陶片と残欠2020年07月02日 21時02分54秒

前にも書いたかもしれませんが、自分の趣味嗜好の中に「本物嗜好」というのがあります。ふつうは「本物志向」と書くのでしょうけれど、「志向」と書くと、昔の「違いのわかる男」みたいな、何となくいかがわしいスノビズムの臭みが出てしまうので、ここは「嗜好」で良いのです。本物を好ましく思うというのは、単なる好き嫌いの問題で、そう大上段に構えるようなことではありません。

私の場合、本物に重きを置くのは、そこに資料的価値があるという理由が大きいです。
モノは自らの存在を通して、何かをアピールしていると思うのですが、本物がアピールしているのは、正真正銘ホンモノの歴史だ…というところに、有難味があります。実際に資料としてそれを活用するかどうかはさておき(たぶん活用しない方が多いでしょうが)、そうしようと思えば、生の資料になる―。これは本物が持つ絶対的な価値であり、完全な復刻品よりも、不完全な本物が優る点です。(…とはいえ、不完全な本物も無理となれば、復刻品もやむなしです。)

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このことは、「陶片趣味」を想起すれば明らかでしょう。

焼き物マニアの中には、そのかけらである「陶片」を熱心に収集している人がいます。もちろん焼き物の世界では、完品が最も評価されるわけですが、古い時代の焼き物の素材や技法を学ぼうと思えば、その断片でも十分役に立ちます。さらに陶片には陶片独自の美があると主張する人もいて、昔から焼き物趣味の一分科として、「陶片趣味」というのが確立しているらしいのです。

同様に仏教美術の世界でも、仏像の手だけとか、一片の蓮弁とか、古写経のきれっぱしとか、「残欠」を有難がる「残欠趣味」というのがありますが、これも意味合いは同じでしょう。

(陶磁研究家・小山冨士夫の陶片コレクションと天平時代の天部像裾残欠。別冊太陽『101人の古美術』と『やすらぎの仏教美術』より)

天文アンティークの世界で、陶片趣味や残欠趣味を、堂々と標榜している人を自分以外に見たことはありませんが、趣味としては十分成り立ちうることで、同様に滋味があるのではないかと思っています。そして、完品に比べれば、もちろんずっと財布に優しいので、その楽しみ方にも自ずと余裕が生まれるわけです。

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以上、言い訳めいたこと――というよりも、はっきり言い訳ですね――を前置きして、さっそく「陶片」と「残欠」の例を見てみます。

ウラニアの鏡2020年07月04日 09時38分29秒

話題としては前回の続きですが、いきなり余談から入ります。

ウィキペディアには「ウィキペディア」という項目があって、その「記事の信頼性」という節【LINK】には、こう記されています。

 「ウィキペディアは信用に足る百科事典とは言い難く、ウィキペディアからの引用を学術関連のレポートに載せることは、そのレポートの信憑性そのものに疑問を持たせることでもある。」

まあ、自分で言うのですから、多分そうなのでしょう。
ただ、より正確には「玉石混交」というのが正しいかもしれません。中にはなかなか為になることも書かれていて、今回は大いに助けられました。ウィキペディア、侮るべからず。

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さて、本題です。
天文アンティークの世界も広いですが、そうした多くの品々の中に、一種の定番といえるアイテムがいくつかあります。19世紀における天文学の大衆化の実例として、そしてモノ自体にあふれる魅力で、本やネットに登場する機会の多い『ウラニアの鏡』(1825)も、その一つです。

この美しい星図カードは、13年前にいち早く『天文古玩』にも登場しています。

■『ウラニアの鏡』
■『星の小箱』(以下のリンクページから4回連続で取り上げました)

以前の記事で書いたように、『ウラニアの鏡』は2度にわたって復刻版が出ていて、現在でも簡単に手に入ります(ひとつは1832年のアメリカ版初版を底本にした『Night Sky』(Barns & Nobel、2004)、もうひとつは底本不明ですが、『The Box of Stars』(Bulfinch Press(米)/Chatto & Windus(英)、1993)です)。

(『The Box of Stars』)

