七月の星の句、空の歌2020年07月12日 09時55分31秒

このところの長雨、コロナ禍、そして政治の醜状で、すっかり気分がくさくさしていました。でも、今日は久しぶりの青空。蝉が勢いよく鳴き出しました。

カレンダーを見ると、今日は旧暦の5月22日です。
「五月晴れ」という語は、本来こういう「梅雨の晴れ間」を指すのだと本で読みましたが、古人が「五月晴れ」をいかに有難く思ったか、今となってみると、よく分かります。

現代の人は歴史的豪雨を前に、やれ異常気象だ、温暖化による地球環境の変化だと、右往左往しますが、それが確かな科学的事実にしろ、昔の人は「正常範囲のちょっとした豪雨」でも大いに苦しめられたことを、同時に想起すべきだとも思います。

この小さな惑星で、太陽の放射に依存し、大気の循環に身を任せて暮らしている限り、人間の暮らしが天候に左右されることは、当分変わらないでしょう。

九州は今日も雨。当地も明日から再び雨の予報です。
観天望気しつつ、警戒を怠らず振る舞うことにします。

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今日の「朝日俳壇・歌壇」より。

(長谷川 櫂 選)
  追憶の川でありしよ天の川   (東京都)長谷川 瞳

追憶の中身について、作者は何も語っていません。ただ、心の奥からあふれた思いが、天の川とともに流れゆく心象を詠み、長大な流れに託された、その追憶の深さを暗示するのみです。そして、読者の心のうちにも、いつか白々とした天の川が浮かび、それぞれの追憶が流れ出すのを感じるのです。

(同)
  七夕や義理人情の星に住む   (横浜市)高野 茂

星の世界に人事を投影するという意味では、上の句と同旨ですが、こちらはぐっと世話に砕けた川柳調。それにしても、ある年齢以上の人ならば、この句に「げにも」と頷かないわけにはいかないでしょう。天上の美に憧れつつも、我が身はやっぱり下界の住民です。なかなか辛いところであり、同時に面白いところでもあります。

(6月20日深夜、パリの空。ギユマン『Le Ciel』(1870)より)

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とは言え、聖なる天上世界と俗なる人間世界を、はなから別のものと考える必要はありません。両者はやはり同じ世界にあって連続しています。宇宙の構造や星界の出来事は、人間に当然影響を及ぼしているし、人間もまた「観測者」として、宇宙のありようの深い所に影響を及ぼしています。

(永田和宏 選)
  水平線二分する青を分け合って
       海と空にはのりしろはない   (流山市)葛岡昭男