごく少数の挿絵しかなくて、ノウハウはもっぱら文字で説明されています。昭和30年代以降、学習図鑑全盛時代になると、こういうのは全編カラーで図解されるのが普通になるので、そこは大きな違いです。父親世代と自分の世代の差はそこでしょう。

ただ、読んでみると分かりますが、文字だけでも意外によく伝わるものです。
戦後の教育者は、カラフルな図解こそが子どもの興味をひきつけるものと頑なに思い込んでいた節がありますが、下手な図解よりも、子どもの心に沁みる文章のほうが遥かに良くはないでしょうか?…まあ、これは私が年をとったせいでそう思うのかもしれませんが。

コメント

_ S.U ― 2012年03月13日 20時50分09秒

 学者にならなくてもかまわないが、ものごとを調べる方法を学び、良い成果が上がった喜びが感じられるようになるまでは続けてほしい、とおっしゃる著者はすばらしい方だと思います。
 
 趣味ですから、やっているときに楽しければじゅうぶんモトは取れているわけですし、勉強や将来のために趣味をするわけでもないのでしょうが、楽しい努力で心に財産を蓄えることができるならこんなうまい話はない、...でも、こういうことに気がつくのは、ある程度、年をとってからでしょう。

_ 玉青 ― 2012年03月14日 22時54分38秒

>楽しい努力で心に財産を蓄えることができるなら…こういうことに気がつくのは、ある程度、年をとってから

ええ、まったくですね。
折角ですから、これからはせいぜい「年よりのアドバンテージ」を享受することに致します(笑)。

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