「紙派」の弁2020年07月19日 09時59分43秒

「本物嗜好」といい、「残欠趣味」ということを、つい先日書きました。
ホンモノが好きだから、全部が無理なら、せめてそのカケラだけでも手に入れよう…というのが、残欠趣味です。

しかし、自分の行動を振り返ると、それだけでは説明のつかないことがあります。
もし、古星図帳の残欠も手に入らない場合、本物の精細な画像をネットで見られれば、それで満足するかといえば、決してそうはなりません。大英図書館や、各地の有名図書館のデジタルライブラリで、天文古書の逸品を目にすることができたとしても、やっぱり紙で眺めたいな…という思いは強いです。そういう意味で、私は根っからの「紙派」です。

今朝、布団の中で腕組みして、「本物嗜好」「残欠趣味」に「紙派」を加えると、自分の行動の9割は説明できるぞ…と思いました。さらに「財布の中身」を考慮すれば、9割9分9厘は説明がつきます

たとえば、ホンモノに少しでも近づこうとするとき、残欠を買うか、複製本を買うか、2つの選択肢の間で葛藤が生じた場合の行動。そういうときは、どっちがより「ホンモノ」に近いか、もちろん残欠は間違いなくホンモノの一部に違いありませんが、そもそもの目的が、資料的意味合いを求めてのことなので、切れ端よりも全体が揃っている方が、大切な場合もあります。さらに複製本の完成度が、その値段に見合っているかどうか。そして最後は、財布の中身との相談です。

単純といえば単純だし、結構複雑といえば複雑なプロセスを経て、人間の行動は決定されるもののようです。

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「星座絵の系譜」を考えるとき、頻繁に複製本が登場するので、先回りして複製本を買う意味を考えてみました。以下、本題に続きます。

(普段は写り込まないようにしている机脇。紙派の行きつく先はこうなので、それを完全に擁護はできないです。)