2012年、新春のごあいさつ2012年01月01日 17時27分05秒

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今日は快晴。おだやかな正月でした。
朝から酒を過ごして、さっきまでボーっとしていましたが、これも身辺が平穏無事なおかげです。ありがたいことです。
この平穏がいつまでも続くといいなあと思いますが、なかなかそうはいかないかもしれません。多端な年の幕開けです。気を引き締めて、しかし心の余裕は失わずに、臆せずいきたいと思います。

今年の抱負めいたことは、大みそかにも書きましたが、1つ付け加えると、今年は天文と博物(および他の話題)をもっと積極的に絡めたいという希望があって、正月2日はそのことを少し書く予定です。

ゆったりとした天文趣味の話(1)…ジョン・リー2012年01月02日 23時22分17秒

世間の人が「天文趣味人」と聞いて、どんな人種を想像するかはよく分かりません。
目をキラキラさせたロマンチックな人とか、あるいは単純にヒマ人を連想するかもしれません。ただ、ひとたび「天文ガイド」誌を覗けば、天文マニアとは「観測オタク」や「機材オタク」のことなんだね…と思われることでしょう。

天文マニアも千差万別なので、ひとくくりにしてはいけませんが、上の観察は部外者の曲解とも言い難く、たしかに多くの天文マニアはオタク的なキャラクターの持ち主であり、人生を構成する諸要素のうちでも、ごくごく限られた小領域に興味を集中させている人たちである…と、言って言えなくもないでしょう(ちょっと歯切れが悪いですが)。

私はオタク的な人が好きですし、そうでなければ何かを成し遂げることは難しいと思います。とは言え、私が憧れるスタイルは、「天文命!」というのとはちょっと違います。

このブログも多分そうでしょうが、私の中にあるイメージは、まず「好奇心の発露」が太い幹としてあり、遥かな宇宙への興味関心は、そこから伸びた1本の枝であるというものです。この辺のことは、私がごちゃごちゃ言うよりも、その実例を挙げた方が分かりやすいと思うので、先人の生き様を見てみます。

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たとえば、かつてのイギリスにジョン・リー(John Lee, 1783-1866)という人がいました。本職は法律家でしたが、友人のスミス提督(その息子が、プロの天文家になったピアッジ・スミス。cf. http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/06/05/393347)から天文趣味を吹き込まれて、個人天文台を自邸(ハートウェル・ハウス)内に建てて、観測にのめりこんだ人です。

ビクトリア時代の初め、この資産と才能に恵まれた人物の天文ライフは、次のようなものでした。

 「子午儀室、計算室、ドラムとドームを備えた新天文台は、ハートウェル・ハウスの書斎からすぐ行けるようにつながっていた。充実した本のコレクションから、エジプト学の陳列室、さらに珍品のつまったキャビネットに至るまで、戸外に探検に出ずとも、そこをざっと歩くだけで、ジョン・リーの教養の全体像を一望するには好都合なつくりだった。しかし、彼はスミスや〔ウィリアム・〕ピアソン、〔ジェームズ・〕サウスらと全く同じ按配でグランドアマチュアだったのではない。天文学は、彼の唯一それに尽きる情熱というわけではなかった。むしろ他の多くの活動に交じって、気分を高揚させる魅力的な活動の1つであった」 (アラン・チャップマン著、『ビクトリア時代のアマチュア天文家』 邦訳p.77)

 「リーにとって天文学とは、高尚で洗練された、ジェントルマンなら身に付けるべき良き学問分野の1つであって、エジプト学・考古学・さまざまな蒐集・古銭趣味・社会改良運動等にかける情熱と並列する存在であった。〔…〕ハートウェル人脈とそれが残した文書類は、天文趣味がビクトリア時代のイギリス知識階級にどれほど浸通していたか、そしてそれが巨大なカントリーハウスを舞台に、友人も交えてどのように楽しまれたか、それを遺憾なく教えてくれるのである。」 (同 p.91)

(スミス提督の著書、The Cycle of Celestial Objects Continued at the Hertwell Observatory to 1859 (1860, London) に描かれたハートウェル天文台)

まあ、良き時代だったと思います。
そして、国も、時代も、社会的環境もまったく違いますが(巨大なカントリーハウスでの生活などは想像もできません)、それでもこういう精神生活を、個人的にとてもうらやましく思いますし、「珍品のつまったキャビネット」に敏感に反応する自分がいます。