ですから、普通に考えれば復刻版を手元に置いて、それで十分満足すべきところですが、ここで私の内なる本物嗜好がうずくのです。と言って、「よし、あの『ウラニアの鏡』の本物を絶対手に入れるぞ!」と、勇んで探索したわけではありません。探索すれば本物が売られているのはすぐ分かるし、「ああいいなあ…」とは思いますが、お値段がどうしようもないので、そこで触手が動くことは、さすがにないのです。

でも、その不完全なセットが、お値打ち価格で売られているのを見たら…?
実際に売られていたのは、32枚セットのうちの24枚のみ(8枚欠損)で、箱も解説もないという「裸本」でした。

「陶片趣味」「残欠趣味」が燃え盛るのは、こういうときです。
「たしかに不完全には違いない。でも、これぞあの『ウラニアの鏡』のホンモノだぞ。どうだ、この紙といい、刷りといい、彩色といい、19世紀の天文趣味の香気がばんばん伝わってくるじゃないか!」…という内なる声に抗うことは難しいのです。

それに、その品にはもうひとつ「ある特徴」がありました。


星座名に注目してください。そう、この品は『ウラニアの鏡』のフランス語版だったのです。同書にフランス語版があったとは知りませんでしたが、そのこともユニークコピー的な“珍品”のオーラを放っていました。

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しかし、もう一度現品をしげしげと見て、オリジナルとの違いに気づきました。
星座絵の周りがスカスカで、周囲の星が欠落しているのです。

(左:フランス語版、右:『Box of Stars』より)

「あれ?」と思いました。そして、「ひょっとして海賊版?名にし負うベルギー版か?」と思って、この品はしばらく放置されていました。でも、ここに来てウィキペディアの出番です。

ウィキペディアに『ウラニアの鏡』が項目立て【LINK】されているのに気づいたのは、つい最近です。内容はほぼ英語版からの和訳ですが、それにしても日米のウィキペディアンの活動にこうべを垂れざるを得ません。

そこには、『ウラニアの鏡』が、1824年暮れに広告を打って販売が開始されたこと、少なくとも4回版を重ね、最終版は1834年に出たこと等、詳しい書誌が記されていました。そして注目すべきは、「初版では星座の周りに星々は描かれておらず空白になっているが、第2版では星座を囲むように星々が描かれた」という記述。

なるほど、フランス語版はこの初版を元に作られたのだな…と見当が付きました。もちろん、そのことで海賊版の疑念が払拭されたわけではありませんが、少なくともその素性の一端は分かりました。

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「たしかに不完全には違いない。でもどうだ、この紙といい、刷りといい、彩色といい、19世紀の天文趣味の香気がばんばん伝わってくるじゃないか!」


青空のかけら2020年07月05日 16時46分40秒

空から降り注ぐ雨。
それを集めて流れる川。

その自然の営みが、ある一点を超えると、大地の形状を変えるほどの巨大な力を発揮します。それもまた自然の営みだと言えば、そうかもしれませんが、でもその自然は、いつも目にする穏やかな自然とは別人という意味で、やっぱり異常で恐ろしいものと感じられます。

犠牲となった方を悼み、被災地の方々が早く日常を取り戻されることを祈ります。

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陶片趣味といえば、比喩でなしに、本物の陶片が手元にあります。

(タイルの最も長い辺は約11.5cm)

鉱物標本のように、箱の中に鎮座しているのは、ニューヨークの業者から購入した古タイルのかけらです。13世紀セルジューク朝のものというのが業者の言い分。

彼の言葉が本当なら、イスラム世界を広く支配した「大セルジューク朝」は、12世紀半ばに自壊し、13世紀には、その地方政権だった「ルーム・セルジューク朝」が細々と続くのみでしたから、出土地は、その版図だったトルコ地方ということになりますが、詳細は不明。


この三角形は、当初から人為的に成形されたもので、イスラム独特の幾何文様の一部を構成していたはずです。頂角40度というのが、元の模様を解くヒントだと思いますが、これまた不勉強で詳細は不明。でも、何か星型文様の一部だったら素敵ですね。

(イランのシャー・ネマトラ・ヴァリ霊廟(15世紀)。Wikipediaより)

そして、こんな風に空の青と競い合って立つ壮麗な建物の一部だったら…。


美しく澄んだ青。その貫入に沿って生じた金色が、人為的なものなのか、それとも釉薬成分の自然な変化によるものかは不明ですが、この青金は、まさに天然のターコイズ(トルコ石)を切り出して作ったかのようです。

