透き通った天球(2) ― 2014年07月08日 04時36分06秒
昨日のつづき。
この天球儀の台座には、下のようなプレートも付いています。
八幡市は現在の北九州市。ネット情報によれば、メーカーのあやめ池工業所さんは現在も盛業中の由ですが、今は衣料の縫製加工を業とされているようなので、天球儀の製造はとうにされていないのでしょう。
この天球儀が作られたのは、同社が創業した1947年から、八幡市が消滅した1963年までの間のことになりますが、付属する説明書の紙質や表記(新旧のかな遣いが混在しています)から考えて、おそらく1950年前後と推測します。
下がその解説書(表裏1枚刷り)。
以下に解説を一部転記します(表記は原文のまま)。
構造の特徴
透明な美しい玻璃体の円球の外面に諸星座、黄道、赤道、赤経、赤緯線を記入し、球内に水を半分充して正しい地平線を常に自動的に表はしてゐます。
緯度盤は任意の観測地点を自在に求める事が出来ます。
天球は極軸を中心として静かに廻転、星座の物語りを夢のように繰りひろげます。
使用途
地上の星を花といゝ、みそらの花を星といふ
詩人藤村は讃美しています、誰でも夜毎燦として煌めく星には心惹かれずにはをられません。
さあ皆さん夜空の花園の神秘を探って夕食後の一刻を楽しみつゝ星を科学しましょう。
七夕物語にまつはる織女星と牽牛星は何処にゐるでしょう。
猟人オリオンは何を覗っているのでしょうか。
小学校、中学校、の教材
航海、航空のパイロット
書斎、応接室の装飾品……として
一読時代を感じる文章で、「科学しましょう」と言うわりに情緒に流れがちなのは、野尻抱影流の星座物語の影響でしょう。当時の天文趣味の基調がどこにあったかを如実に示しています。
この天球儀は元箱も付いており、状態は非常に良かったのですが、残念ながらゴム栓だけは溶けたような状態で、使用不能でした。いずれ適当な栓を見つければ、この球体に水を入れて、より涼しげな風情を楽しめるはず。
箱の蓋裏にはこのようなガリ版の取説も貼られていました。
中に入れた水に「青色のインキ等を数滴落して着色せば更に実感が伴ふでせう」とあって、素敵だと思いました。
★
今日から出張なので、次回更新は木曜日以降になります。
コメント
_ T.Fujimoto ― 2014年07月08日 07時22分54秒
_ S.U ― 2014年07月09日 08時09分55秒
この天球儀に水を入れて、水中から星座が昇ってくるさま、水中に没しゆくさまを眺めたらさぞ印象的でしょうね。現在でも、そういう自動式の物(モーターでじわじわ回るような)を作って売り出せばけっこういけるのではないでしょうか。
>地上の星を花といゝ、みそらの花を星といふ
例によって無粋な分析ですが、この言葉は、この解説書では藤村の作になっていますが、ネットで調べる限り室生犀星の作とするものが多数のようです。また、本当は、土井晩翠でこちらには出典(「天地有情」)もあるようです。
さらに、宮澤賢治の「ひのきとひなげし」に、ひのきの言として「あめなる花をほしと云い この世の星を花という。」という言葉が出てくるので、これに似たことを言う人は当時多く、藤村も似たことを言っていたのかもしれません。(現在では賢治のほうが広く知られているかもしれません。)
>地上の星を花といゝ、みそらの花を星といふ
例によって無粋な分析ですが、この言葉は、この解説書では藤村の作になっていますが、ネットで調べる限り室生犀星の作とするものが多数のようです。また、本当は、土井晩翠でこちらには出典(「天地有情」)もあるようです。
さらに、宮澤賢治の「ひのきとひなげし」に、ひのきの言として「あめなる花をほしと云い この世の星を花という。」という言葉が出てくるので、これに似たことを言う人は当時多く、藤村も似たことを言っていたのかもしれません。(現在では賢治のほうが広く知られているかもしれません。)
_ 玉青 ― 2014年07月09日 21時41分26秒
〇T.Fujimotoさま
情緒、ありますねえ。
私もこういう言い回しをさりげなく使ってみたいです。
〇S.Uさま
そこまで考えていませんでしたが、これは興味深いご指摘をありがとうございます。
コメントを拝見し、明星派の匂いとともに、ひょっとしてこれは外国の詩が元ネタではないか…という直感が働きました。
調べてみると、どうも下の詩が怪しいのですが、どうでしょう。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1086988725
作者のクリスティーナ・ロセッティ(1830-1894)は、兄のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティとともに、ラファエル前派に属する人で、蒲原有明や藤村らによって、その詩は明治の日本にも盛んに紹介されたらしいので、そこからこの「地上の星、天上の花」という言い回しが流行り出したのではないかと想像します。(もうちょっと裏が取れるといいのですが、まずは仮説として挙げておきます。)
情緒、ありますねえ。
私もこういう言い回しをさりげなく使ってみたいです。
〇S.Uさま
そこまで考えていませんでしたが、これは興味深いご指摘をありがとうございます。
コメントを拝見し、明星派の匂いとともに、ひょっとしてこれは外国の詩が元ネタではないか…という直感が働きました。
調べてみると、どうも下の詩が怪しいのですが、どうでしょう。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1086988725
作者のクリスティーナ・ロセッティ(1830-1894)は、兄のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティとともに、ラファエル前派に属する人で、蒲原有明や藤村らによって、その詩は明治の日本にも盛んに紹介されたらしいので、そこからこの「地上の星、天上の花」という言い回しが流行り出したのではないかと想像します。(もうちょっと裏が取れるといいのですが、まずは仮説として挙げておきます。)
_ S.U ― 2014年07月11日 07時14分23秒
西洋の詩には考えが及びませんでした。私は西洋詩のほうはさっぱり知識なしです。ラファエル前派は文学にもあったのですか。また今後の解明をお待ちしております。
「天における星の道は、地における花の道の若し」とかいう静的な対比の意味ならば、儒家か禅宗あたりから出た説かとも思いましたが、「星が落ちて花になる」という動的現象があればこれはもう西洋人の発想だと思います。
「天における星の道は、地における花の道の若し」とかいう静的な対比の意味ならば、儒家か禅宗あたりから出た説かとも思いましたが、「星が落ちて花になる」という動的現象があればこれはもう西洋人の発想だと思います。
_ 玉青 ― 2014年07月12日 14時11分01秒
ラファエル前派は絵画の方面でいちばん有名ですが、元は一種の総合芸術運動で、そのサークルの中には立体造形や工芸、文学を志す人も少なからずいたようです。
星と花の話題、本編の方でも取り上げてみました。
星と花の話題、本編の方でも取り上げてみました。
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科学しましょう、という言い方も時代を感じさせ、情緒があるのではないでしょうか。