趣味としての天文、アマチュア天文家の立ち位置として、こういうスタイルが再び大いに称揚されてもいいのではありますまいか? (いや、そういう人は今もいるはずですが、あまり表に出てこないので、気付かれないのでしょう。)

(こういう羨むべき類例をさらに挙げつつ、この項つづく)

ゆったりとした天文趣味の話(2)…ウォード夫人・前編2012年01月04日 22時50分11秒

三が日も幻のごとく消え去りました。
2012年もすでに1%が経過し、残り99%を切ったわけです。まことに無常迅速。

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さて、話の続き。
元旦に書いたように、この「天文古玩」も近ごろ天文専一というわけにいかず、博物趣味やヴンダー趣味の台頭が著しいです。それはそれで「有り」だと思いますが、とりあえずこの辺で、そういう様々な領域を綜合し、止揚したい気がします。

そのために、前回はジョン・リーの生活スタイルを例に挙げました。彼の場合は、天文学と人文学―あるいは尚古趣味―の調和がテーマでしたが、今日は天文学と博物学をともに終世追求した人として、アイルランドのメアリー・ウォード(1827-1869)をとりあげます。

彼女は、一般に「ウォード夫人(Mrs. Ward)」の名で知られ、著書もその名で上梓しています。アイルランドのバー城に口径100インチの怪物望遠鏡を建設した、ロス伯爵(1800-1867)の従妹にあたる…と聞けば、その生活背景や、知的環境がただちに想像されます。実際、彼女は少女時代にロス伯の望遠鏡を繰り返し覗いた経験があり、バー城を訪れた高名な天文家にも、その知識と才能は深い感銘を与えました。


(メアリー・ウォード、1860年ごろ。ロス伯爵夫人による撮影。伯爵夫人は夫に負けず進取の気性に富み、女流写真家のはしりでした。出典:D.H.Dvidson, Impressions of an Irish Countess, The Birr Scientific Heritage Foundation, 1989)

「しかしながら、天文学は彼女の唯一の関心ではなかった。いや、その第一の関心ですらなかった。彼女の大のお気に入りは昆虫学だった。彼女は熟練した博物学者となり、また植物学や生物学の標本収集家となった。
彼女は〔デイビッド・〕ブリュースター推奨の一台の顕微鏡を所有し、自らの手で美しいプレパラート標本を作り、そして自然界の繊細なスケッチを描いた。
何人も子供がいる家庭を監督しながら、生物学や昆虫学をテーマにした本を著わす時間を見つけ出し、ついには名著・『顕微鏡指南Microscope Teachings』(1864)(後に『顕微鏡 Microscope』と改題)を出したが、この本は何千部も売れた。天文学をテーマにした類書、『望遠鏡 The Telescope』(最初は『望遠鏡指南 Telescope Teachings』の書名で1859年に刊行された)も、同様の成功をおさめ、これまた何度も版を重ねた。」
(Mary Brück 著、『Women in Early British and Irish Astronomy』(2009, Springer), p.97)

(『顕微鏡指南』(1864)。表紙を飾る顕微鏡は、ウォード夫人の愛機。)
(同書に収められた、彼女の手になるスケッチ。)

(この項つづく)

ゆったりとした天文趣味の話(3)…ウォード夫人・後編2012年01月06日 20時59分34秒

メアリー・ウォードの『望遠鏡 The Telescope』(旧題・『望遠鏡指南 Telescope Teachings』)も、『顕微鏡』と同様に、自らの愛機(※)を使って、自分自身の目で観察したことを、美しいスケッチとともに紹介した好著です。

(※)口径5センチの屈折望遠鏡。それを勧めたのが、あの世界一の大口径マニア、ロス伯爵だったのは興味深い。

1859年に初版が出る直前、1858年に大空を翔けた巨大なドナチ彗星の水彩画は、天文学と美術のみごとな融合です。
実はウォード夫人のこの本と、ドナチ彗星の絵は、ずいぶん前にも記事で取り上げていて、まったく同じようなことを書いているのですが、その後、Brück博士の前掲書『Women in Early British and Irish Astronomy(初期の英国・アイルランド天文学における女性たち)』を読み、博士もウォード夫人のオリジナリティという点に注目されているのを知り、大いに意を強くした次第です。