遠い中世イスラム世界―。
この場所こそ、古代世界に続く、天文学の第二のゆりかごであり、そして黄漠の地に白い宮殿がそびえ、透明な新月が浮かぶ、タルホの王国でもあるのです。

(釉薬の質感↑と裏面の表情↓)

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とはいえ、この小さな島国の水と緑こそ、個人的にはいっそう慕わしく感じられます。
願わくは、そこに青空と入道雲が、早く戻ってきますように。

二廃人、メトロポリスをくさす2020年07月07日 06時35分27秒

―よお、久しぶり。景気はどうだい?

ああ、君か。まあ元気は元気だけどさ、おとといの都知事選がちょっとこたえてる。

―なんだ、ぼやき節か。

まあ都民でもないし、ぼやいてもしょうがないんだけどね。でも、日本に冠たる首都の選挙があれじゃあね。東京の人には、もっと日本に冠たる首都の民として、それなりの見識を示してほしかった。

―首都だろうと、離れ小島だろうと、人間はそんなに変わらんだろうよ。

でもさ…。

―まあ、東京村の長(おさ)に誰を選ぶかは、村の連中の勝手次第で、どうでも好きにするがいい。それよりもだ―。

ふむ。

―だからこそ東京の連中に、よその土地の運命まで左右させちゃいかんのさ。見識はない代わりに、衆をたのんで、どんな横車を押してくるか、知れたもんじゃないからな。

なるほど、たしかに都知事選は地方選挙かもしれないけど、東京はまごうかたなき「中央」だもんね。僕が漠然と不安に思ったのは、そこかもね。

―用心しないといかんぜ。

本当だ。危なっかしいね。

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青空はまだ見えません。それどころか、雨はさらに降りしきっています。
今宵、天の川も気になりますが、まずは地上の河川に目を向けねばなりません。

黄金のウラニア2020年07月08日 06時58分37秒

さて、これも残欠といえば残欠ですが、可愛いウラニアの像を見つけました。

(ペンは大きさの比較用。全体の高さは約11.5cm)

独立した像ではなくて、元は建物の「釘隠し(cache clou)」に使われていたものです。時代は19世紀初頭、仏・トゥールーズから届きました。

建築材に打ち付けた釘の頭を無粋と見て、その上を覆い隠す飾り金具が「釘隠し」で、日本でも、伝統建築にいろいろ面白い意匠の釘隠しが取り付けられていますが、フランスでも事情は同じらしく、「cache clou」で検索すると、いろいろ面白いデザインのものが見つかります。


右手に持ったデバイダ、左手でもたれかかった天球儀が、天文学のミューズであるウラニアのシンボル。


頭上に星の冠をいただき、その視線ははるかな天に向かいます。(鼻がちょっとつぶれてしまったのが惜しまれます。)


裏面はこんな感じで、型を使った薄肉の鋳物仕上げ。真鍮色をしていますが、素材は青銅のようです(真鍮は銅と亜鉛、青銅(ブロンズ)は銅と錫の合金で、鋳造に向くのは後者)。

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それにしても、このウラニア像で飾られた部屋は、どんな部屋だったんでしょうね。
そこには、何かしらの寓意と機智が働いていた気がします。

天文家や占星術師がこもって沈思した小部屋でしょうか。
それとも、ウラニアのみならず、音楽や詩を司る他のミューズたちがずらり居並ぶ、華麗なライブラリーでしょうか。

そんな風に想像のふくらむところが、残欠趣味の楽しさです。


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【余滴】

雨続く。九州から中部にかけて広く警戒を要すとの報あり―。

熊本では、頑丈な鉄橋までも流されるニュース映像を見て、衝撃を受けました。そこから、子どもの頃に読んでもらった「大工と鬼六」の話を思い出し、あの話の背景を知りたいと思いました。

検索したら、あれはもともと岩手県の民話だという説もありましたが、それと同時に、「いや、あれは大正時代に、ある童話作家が、北欧民話を翻案して発表したのが元だ」という説明を目にして、本当に驚きました。そして、どうやらそっちの方が本当らしいです。この件は、わりと有名らしくて、ネット上でも言及する人が大勢いますが、管見の範囲では、以下の論文がもっとも詳細に跡付けていました。

