生死去来 落々磊々2023年11月18日 14時11分36秒

以前、こんなセピア色の写真を手にしました。


1890年に撮影された古写真です。被写体はピサの大聖堂脇にある墓所(カンポ・サント)の壁面を飾る、14世紀のフレスコ画、「死の勝利(Il Trionfo Della Morte)」


ひたすら黙想する隠修士の群れ(左上)。


棺桶の中で腐朽する死体におののく貴族たち。


死者の魂を奪い合う天使と悪魔。


地上のあらゆる者に訪れる死―。

「夜明け前がいちばん暗い」といいますが、黒死病が蔓延し、中世的秩序が急速に崩壊しつつあったルネサンス前夜のヨーロッパにあって、人々は憑かれたように「死」をテーマにした作品を描き続けました。

   ★

歌手のKANさんの訃報に接して、「必ず最後に死は勝つ」の思いが深いです。

ガザ地区の映像を見て、無辜の子どもたちの死に歯噛みしつつ、それを指揮した老ネタニヤフも、手を下したイスラエル兵も、歯噛みしている自分自身も、遠からずすべては死に呑み込まれ、消えてゆく…。海辺にこしらえた砂のお城が、波に洗われて崩れ去るのを、ただ黙って眺めているような、今はそんな気分です。

(でも、たとえそうだとしても…と、ここで奮い立つのが、人として正しい振る舞いという気もしますが、なかなかそうなれない気分のときもあります。)

コメント

_ S.U ― 2023年11月19日 15時51分08秒

「死を身近に感じること」がブームになった時代があるそうですね。逆に言うと、長いヨーロッパの中世の時代は、死について考えなくてよい安泰な時代だったのかもしれません。実際には、十字軍遠征やモンゴル・オスマンの侵攻など異民族との戦争はありましたが、貴族にとってはキリスト教を教え通り信仰しておればよい安定した時代だったのでしょうか。中世美術の屈託のない敬虔さを見ていると、そうだったのかなと感じます。
 死を恐れおののく時代も恐ろしいですが、人が死ぬニュースに慣れっこになる時代はもっと恐ろしいです。何ともわかりませんが、人はみなどうせ死ぬんだから、他人の生命については神様にお任せして、人間は関わるなというくらいがかえって平和かもしれません。

_ 玉青 ― 2023年11月21日 19時18分57秒

一口に中世といっても1000年ばかり続きましたから、なかなか一言では語れないでしょうが、キリスト教だけ信じていれば良いというのは、たしかに心の平安には役立ったことでしょう。いろんな可能性に頭を悩ませることなく、答は全て聖書に書いてある…と最初から割り切れれば、大いに「思考の経済」になりますしね。

とはいえ、ひとたび身辺を見渡せば、戦争や疫病はもとより、たとえそれらのない状況下でも、老少不定の死は日常茶飯のことであり、常に死と隣り合わせだからこそ、死後の裁きに絶えず恐れおののき…という具合で、中世人の生活の基調をなしたのも、やっぱり別種の不安や苦悩だったろうと想像します(この点は多分いつの時代も同じでしょう)。

_ S.U ― 2023年11月23日 08時55分48秒

現代、急激に変化しているのは、どちらかというと死に対する儀礼のほうですね。「家族葬」とか「墓じまい」とか「樹木葬」とか、元禄時代からのお墓~お寺~檀家の伝統も近く崩れていくことになるのではないかと思います。

 本格的な少子高齢化がその理由ですが、それにつれて死に対する意識も、天寿をまっとうする人が増えれば、長生きした人の葬儀はそれほど悲しくもなく、遠路老人に来てもらうこともないので簡素化され、そのいっぽうで若くして亡くなった人への悲しみは増すことになるのだと思います。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック