旅の記2013年06月02日 20時19分32秒

【6月4日記】

あまりにも私的なことを書いてしまったので、反省をしています。
ちょっと気恥ずかしいという思いもあって、本文は思い切って削除することにしました。
皆さんからの温かいコメントに、改めてお礼を申し上げます。

元気を取り戻したら、通常の記事もぼちぼち再開します。

コメント

_ たつき ― 2013年06月02日 21時37分18秒

玉青様
なんと書いていいのか悩みましたが、泣きたいときには泣いて叫びたいときは叫んで、我慢はしないで、一日を過ごしていただけたらと思います。
それにしても、こんなときにもブログの更新ができる玉青さんは、すごい方ですね。私だったら投げ出していますから。

_ astray ― 2013年06月03日 02時52分43秒

自分の言葉は、何も出ませんが。。。
丁度関連する ? 記事を読んだところだったもので、
御参考まで。。。
http://songbyriver.blogspot.jp/2013/06/salt-water.html

_ S.U ― 2013年06月03日 05時45分17秒

人間は無力でして、私も言葉が見つかりません。
本当はまったく無力ということはないのでしょうが、見た目は無力であり、また、それでやむを得ないことだと思います。

_ かすてん ― 2013年06月03日 07時20分59秒

私にも慰める言葉が見つかりません。
ここにいますよということだけです。

_ 玉青 ― 2013年06月03日 20時24分22秒

温かいお言葉をいただき、本当に嬉しく、励まされました。
辛いことがあって涙が出るんだと言うばかりで、その理由も言わない男に対して、どんな言葉をかければいいのか、私だったら途方に暮れると思いますが、皆さんのお心遣いに感動以上のものを感じました。

涙はそれ自体慰めであり、泣くときは大いに泣かないといけませんね。
その上で汗をかき、海を見ること。塩水はすべてを癒す…。
人は無力かもしれませんが、そこに存在するだけで他の人を温めることもできます。

   +

昨日、夢を見ました。

私の先祖に、高知県と関係があるらしいと言われている人がいるのですが、具体的にどういう関係なのか分からずにいました(これは夢の世界の話で、実際はそんな人はいません)。それがふと、そのつながりを示す新資料が見つかって、それを両親や子どもたちと一緒に、興味深く眺めるという夢です。

目が覚めてから、これはどういう意味かと考えました。
発想が貧困ですが、高知県といえば坂本竜馬しか思い浮かびません。

今の私は、「家族の絆」の回復を心の底から求めているのでしょう。
しかし、人は時に家族を振り捨てて、自分の道をたどらねばならないこともある。
たとえそれが、死に通じる茨道であったとしても。
この夢はそのことを語っているのだと思います。

黄金郷を出て、孤独な道へと踏み出すことは、悲しく、寂しく、恐ろしいことです。
しかし、それは一面自由であり、可能性でもあります。
旅は苦しいばかりではなく、愉しみもある。
ときには草笛を吹きながら、懐かしい顔を思い浮かべることもあるでしょうし、それが旅を続ける元気の元になるなら、それだけで家族は十分満足すべきなのでしょう。

「家族」も仮象に過ぎないとはいえ、仮の存在だから意味がないわけではない。
すっと消えてなくなる虹が、美しい夢と希望と勇気を与えてくれることもあるのだから。

“私は私の道をゆき、旅の空で君のことを思い出す。
君は君の道をゆけ。いつか旅先で出会ったら、旅の土産話をともに語ろう。”

_ 蛍以下 ― 2013年06月03日 21時22分53秒

なんとコメントすべきか考えあぐねていましたが、玉青様のコメントが書き込まれてあるのを見て少し安心いたしました。

_ 玉青 ― 2013年06月04日 06時03分11秒

ありがとうございます。少し平静さを取り戻しました。
今後もいろいろあるのでしょうが、それもまた旅景色だと思います。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック