物を買うということ2009年05月04日 15時50分33秒

今日も画像のないつぶやきです。

この「天文古玩」も、初期の頃はおおらかで牧歌的な趣がありました。その時々に手に入れた物をネタにゆるゆると記事を書き、まさに「折々の物欲記」のような、愚かしいなりに静かで落ち着いた日々があったのです。

しかし、いつの頃からでしょうか、徐々に物を買うスピードが記事を書くスピードを上回るようになり、読んでない本、開けてない箱、整理されてない資料が部屋に山積みとなるにつれて、この小さな世界で物と人との苛烈な争闘が展開するようになったのです。

その争いは、表面的には(これまでも何度か書いたように)<空間闘争>の様相を呈していました。しかし、その本質は、対象を咀嚼し、己に同化する営みが滞ることに伴う心身の軋みと痛みです。

大量の異物を取り入れ、しかも相手に乗っ取られることなく、常に自分がその主人たること。それは実は強靭な意志の力がいるのです。(あたかも不動明がデーモンに乗っ取られずにデビルマンとして転生したように。)

たかがブログとはいえ、やはり記事を書くには、テーマを咀嚼した上で「自分の世界の一部」として書くのでなければ、ブログ主が逆にブログのしもべとなってしまいますし、それはブログ主の精神にとって決定的な悪影響を及ぼすでしょう。

以前は「買う」ということが、文字通り「自分のものにする」ことだと思っていました。しかし、そうした素朴な観念はすでに完全に破綻したことを認め、私は改めて身ひとつで物たちと対峙しようと思うのです。

いや、これまで物たちの主人たることを目指し、彼らと覇を競ったから疲弊したのであって、むしろ(対峙するのではなく)素直に彼らに教えを乞い、知己となり、ともに旅を続けるような心構えが大切なのではないでしょうか(RPGみたいですね)。

なにがしかの金銭を払っただけで、物たちの魂まで自由になると思ったのが、大いなる間違いでした。

「物」は「我」と対立しながら、しかも一体であり、これを仏家の説に「物我一如、物我一体(もつがいちにょ、もつがいったい)」と説くそうです。