■桜井美紀、「大工と鬼六」の出自をめぐって
 「口承文芸研究」第11号(1988)掲載

七月の星の句、空の歌2020年07月12日 09時55分31秒

このところの長雨、コロナ禍、そして政治の醜状で、すっかり気分がくさくさしていました。でも、今日は久しぶりの青空。蝉が勢いよく鳴き出しました。

カレンダーを見ると、今日は旧暦の5月22日です。
「五月晴れ」という語は、本来こういう「梅雨の晴れ間」を指すのだと本で読みましたが、古人が「五月晴れ」をいかに有難く思ったか、今となってみると、よく分かります。

現代の人は歴史的豪雨を前に、やれ異常気象だ、温暖化による地球環境の変化だと、右往左往しますが、それが確かな科学的事実にしろ、昔の人は「正常範囲のちょっとした豪雨」でも大いに苦しめられたことを、同時に想起すべきだとも思います。

この小さな惑星で、太陽の放射に依存し、大気の循環に身を任せて暮らしている限り、人間の暮らしが天候に左右されることは、当分変わらないでしょう。

九州は今日も雨。当地も明日から再び雨の予報です。
観天望気しつつ、警戒を怠らず振る舞うことにします。

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今日の「朝日俳壇・歌壇」より。

(長谷川 櫂 選)
  追憶の川でありしよ天の川   (東京都)長谷川 瞳

追憶の中身について、作者は何も語っていません。ただ、心の奥からあふれた思いが、天の川とともに流れゆく心象を詠み、長大な流れに託された、その追憶の深さを暗示するのみです。そして、読者の心のうちにも、いつか白々とした天の川が浮かび、それぞれの追憶が流れ出すのを感じるのです。

(同)
  七夕や義理人情の星に住む   (横浜市)高野 茂

星の世界に人事を投影するという意味では、上の句と同旨ですが、こちらはぐっと世話に砕けた川柳調。それにしても、ある年齢以上の人ならば、この句に「げにも」と頷かないわけにはいかないでしょう。天上の美に憧れつつも、我が身はやっぱり下界の住民です。なかなか辛いところであり、同時に面白いところでもあります。

(6月20日深夜、パリの空。ギユマン『Le Ciel』(1870)より)

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とは言え、聖なる天上世界と俗なる人間世界を、はなから別のものと考える必要はありません。両者はやはり同じ世界にあって連続しています。宇宙の構造や星界の出来事は、人間に当然影響を及ぼしているし、人間もまた「観測者」として、宇宙のありようの深い所に影響を及ぼしています。

(永田和宏 選)
  水平線二分する青を分け合って
       海と空にはのりしろはない   (流山市)葛岡昭男

本の旅路2020年07月13日 08時43分20秒

このブログも、最近は内容のないメモ書きになっていますが、他人はともかく、自分にとってメモは役に立つので、今日も書きつけておきます。

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昨日の記事に登場した、ギユマン『Le Ciel』は、1870年に出た第4版です。
『Le Ciel』自体は、天文古書の名著ですから、このブログがスタートした2006年に早々と登場しています【LINK】。でも、手元にある「この1冊」のことは、あまり気にしたことがありませんでした。


昨日、書棚から取り出して、この三方金の立派な本をしげしげと眺め、改めてその来歴に思いをはせました。


表紙に捺されたこの金文字。
これまでは見れども見えずで、昨日ようやくその意味を認識したのです。

この本は、1870年に出版されると同時に、ある人物によって買い上げられ、手土産として別の人に渡されました。ある人物とは、ジュネーブ天文台長のエミール・プランタムール(Emile Plantamour 1815-1882)で、受け取ったのは、スピス・デュ・サンプロン(Hospice du Simplon)という、スイスアルプスの山間にある宿泊施設です。(「ホスピス」というぐらいですから、昔は文字通り療護施設だったのかもしれませんが、今はふつうの保養施設のようです。)

1870年、スイス連邦測地委員会の命を受けて、観測のため当地を訪れたプランタムール教授が、記念としてオスピス・デュ・サンプロンに贈った品…ということが、上の金文字から読み取れます。


