天体議会の世界…「南へ」(3)2013年07月28日 17時30分41秒

蝶型の翅を持ち、地面すれすれの低空を飛ぶ「蝶凧(パピイ)」。
そのモデルにふさわしい蝶を思案していました。

「南方の蝶」というと、極彩色の、あるいは金属光沢のモルフォ蝶みたいなのを連想すると思いますが、南にはもっと軽やかなイメージの蝶もいます。


たとえば、このかそけきガラス細工のような姿はどうでしょう。
南米に住む、スカシジャノメの仲間です。

日本に住むジャノメチョウ類は、日陰を好む、茶色い地味な蝶で、あまり「蝶よ、花よ」ともてはやされることもなく、イメージ的にはむしろ蛾に近いものがあります。
蝶マニアを除けば、一般の関心を引くような存在でもありません。

(いかにも地味な本邦「ジヤノメテフ科」の面々。
戦前の『原色千種昆虫図譜』(1933)より)

しかし、スカシジャノメの姿は、それとはまったく印象が異なります。



透明な翅に、ピンクや、パープルや、黄のぼかし模様を点じた、まさに繊細華麗をきわめた姿で、世界中に愛好者も多いようです(蝶にとっては迷惑な話ですが)。


   ★

で、肝心の「蝶凧(パピイ)」なんですが、軽量の樹脂製ボディに、こんな翅を備えた、軽やかな乗り物を想像してみてはどうだろうか…というのが、私の提案です。

ジブリが将来「天体議会」を映像化するとしたら、ぜひそんな姿を望みたいです。

コメント

_ S.U ― 2013年07月28日 19時15分26秒

おぉっ、このチョウはすごいですね! 生きているうちから透明なんですね。ジャノメチョウなのに。驚きです。こんなのが突然飛んできたら、どんな気持ちがするでしょう。

 このチョウを見て、室内用のゴム動力飛行機を連想しました。さらに、長野まゆみ、飛行機ですから、例によって、稲垣足穂の文献を引かせていただきたいと思います。

 足穂に「ファルマン」という小品(『ヰタ マキニカリス』所収)があって、本文の最後が詩で締めくくられていますが、その最後のフレーズが、「フランスの蝶! ファルマン!」となっています。初期のファルマン型飛行機が作者のイメージの一つであった可能性も考えてよいと思います。 「パピイ」はフランス語起源でしょうし、ファルマンは徳川大尉の飛行で日本でも知られています。これらはサポート材料となると思います。

_ 玉青 ― 2013年07月29日 20時22分58秒

興味深いご示唆をありがとうございました。さっそく「ファルマン」、読みました。
薄絹を張った軽やかな翼で、フワリと野や畠の上を滑っていく飛行機械。
時代背景を考えれば(一応SF的設定ですから)、「パピイ」はファルマンそのものではないかもしれませんが、「ファルマン的なるもの」である可能性は大きいですね。
何といっても彼(彼女?)こそ「フランスの蝶」であり、一匹のパピヨンなのですから。
(絹の翼にも、鱗翅類への連想が働いている感じです。)

_ S.U ― 2013年07月30日 05時59分31秒

>「パピイ」はファルマンそのものではないかもしれませんが、「ファルマン的なるもの」
 
 おぉ、「ファルマン」全編をお読み下さいましたか。この作品は、出てくる飛行機の描写はおおむね愛らしく親しみ深いいっぽう、足穂のテンションは高いですね。

 確かに「パピイ」は未来の蝶凧ですから複葉機そのものではないでしょうね。絹張りの翼とともに、複葉が羽4枚に見えること、翼弦線が豊かなこと、尾翼と方向舵が箱凧的構造になっている点は、パピイの形状の参考になると思います。

 長野氏は機械に関してどのような感情(すなわち、ヰタ マキニカリス)を持っているのでしょうね...作品の光景の想像は読者側に属するものでしょうが、作者についても気になりました。

_ 玉青 ― 2013年07月30日 21時22分00秒

「ファルマン」の主人公の「私」が、ゴム動力で飛ぶ「模型飛行機」ではなく、正確なスケールモデルである「飛行機の模型」を志向し、しかも本物がまとっている「空中感」まで欲したところなど、いかにも「水晶物語」の例の少年を思わせますね。足穂とモノとの関わりについて、再度思いをはせました。

長野氏もモノ好きには違いありませんが、氏の筆はどうもお菓子とか、玩具とか、自然のちょっとした欠片とか、そういったモノを書くときのほうが筆が走っていて、あまりマシンへの偏愛はないんじゃないでしょうか(『天体議会』ただ1作を読んでの感想ですので、あまりまともにお取りにならないように)。

_ S.U ― 2013年07月31日 06時43分49秒

「ファルマン」にしても「水晶物語」にしても、少年が固定しようと焦る微妙な感覚や思いについて、多角的にくどいほど描かれていますので、読者にもそういう感覚の指すものがよくわかります。足穂は、この点である意味非常に懇切な作家であったと言えるでしょう。でも、その背後にあることを統一的に表現するためには彼の一生を要し、また、それがどう伝わったか、うまくいったかは、読者それぞれが判断するところでありましょう。

 長野氏は足穂の亜流ではないようですので、立っている基盤も違うのでしょう。それでも、上の足穂の一生の課題について、なんらかの解釈をしたところを出発点として『天体議会』を書いているのではないかと思います。それが何かということを知りたいのですが、玉青さんの「モノ好き」の診断では、まずはオブジェ志向から始まっているように見えるということですね。私も『天体議会』一作のみの読者で、長野氏の他の一、二の編については途中で挫折したもので話になりません。これ以上の追究は無期延期です。

 足穂は「機械的人生」というだけあって、機械にはオブジェ以上の「精神力」をこめているようですが(「ファルマン」NB)、これについては、また別の機会に議論させていただきたいと思います。

_ 玉青 ― 2013年07月31日 20時22分31秒

>また別の機会に議論

そうですね。
このテーマには、いずれ必ずまた立ち返る機会があることでしょう。

_ 日本文化昆虫学研究所 ― 2013年07月31日 23時20分25秒

なるほど,スカシジャノメですか.確かに軽量で華麗なパピィのイメージにピッタリなように思います.日本の種類だとウスバシロチョウなどがよいモデルになってくれるかもしれませんね.

_ S.U ― 2013年08月01日 06時42分12秒

>いずれ必ずまた
 はい。いつも何度でも!

_ 玉青 ― 2013年08月01日 20時25分47秒

この場合、とにかく軽やかさが欲しかったので、スカシジャノメを挙げてみたのですが、ウスバシロチョウの仲間も軽やかさでは負けていませんね。
ただ、後者には何となく「北のチョウ」のイメージがあるので、個人的に若干ポイントが低くなりました。(^J^)

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