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ここで少し話がそれますが、上で触れたドナチ彗星の絵。
2006年に↑の記事を書いたときは、1876年の第4版を元に紹介したのですが、その後1859年に出た初版を手に入れて比べてみたら、挿絵の細部がかなり違っていることに気付きました。

↓は左が第4版、右が初版です。


彗星の尾の表現がずいぶん違います。何せ彗星登場から20年近く経っていたので、人々の記憶も薄れていたか、あるいは拡大誇張の方向に記憶が変形していたのでしょう。ウォード夫人が第4版の図を目にしたら、即座に修正を指示したかもしれませんが、このとき彼女はすでに故人となっていました。ともあれ、本を買う時は、版の違いにも注意を払うべきだということを改めて感じました。

(初版の図の尾の部分を拡大。濃淡表現が繊細かつリアルです。)

(彼女の天文家としての力量を示す、ドナチ彗星の連続スケッチ。この図は後の版にはなくて、初版のみに収められています。)

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さて、話をもとに戻してさらに続けます。
あるいは日食、あるいは流星群…彼女がペンや絵筆で記録した天文現象は、いずれも魅力的であり、価値あるものでした。

「あらゆる点で、彼女の魅力的かつ教育的な著作は、彼女が憶測や理論化を排し、己の目で見たものだけを平易な言葉と絵で記載するという、博物学者たることの証しに他ならない。〔…〕こうした理由から、メアリー・ウォードの『望遠鏡』は、小型望遠鏡ユーザーの入門書として、まさに不滅の存在である。同時代におけるその価値は、平明な文章とすばらしい挿絵を組み合わせて、一般の人々の天文学に対する興味を大いに掻き立てたことだった。〔…〕

もし、彼女がもっと長命だったら、さらに観測を続けて、天文学の啓発家であるにとどまらず、きっとユニークな研究者としての地位を確立したことだろう。だが、現実はそうはならなかった。〔しし座流星群の観測記録を公にした〕わずか2年後の1869年に、彼女はまだ42歳の若さで亡くなったのである。
」 (Brück前掲書、p.97)

惜しみても余りある死。

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彼女は大自然の驚異に対して、常に開かれた存在でした。その行動の背後には、神の被造物の精妙さや美しさを眺め、神の栄光をたたえたいという、強い動機づけがあったようです。その点で、私とまったく立場は違いますが、しかしここで「神の栄光」を「名状しがたい不可思議さ」や「奇態なカッコよさ」に置き換えれば、存外その距離は近いともいえます。

もちろん、私は精緻な観測をこらすわけでもなく、単純にこんなモノを買った、あんなモノを見つけたという、オメデタイ話ばかりしているので、ウォード夫人と我が身を比べるのは最初から無理ですが、しかし彼女の精神のありようは大いに学びたいと思っています。そして、天文学と博物学を並行実践した、その力強い知力に深い憧れを覚えます。

ゆったりとした天文趣味の話(4)…P.H.ゴス・前編2012年01月09日 00時51分08秒


(Philip Henry Gosse 1810-1888。Wikipediaより)

天文趣味と博物趣味。そこから連想するのは、博物学の偉大な啓発家、フィリップ・ヘンリー・ゴス(1810-1888)です。彼はビクトリア朝時代における、博物学ブームの立役者の一人で、そのことは以前ちらりと書きました。

■磯遊びの思い出… P.H.ゴス、『海辺の一年』(2)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/04/09/5789446

その中で、リン・メリルの『博物学のロマンス』から次の一節を引用しました。

「彼は標本を「固定」し昆虫をピンで止めたり、広口瓶、平鉢、水槽〔アクアリウム〕のなかで海洋生物を飼育することの達人であった。なんと言っても、水槽は彼の発明品である。彼の家は魚飼育用の水槽、植物栽培容器、瓶、昆虫用キャビネット、星座を眺めるための望遠鏡や動物を調べるための顕微鏡などでごったがえしていた。」

私はここで、「星座を眺めるための望遠鏡」をゴスが手にしていたことを知って、おや?と意外に思ったのですが、今回改めて調べてみて、ゴスと天文学のかかわりは、なかなか容易ならぬものがある…ということを知りました。

