図鑑史逍遥(1) ― 2013年10月05日 17時01分01秒
道を歩いていて、おや?と思いました。
その理由は一瞬分かりませんでしたが、すぐに気づきました。
「ああ、もう金木犀の香る季節になったのか…」という意外感でした。
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このブログには「埋もれている企画」がいくつもあります。つまり、「いずれ○○について書きます」と言いながら、言いっぱなしで終わっている企画の数々です。そういうのは、私自身、言ったそばから忘れていることが多くて、過去記事を読み返して、ふと「あ、そういえばこんなことを書いたな」と、己の放恣と怠慢を恥じることも度々です。
その理由は一瞬分かりませんでしたが、すぐに気づきました。
「ああ、もう金木犀の香る季節になったのか…」という意外感でした。
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このブログには「埋もれている企画」がいくつもあります。つまり、「いずれ○○について書きます」と言いながら、言いっぱなしで終わっている企画の数々です。そういうのは、私自身、言ったそばから忘れていることが多くて、過去記事を読み返して、ふと「あ、そういえばこんなことを書いたな」と、己の放恣と怠慢を恥じることも度々です。
最近、コメント欄でS.Uさんや蛍以下さんから、昔の図鑑に関する話題が出た際、ふと思い出した埋没企画がありました。
上は3年近くも前の記事ですが、その中で自分は牧野富太郎のことに触れつつ、「私なりに「図鑑史」をレビューしてみたいのですが、現在他に注文している本もあるので、この件はもうちょっと寝かせておこうと思います。」と書いています。
ここで云う「現在他に注文している本」というのが何を指すのか、今となってはさっぱり思い出せませんが、せっかくの機会ですので、ここで「図鑑史」の話題をサルベージすることにしましょう。
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そもそも図鑑というのはいつからあるのか?
「図鑑」という言葉自体はなかなか古く、例えば『江戸方角安見図鑑』(延宝8、1680)や『本朝武林系禄図鑑』(元禄12序、1699)のように、江戸時代の前半から書名の一部に使われてきました。ただし、前者は地図、後者は武鑑(一種の武家総覧)であり、現在のいわゆる「図鑑」とは意味が異なります。
名称にこだわらず、モノとしての図鑑の方はどうか。
図鑑の定義もなかなか難しいですが、ここでは「主として自然物についての知識を、図が主、文が従という形で伝える書物」という風に単純に考えることにします。
そういう本の歴史もずいぶんと古いことでしょう。
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西洋に目を向ければ、16世紀以降、各種の博物図譜が刊行され、それらの多くは上の定義に十分当てはまります。
ウィキペディアの「図鑑」の項(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%B3%E9%91%91)を見ると、「諸外国にも図版を多用した博物学、自然史学の類似した側面を有する書籍はあるが、日本で独自の発展を遂げた博物学書籍の様式だといわれている」とあります。しかし、その形態においても、性格においても、日本の図鑑と諸外国の博物図譜を区別する、合理的な理由はないように思います。(でなければ、荒俣宏氏の『図鑑の博物誌』(1984)という快著は成立し得なかったでしょう。)
下は日本の図鑑と同一の位相にある博物図譜の例。
ドイツの一般家庭で愛好された博物図鑑「Naturgeschichte des Tierreichs für Schule und Haus(学校と家庭のための動物界の博物誌)」(von Schubert 著、1886)の表紙です。
いずれも同書の図版ページで、モノクロの解説ページが別にあるのですが、一見して、これは図鑑以外の何物でもありません。日本だったら、さしづめ『動物大図鑑』のようなタイトルで刊行されたことは必定です。
別に世界は日本と西洋だけでできているわけではありませんが、とりあえず西洋に次いで日本に目を向けてみます。
(この項続く)
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