石の縁、人の縁 ― 2011年12月19日 22時14分59秒
旅の記に続いて、土曜日の素敵な出会いについて。
この日は、鉱物趣味の新時代を画した『鉱物アソビ』、そしてその続編である『鉱物見タテ図鑑』の著者である、フジイキョウコさんとお話しする機会がありました。
(フジイさんからいただいた、黒地に活版の銀文字が映える黄鉄鉱カード。)
『鉱物アソビ』の出版をめぐるエピソード、そこに係わった誰それの話、フジイさんの子ども時代の思い出…いずれも大変興味深かったです。
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中でも面白かったのは、フジイさんが鉱物画を探し求めて、地学系に強い神田の某古書肆を訪ねた際のエピソードです。フジイさんがあれこれ説明しても、そこの店主氏は全くその意図が理解できず、話は最後まで平行線だったとか。
何でも店主氏は、「そうか、お前さんは学術書ではなくて、絵入りの入門書を探しているのだね。では、これを読むといい」と、(親切にも)最近出た初学者向けの本を薦めてくれたそうです。
要するに、アカデミックな<鉱物学>の体系が脳内に刻まれた店主氏にとって、アートや文学と接する近頃の<鉱物趣味>は、完全に理解を超える存在だったわけで、これはなかなか考えさせられる話です。
私には、フジイさんの思いも、店主氏のそれも、それぞれよく分かる気がします。
ここには、アートとサイエンスの対立もあるし、また以前話題にしたように(http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/04/09/5789446)、博物学とサイエンスの違いという、もう一寸入り組んだ問題も絡んでいると思います。
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あるいは、「石」業界の内輪の話。
ミネラルショーで同じように軒を並べていても、「鉱物屋」と「宝石屋」はほとんど交流がなく、別種の業界を形成しているとか、だからこそ両方に通じた人はきわめて貴重な存在であるとか、私にとっては初めて聞く話で、思わず「へええ」と思いました。
(同じく「石」の一字が捺されたしおり。凹凸舎・製)
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あるいはガラスの実験器具をめぐる話。
実験器具というのは、戦前も戦後もほとんど同じ姿をしているけれども、やはり今出来のものは魅力が薄く、古いものは趣がある…そんな微妙な感覚にも深い共感を覚えました。(ちょっと古陶磁趣味に通じますね。)
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と、こんな風に書いているとキリがありませんし、実際当日も話は延々と尽きませんでしたが、最後に「こういう出会いから、何か新しいものが生まれたら…!」という夢を話し合って、この日は語り納めとしました。
これが正夢になったら嬉しいですね。
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