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ゴスの息子である、詩人のエドムンド・ゴス(1849-1928)が著した伝記フィリップ・ヘンリー・ゴスの生涯(1890)が、現在オンラインで読めますが↓、それによるとゴスが死んだのは、まさに天体観測が原因だったのだそうです。

(ゴス父子、1857年。同上)

例によって適当訳ですが、以下、「第10章 デヴォンシャーでの文筆活動 1857~1864」から抜き出してみます。

 「父は長年愛し続けてきた女主人、すなわち動物学を投げ出し、代わりに天文学と植物学に熱中し始めた。これら2つの新しい興味が目覚めたのは、1862年の4月のことである。前者は、「タイムズ」紙に、父の想像力を強く刺激した彩星coloured stars〔=色彩の鮮やかな恒星〕に関する観測記事を発表したことが発端であり、また後者はシンクレア卿の熱帯産のランのコレクションを見たのがきっかけだった。父はいつもの情熱で、これら目新しい分野に精魂を傾け、ランを育てる温室を建てたかと思うと、非常に値の張る奇妙で魅力的な植物たちをせっせと集めては、そこに並べ始めた。」

1862年とは、ゴスが52歳を迎えた年です。ゴスは1888年に78歳で亡くなりますが、人生の後半に入ってから急に天文づき、その趣味は没するまで続きました。以下は「第11章 晩年 1864~1888」の記述から。

 「とはいえ、これらの年月は決して不活発だったわけではない。その間、父はアマチュアとしての活動に専心しており、その中でもランの栽培と天文学の研究は突出していた。フィリップ・ゴスが還暦を迎えたとき、彼の身体はすっかり健康になり、ひょっとしたらそれまで以上に人生を楽しんだかもしれない。」

その死の前年、1887年になっても、彼の知的好奇心は依然旺盛で、天文熱も続いていました。

 「10月になると、ティステッドの教区牧師、F.ハウレット師の訪問を受けたことがきっかけとなって、父と母は再び晴れた晩に天文学の研究をするようになった。22日の日記にはこう記されている。『20年余り前と同様に、我々は恒星たちの間で忙しく過ごしている。特に、魅力的な二重星を夢中で探しまわっている。今は夜でも惑星が見えない』。 父は時折、以前よりも弱々しい感じがしたし、明らかに寡黙になっていたとは言え、家族の者たちは、父について特に心配はしていなかった。

 だが1887年も暮れようとする頃、とても寒い晩に、新しく買ったばかりの望遠鏡用機材が外れて、庭に落ちるという事件があった。このささいな出来事による心の動揺と、レンズが落ちた場所を確認するために、しばらく身をかがめたことによって気管支炎の発作が起こり、この持病は何とか収まったものの、父が健康を取り戻すことは二度となかった。」

こうして床に伏せりがちになったゴスは、翌1888年8月23日、ひっそりと息を引き取りました。苦しむことなく逝ったことは幸いだったと、息子は記しています。

(記事が長いので、ここで2つに割ります)

ゆったりとした天文趣味の話(5)…P.H.ゴス・後編2012年01月09日 19時20分53秒

(前回のつづき)

このゴスの伝記は、息子のエドムンドの目を通して叙述されていますが、巻末にはゴスの妻(前妻をガンで失った後に迎えたイライザ)の手記が付録として収められています。同じような内容ですが、こちらも見てみます。

「この時期〔引用者註:晩年の数年間〕のこととして、夫が天体の研究に打ち込んだことを述べないわけにいきません。私たちは良い望遠鏡を持っていました。秋晴れの、星がいっぱいの晩には、それを使って主要な星座や二重星、それに星雲に関して、しっかり学ぶことができました。

この望遠鏡は、ある事故のせいで台無しになってしまいましたが、バザーの折に、ロチェスターの牧師さんから、もっと性能の良い望遠鏡を手に入れることができたので、それを使って私たちは、遠い遠い世界の素晴らしい光景を、さらに眺めることができるようになりました。このきわめて興味深い探究は1887年の終わりまで続きましたが、私にとって貴重な暮らしは、そこで幕を閉じたのです。