タイトルページにも、同館のスタンプがペタリ。そこに書かれた「標高2000m」というのが、同館の売りだったみたいですね。

その後、本は「サンプロン愛徳図書館(Bibliotheque Caritas du Simplon、地元のカトリック系施設でしょう)」に所蔵替えとなり、さらに古書店に払い下げられて市場に出て、私が買ったときは、スイスのフリブールという小さな町の古書店にありました。

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この本が日本に来てから、早くも18年が経ちました(2002年の購入です)。
彼はその150歳の年齢のうち、1割以上を我が家で過ごしたことになるので、思えば結構な日本通です。

この後、彼は果たしてどんな旅をするのでしょう?
「この本は、昔『てんもんこがん』っていう、えーと何てったっけ…そう“ブログ”っていうのを書いてた人の家にあったんだって」とか、22世紀の人が言ってくれたら嬉しいですが、その頃も古書趣味があるのかどうか…。でも、モノにまつわる歴史性は唯一無二のものですから、やっぱり100年後にも好事な人がいて、大事にページを開いてほしいと願います。

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プランタムールの名を私は知りませんでしたが、wikipediaを参照すると、地元ジュネーヴでゴーティエに師事し、パリではアラゴーと、ベルリンではアレクサンダー・フォン・フンボルトやエンケと、ケーニヒスベルクではベッセルと、ゲッティンゲンではガウスと一緒に仕事をしたという人で、まさに天文界の偉人たちがそびえるアルプス山脈を仰ぎ見る思いがします。

このギユマンの本は、別に専門書ではない、一般向けの本ですけれど、その表紙に捺されたプランタムールの金文字を見れば、やっぱりちょっと只ならぬものを感じます。

閑語2020年07月14日 22時49分16秒

“経済を回さないといけない。
だから非常事態宣言は無しにして、どんどん Go To だ。“

人間は霞を食べて生きていくことはできないので、もちろん経済は大事です。
でも、経済重視派を自任する人は、同時に、対策が後手に回った場合の損失も比較考量して、そう言ってるのかなあ…と、ときに不安を覚えます。もしそうでないなら、経済を声高に語ってはならないと思います。

昔の人は、「一文惜しみの百失い」と、うまいことを言いました。
これは「損して得取れ」を裏返した言い回しですが、今の世は「得するだけ得して、損は全部他人に押し付けよう」という手合いが、公人にも少なくないらしいので、油断がならないです。

星座絵の系譜(1)…ジェミーソンの『星図帳』2020年07月18日 09時36分23秒

コロナ禍が続く、梅雨ごもりの休日。

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『徒然草』の243段に、幼い日の兼好法師と、その父親とのやり取りが書かれています。

八つになりし年、父に問ひていはく、「仏は如何なる物にか候ふらん」といふ。父がいはく、「仏には人のなりたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏にはなり候ふやらん」と。父また、「仏のをしへによりてなるなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、さきの仏の教へによりてなり給ふなり」と。また問ふ、「その教へはじめ候ひける第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」といふ時、父、「空よりや降りけん、土よりや湧きけん」といひて笑ふ。「問ひつめられて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。

「人はどうやって仏様になるの?」「それは仏様に教え導かれてなるのだよ。」「じゃあ、その人を教え導いた仏様は、どうやって仏様になったの?」…質問を重ねる兼好に、最後は笑いながら降参する父。

今でもありそうな、ほほえましい家族の情景です。最後の一文を読むと、兼好にとっても、これは間違いなく温かく懐かしい思い出なのでしょうね。

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話は変わりますが、星座絵の歴史にも、似たところがあります。
伝統的な星座絵で、まったくのオリジナルというのはなくて、みな先行作品のコピーですから、幼き日の兼好のように、「じゃあ、いちばん最初の星座絵はどうやって生まれたの?」という疑問が当然出てきます。

「例えば…」ということで、先日の『ウラニアの鏡』(1825)を入口に、その先行作品をたどることにします。そこから「第一の仏」にたどり着けるのかどうか?

