鉱物学のあけぼの…『金石学教授法』を読む(1)2018年02月22日 06時21分57秒

最近のヴンダー回帰の気分に合わせて、脈絡なく話題を続けます。
今日の主役は1冊の明治期に出た和本。


■大槻修二(著)、鈴木道央(画)
 『金石学教授法 全』
 岡島宝玉堂(岡島眞七)、明治17年(1884)(明治16年版権免許)、24丁

おりおり「学者一家」というのがありますね。
本書の著者である、大槻如電(おおつきじょでん、1845-1931。本名は清修。修二は別名)も、まさにそうした一家に生い育った人物です。祖父は蘭学者の大槻玄沢、父は漢学者の大槻磐渓、そして弟は国語学者の大槻文彦と、文字通り和漢洋の学者を輩出した家系で、如電自身はといえば、和漢洋なんでもござれの博識の考証家として鳴らしました。


見開きになったタイトルページと序文冒頭。「王父磐水先生」とあるのは、如電の祖父・大槻玄沢の別号です(「王父」とは亡き祖父の意)。

序文を読むと、そういう博学の人でも、鉱物学はまったくの素人だったのですが、にもかかわらず本書の著者となったいきさつが記されています。素人が専門書を出すというのは、一見して無茶な話ですが、明治初期はそれが許された時代でした。

で、そのいきさつというのはこうです。
本書は、松川半山(1818-1882)の遺稿を元に、それを増補する形で出版されたもので、如電はその増補改訂役を版元から頼まれ、結果的に著者を名乗ったのでした。

半山の本職は絵師ですが、明治の開化期には、絵入りの啓蒙書類も手がけており、明治10年(1877)には、同じ版元(岡島宝玉堂)から、『博物図教授法 全』というのを出しています。出版にあたって、如電は当初『金石小誌』という書名を考えましたが、『博物図教授法』の意外な好評にあやかり、その続編の体裁にしたいという版元の意向を受けて、『金石学教授法』としたのだ…と正直なところも記しています。
(なお、『博物図教授法』については、過去記事でも取り上げました。)

   ★

文章全体に漂う開化期の雰囲気も懐かしく、形ある本として見た場合も、興味深い点がある一冊なので、少し詳細に立ち入って目を通してみます。

(この項つづく)

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