その年の冬の晩は冷え込んでいました。開け放った窓辺で熱心に立ったまま望遠鏡の調整をしていたせいで、夫は気管支炎の発作を起こし、1888年の初めには、深刻な病状になっていました。医者によって心臓の具合が悪いことも見つかり、それでも二人でちょっと散歩に出たり、ごく短い時間、田園まで馬車で出かけることはありましたが、夫の健康がすっかりだめになっていることが分かるのに、時間はかかりませんでした。」

夫婦で仲良く天体観測に励んだ様子が、何ともほほえましい。
ゴスは天文学に関しては完全に素人でしたから、上のこと(=夫婦で仲良く)は、当時の一般的なアマチュア天文ライフの一端を物語るものとも言えそうです。おそらく、この時期、天体観測は一般の女性も参画できる趣味として、徐々に認知されてきたのでしょう。

ゴスが天文趣味に目覚めた1862年というタイミングも興味深いです。
これはちょうどウォード夫人の『望遠鏡指南』(1859)が出て、好評を博していた時期にあたります。一般的に、この頃から天文趣味の裾野がぐんぐん広がり始めたので、ゴスもその波に乗った形です。かつての啓発家が反対に啓発されたわけで、当時の天文趣味の勢いを物語る話ではあります。

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限りない創造の驚異は、何の補助具もない肉眼では見えずとも、顕微鏡の助けを借りれば十分視野に入ってくる。その驚異へと至る小道を切り開くことこそ、本書の目的であり、その取り扱う内容である。

すべての目に見える事物において、神の力と智慧の顕現は偉大かつ華麗であるが、同様にこれらの栄光は、さらに予想もつかないほどの広がりを見せており、ただ光学機器製作者の技術がそれを明らかにするまでは、打ち捨てられ、見過ごされてきたのだと断じても差し支えあるまい。

まるで東洋の伝説に出てくる強力な魔神の所業のように、この真鍮の筒こそは、それまで見えなかった驚異と美に満ちた世界への錠を開ける鍵であり、それを一目見た者は、決してそれを忘れることはないし、感嘆の言葉が尽きることもないだろう。」

ゴスが、まだ天文趣味に目覚める前の1859年に著した『顕微鏡とともに過ごす夕べ Evenings at the Microscope』の序文の一節です(1896年のアメリカ版から訳出しました)。ゴス自身が、天体観測について何か本を書いた話は聞きませんが、上の文中の「顕微鏡」を「望遠鏡」に置きかえれば、彼が天文趣味に何を求めていたかは明らかです。

ゴスが使った機材や、その天文活動の詳細は不明ですが、「魔法の筒」を駆使して、博物学と天文学に熱狂した、もう1つの実例として、ここではゴスに注目してみました。


(↑過度に装飾的なヴィクトリア時代のプレパラート。
背景はゴスの『顕微鏡とともに過ごす夕べ』、1896)

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さて、ここまで書いてきて、ふと思ったのですが、天文趣味と他の興味関心―博物学でも、古物趣味でもいいですが―を両立させた人を挙げるとなると、賢治も、足穂も、抱影もそうですし、さらに言えば、アリストテレスも、ニュートンも、フックも、ハーシェルも…となって、話が終わらなくなります。

以下は、改めて話のポイントをしぼって、驚異の部屋への志向性と天文趣味が併存した例に内容を限定することにします。

ちなみに、古物の陳列室や「珍品のつまったキャビネット」を自慢したジョン・リーはその資格十分です。ウォード夫人やゴスの場合も、博物標本や採集・観察用具が山積した様は、きっと現代の目からすれば十分「驚異の部屋」的香気を放ったことでしょう。

次回は少し毛色の変わった例を見ることにします。

(このシリーズは少し間を開けてさらに続きます。なお、「ジョバンニが見た世界」も、画像の準備ができたら再開の予定です。)

雪のフラスコ2012年01月10日 20時11分19秒

この前登場した雪のブルーベリー酒
飲み終わった壜をとっておこうと思い、水洗いして干しておきました。
それを今朝見たら、斜めの光を受けて、なかなかいい感じに見えました。