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このブログではおなじみの Nick Kanas 氏の星図ガイド(以前の記事を参照)
によれば、『ウラニアの鏡』が直接参照したのは、同じイギリスで1822年に出た、Alexander Jamieson 『星図帳(A Celestial Atlas)』だと書かれています。この30枚の図版――星図28枚+主要恒星図+月・惑星図――から成る星図帳こそ、『ウラニアの鏡』を教え導いた「仏」になります。

(『ウラニアの鏡』(左上)とジェミーソン星図(右下)。はくちょう座周辺図。一見して丸パクリですね。)

今見たら、古書検索サイトのAbeBooksのコラムにも、ジェミーソン星図の詳しい背景情報も含めて、同じことが書かれていました。


■AbeBooks' Reading Copy: AbeBooks book blog

そこには、ジェミーソンは教師が本業で、さまざまな分野の教科書を執筆していたこと、彼は専門の天文学者ではなかったものの、当時のロンドン天文学会(現・王立天文学会)の会員だったこと、彼の美麗な星図帳は、ジョージ4世国王に献呈の栄を得たこと(これは大層な栄誉だそうです)、この星図帳は判型が小型で(9×7インチ、約23×18cm)、廉価だったことから好評を博し、初版から年をまたがず、同じ1822年に第2版が出たこと、等々が述べられています。

廉価で好評を博したといっても、現在はなかなかの希書で、かつて3,200ドルで売りに出た1冊もすでに売り切れだと、上のコラム子は述べています。今日現在でも、古書検索サイトでは1冊も引っかかりません。ただ、過去のオークションにはしばしば登場していて、1,500~2,000ドルぐらいで落札されている気配なので、まあ高いは高いですが、隔絶して高価ということはなさそうです。条件がそろえば、手にする機会もあるでしょう。

それに、まるごと1冊の星図帳ではなしに、それをばらした単品の星図ならば、しょっちゅう売りに出ているので、ここも残欠趣味で乗り切れば、ジェミーソンの息吹に触れることは簡単です。上の写真に写っているのも、そうして売っていたものですが、彫りと刷りの繊細さを愉しむには十分で、上品な淡彩(白鳥は水色、琴はイエロー)も気に入っています。

(ジェミーソン『星図帳』より第11図(部分))

ジェミーソン星図は、もちろんネット上でも見ることができますが、「紙派」の人向けには、以下のような本もあります。その全星図(28枚)が、実物よりもちょっと大きいサイズで収録されていて、古書価は20ドル前後。


George Lovi & Wil Trion
 Men, Monsters and the Modern Universe.
 Willmann-Bell, 1989


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では、ジェミーソンを教え導いた、そのまた先の「仏」は誰か?

(この項続く)

「紙派」の弁2020年07月19日 09時59分43秒

「本物嗜好」といい、「残欠趣味」ということを、つい先日書きました。
ホンモノが好きだから、全部が無理なら、せめてそのカケラだけでも手に入れよう…というのが、残欠趣味です。

しかし、自分の行動を振り返ると、それだけでは説明のつかないことがあります。
もし、古星図帳の残欠も手に入らない場合、本物の精細な画像をネットで見られれば、それで満足するかといえば、決してそうはなりません。大英図書館や、各地の有名図書館のデジタルライブラリで、天文古書の逸品を目にすることができたとしても、やっぱり紙で眺めたいな…という思いは強いです。そういう意味で、私は根っからの「紙派」です。

今朝、布団の中で腕組みして、「本物嗜好」「残欠趣味」に「紙派」を加えると、自分の行動の9割は説明できるぞ…と思いました。さらに「財布の中身」を考慮すれば、9割9分9厘は説明がつきます

たとえば、ホンモノに少しでも近づこうとするとき、残欠を買うか、複製本を買うか、2つの選択肢の間で葛藤が生じた場合の行動。そういうときは、どっちがより「ホンモノ」に近いか、もちろん残欠は間違いなくホンモノの一部に違いありませんが、そもそもの目的が、資料的意味合いを求めてのことなので、切れ端よりも全体が揃っている方が、大切な場合もあります。さらに複製本の完成度が、その値段に見合っているかどうか。そして最後は、財布の中身との相談です。

単純といえば単純だし、結構複雑といえば複雑なプロセスを経て、人間の行動は決定されるもののようです。

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「星座絵の系譜」を考えるとき、頻繁に複製本が登場するので、先回りして複製本を買う意味を考えてみました。以下、本題に続きます。

(普段は写り込まないようにしている机脇。紙派の行きつく先はこうなので、それを完全に擁護はできないです。)