厚手のガラスなので、角度によって雪は奇妙にゆがんで見えます。



静かに壜の中に舞い落ちる雪。



壜にプリントされたフラットな雪片は紋様風。



この壜には「底」が2つあるので、直立も斜立も可能です。



透明な球体を満たす雪。



北海道大学に敬意を表して。水滴に曇った硝子の肌が美しい。

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上の写真は少し画像をいじってあります。
所詮は(失礼)、800円のお酒の空き瓶ですから、実物は、こんな風にクリスタルガラスのような輝きを放っているわけではありません。まあ、見方によっては美しくも見える…ということです。

睡沌氣候(スイトンキコウ)2012年01月12日 05時48分21秒

透明で硬質な叙情、星や鉱物への憧憬は、賢治や足穂を水源として、フープ博士やクシー君という大湖を形成し、さらに後続の若い世代にもしっかり受け継がれているようです。

クシー君の生みの親、鴨沢祐仁氏が逝って今日でまる4年。
その衣鉢を継ぐ…と思える作家が、コマツシンヤ氏です。

アマゾンのレビューに、「佐々木マキさん、鴨沢祐仁さん、たむらしげるさんの系統を引き継ぐ存在で、お三方の好きな読者にはとても好感が持てると思います」とあったのに惹かれて、最近その作品集『睡沌氣候』(青林工藝舎、2011)を読みました。


氏の作品世界は、この表紙絵に遺憾なく凝縮されています。
  星図、月、蛾、甲虫、キノコ、粘菌、化石、卵、種子
  薬瓶、抽斗、鉱物、結晶、時計、歯車、電球…
氏は間違いなくオブジェが、そしてそれらの集まった夢の町が好きなのでしょう。

巻を開いてみます。

たとえば一切セリフのない作品、「サイクリングライフ」。
森を越え、砂漠を越え、大都会をよぎり、星を越え、はるか銀河のかなたまで伸びるサイクリングロードを、ひたむきに自転車で走り続ける少年。その寂寥感が深く印象に残る作品です。

あるいは一瞬で消える運命の、極微の世界の住人たちが、時空を超えて集めたチェス駒を使って、世界が終るまでのひとときを勝負に打ち興じる「最期のゲーム」。
わずか8ページの掌編ですが、ここには時空の不思議な入れ子構造と、他の自己作品への言及が複雑に絡み合い、読了後、思わずめまいをおぼえます。

なんとも不思議な才能です。

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コマツ氏の個人的ことは何も存じ上げませんでしたが、検索したらご自分のサイトを開設されていました。

異次元社.com  http://www.izigensya.com/

プロフィール欄には、1982年の生まれだとありますから、今年ちょうど30歳。
昔の作家さんは皆東京を目指しましたが、コマツ氏は一貫して高知県の、それもかなり自然に近い環境で暮らしていらっしゃるらしく、その辺がかえって今風という感じです。

上で「衣鉢を継ぐ」と書きました。
DIARYを読むと、たしかに鴨沢氏や足穂への言及がありますし、また別のインタビュー記事(http://manganavi.jp/interview/creator/20081022/index.php?p=1)の中では、「特に強い影響を受けたマンガ」として、たむらしげる氏と佐々木マキ氏の名前を挙げています。したがって、それらの影響圏内にあるのは確かですが、もちろん氏の作品はそれにとどまらず、唯一無二の世界観を確立していると感じます。

本当に楽しみな作家の登場です。

作品密度の濃さから、量産は望むべくもありませんが、読者の勝手な希望としては、この質を維持しながら、息長く制作を続けていただきたいものです。

暗黒・耽美・驚異のアーカイブ2012年01月13日 20時52分10秒

(出典:http://laboratory.vicious-sabrina.com/

以前(http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/09/24/6111609)、中目黒の「博物Bar」と共にご紹介した創作ユニット、Vicious Sabrina。

彼らは、ダークでヴンダーな味わいのアクセサリーを制作・販売しつつ、その過程そのものが1つの表現行為でもあるという、そんな人たちです。彼らのブログ Vicious Sabrina Archives (http://vicioussabrina.blog72.fc2.com/)は、新作リリース情報などのプレス機能を果たすと共に、その創作の源である、美しいもの、不思議なもの、奇怪なものを集積するアーカイブ機能も有しており、最近再訪したら、その幅はますます広く、奥行きもいよいよ深くなっているようでした。

たとえば、Museum Archivesでは、ロンドンの医学系博物館や、フリーメイソンに関する資料館と並んで、あの(とあえて言いましょう)ウィリアム・ハーシェル博物館の探訪記までも取り上げており、私は思わずポンと膝を打ちました(本当に打ったわけではありません)。

彼らの心が向かう先には、墓場あり、廃墟あり、博物図あり、解剖学あり、そしてカルトな人気を集める映像作家・クエイ兄弟あり…という具合で、こういう対象に惹きつけられる人々は、心をグイとわしづかみにされることでしょう。しかも、最近はオリジナル作品ばかりでなく、博物系アンティークの商いも徐々に始まっており、なかなか目を離すことができません。

脂の乗った、まさに旬のサイトとして、同好の士に広くお勧めする次第です。

さあ、みんなでハーシェルの天体を見よう2012年01月14日 21時27分15秒

※この記事は、1週間トップ表示します※
【1月22日付記: トップ表示の期間が満了したので、本来の位置に戻します。】

今日は天文古玩には珍しく、リアル天文趣味の話題です。

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古来、人類の歴史を変えた天文家が幾人かいます。
プトレマイオス、コペルニクス、ケプラー、ガリレオ。あるいは天文家ではないですが、宇宙の理解を飛躍的に高めたニュートンやアインシュタインなど。

イギリスで活動したウィリアム・ハーシェル(1738-1822)も、間違いなくその一人です。

(Sir Frederick William Herschel,  1738-1822)

新惑星・天王星を発見し、赤外線の存在を実証し、太陽系が恒星宇宙の中を疾駆している事実を見出し、銀河系の形状を観測データから明らかにし、膨大な星雲星団の目録を超人的な努力でまとめた人。40歳を過ぎて天文家に転身する前は、優秀なプロの音楽家だったという、その経歴からして、とびきり異色の存在です。

そうした個々の業績も驚くべきものですが、その最大の功績は、この大宇宙(太陽系を超えた遥かな世界)の真の姿について、人類は単なる思弁のみならず、具体的な観測によってもアプローチできることを、身をもって実証したことでしょう。後続の学者たちは皆、このハーシェルがこじ開けた扉を目にしたことで、果敢な挑戦に打って出ようという勇気を与えられたのです。

これは人類の精神史における、一種の革命だと言ってよいのではありますまいか。それまで庇護されるばかりの存在だった幼児が、ある日ふと「自分もやればできるんだ!」と気づいた瞬間…とでも言えばいいでしょうか。

この偉大な天文家を慕う人々は今も多く、イギリスにはウィリアム・ハーシェル協会があり、日本にも日本ハーシェル協会があって、活動を続けています。

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さて、ハーシェルについて熱く語りましたが、私も会員である日本ハーシェル協会では、本年「ハーシェルの天体を見よう2012」というイベントを開催します。会員であってもなくても、世界のどこからでも参加自由という、気軽な催しです。

内容は、今年1年かけて、ハーシェルにちなむ天体を5つ見ようというものです。(そう、たった5つです。これならば、ものぐさな人や、ライトな天文ファンでも十分チャレンジできそうですね。)

そのラインナップは以下のとおり。

1.天王星
2.ハーシェル天体H VII-2(いっかくじゅう座 散開星団 NGC2244)
3.ハーシェル天体H V-24(かみのけ座 銀河 NGC4565)
4.ハーシェルのガーネットスター(ケフェウス座μ星)
5.ハーシェル天体H V-1(ちょうこくしつ座 銀河 NGC253)

街中でも小型望遠鏡があれば十分チャレンジできるものをセレクトしました(一部は双眼鏡でも観測可)。昔、天体望遠鏡を買って、土星の輪っかや木星の縞模様は見たけれど、天王星はまだ見たことがない…という方も多いでしょう。この機会にぜひ挑戦してみてください。
個々の天体に関する情報や、イベントの詳細は、以下の特設ページをご覧ください。


■ハーシェルの天体を見よう 2012
 http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/hsjsub/herschelwatch2012/

このイベント、参加費や事前エントリーはもちろん不要ですが、「見えた!」「残念、ダメだった」, etc. …のレポートを、日本ハーシェル協会の掲示板にお書き込みいただければ有難いです。偉大なる天文家の追体験を、多くの方といっしょに楽しめればと思います。

なお、この情報について、個人サイト;Twitter;口コミ等で拡散していただければ、これまたありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします。