お知らせ2017年12月07日 22時21分41秒

諸々の事情により、今日から来週いっぱい記事をお休みします。

コメント

_ K.T. ― 2017年12月13日 12時14分24秒

コスモ石油の昔のCM、いいですね。

https://www.youtube.com/watch?v=NfhiKhVtEUo&t=561s

老宇宙飛行士の枯れた風情に、私も少し近づいたようです。


クエイ兄弟の人形アニメーションが公開された頃でしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=UIGEjEu0bn4

1989年1月8日、昭和最後/平成最初の日、六本木の映画館で見ました。


再来年、また元号が代りますな。

_ 玉青 ― 2017年12月18日 20時46分22秒

ああ、何だかしみじみしますね。
平成最後/○○最初の日、どんな光景を、どんな思いで目にするでしょうか。
動画のご紹介もありがとうございました。この暗い画面が今の気分に寄り添い、いっそ心地よいです。

_ K.T. ― 2018年01月04日 19時38分09秒

2016年8月、象徴は、加齢による体力の衰えという生物学的事実を述べるに終始しながら、それを口実に使って、直裁では御法度となる政治的メッセージを巧妙に滑り込ませ、陪審たる我々主権者を誘導するという高度な法廷戦術を見せました。その狡賢さはナルちゃんにも骨の髄まで叩き込まれていることでしょうから、ここは大いに期待したいところです。私も一国民として、注意深く見守ってゆこうと思います。ジジイののんびりは、まだちょっと先にとっておきます。遅れましたが、今年もよろしくお願いいたします。

_ 玉青 ― 2018年01月06日 10時38分58秒

あはは、今年もK.T.節は健在ですね。
ともあれ、このリアルな歴史ドラマに立ち会うことになったのも、何かの運命ですから、権力者の右往左往、世間の空気、己の感情の動きをしかと記憶にとどめ、冥途土産にしたいと念じています。

_ K.T. ― 2018年01月06日 22時55分21秒

皇族の行動を制限し縛るものであるから「ナルちゃん憲法」はそう呼ばれねばならない。こうした基本認識を持った皇后の下で厳しくしごき抜かれて来たに違いない皇太子ですから、そこには我々が期待を寄せるに十分な根拠がある訳です。母親に背くような真似は日本男子として出来ますまい。無論、征服や支配の保守や維持のために世の平安に腐心する「帝王学」が根底に流れていることは疑いを容れないでしょう。しかし、まさにそれゆえに、我々の利害と皇室のそれとは多くの点で一致を見ると思われます。何故なら少なくともそれは、征服や支配の保守や維持のために戦争を画策する「独裁者学」ではないからです。と言うのも、戦争の恐ろしさを一番肌身で知っているのは、まさに天皇だからです。敗戦時、天皇制が存続の危機に直面してから、まだ100年も経ってはいないのです。私は天皇に、夢や希望を託しているのではありません。天皇には、平和主義を遵守し、これを貫かねばならない、ごく端的な理由があるのです。それは少しも理想主義的なものではありません。我々の生存欲とも手を携え合える、単に現実主義的なものであるに過ぎないのです。そしてそれが、私が天皇に注目する所以です。

年明けから、何やら鬱陶しい話を押し付けてしまいました。もうこれで退散いたします。連休は、どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

_ 玉青 ― 2018年01月07日 10時54分07秒

個人としての天皇、そして天皇制にどう向き合うか、これまで棚上げ気味だった課題と、今後は一人ひとりが「素」で対峙せねばならなくなりそうな気配ですね。そのためにも、繰り返し歴史を振り返り、今から足腰を鍛えておかねばならないぞ…と感じます。

_ K.T. ― 2018年01月08日 08時59分29秒

どうしても気になって悶絶して苦しい故、改めての投稿をお許しください。
不躾、なにとぞ御容赦を。
貴コメント欄、万歳!

皇族の行動を制限し縛るものであるから「ナルちゃん憲法」はそう呼ばれねばならない。立憲主義に関するかくも明確な基本認識を持った皇后の下で厳しくしごき抜かれて来たに違いない皇太子ですから、そこには我々が期待を寄せるに十分な根拠がある訳です。母親に背くような真似は、日本男子の第一の標本として決して出来ますまい。無論、征服や支配の保守や維持のために世の平安に腐心する「帝王学」が根底に流れていることは疑いを容れないでしょう。しかし、まさにそれゆえに、我々の利害と皇室のそれとは多くの点で一致を見ると思われます。何故なら少なくともそれは、征服や支配の保守や維持のために戦争を画策する「独裁者学」ではないからです。と言うのも、戦争の恐ろしさを一番肌身で知っているのは、まさに天皇だからです。敗戦時、天皇制が滅亡の危機に直面してから、まだ100年も経ってはいないのです。私は天皇に、夢や希望を託しているのではありません。天皇には、平和主義を遵守し、これを貫かねばならない、ごく端的な理由があるのです。そこには、いささかの理想主義もありません。あるのはただ、我々の生存欲とも確かに手を携え得る、貧寒なほどの現実主義だけなのです。そしてそのことこそが、私が天皇に注目する所以に他なりません。

_ 玉青 ― 2018年01月08日 13時00分20秒

いやあ、万歳!と言われると、何だか己が天皇になったような気分ですが(笑)、何はともあれ、精神的煩悶と苦闘の向こうにこそ光明があると信じようではありませんか。

_ K.T. ― 2018年01月11日 12時11分48秒

ーー「もちろん、該存在が象徴天皇制に固執するのも、次の敗戦時に処刑されないようにするためです。元首なら殺されるが、象徴ならその危険がわずかでも減る。しかし、そのような究極事態に陥る前にも、やれる事は沢山ある。戦跡行脚をはじめとする、軍国化阻止、戦争回避に向けての非違憲的手法による努力を促すよう『帝王学』的動機がこれからも作用してゆくだろうことには、相応の信憑性があると考えられます」

俺の頭は何て鈍いんだ!
シメの台詞を、玉子をうでながら今やっと思いついた!
天皇を相対化し切った上でなお評価するなら、ここまで突き詰めなきゃダメだった!
もう無視してください、よろしければ削除、出入り禁止に。

_ 玉青 ― 2018年01月11日 22時04分29秒

眼前の歴史の波濤を超えるには、何よりも沈着剛毅の士として胆力を練ることが肝要かと。一時の激情にゆめ流されてはなりません。
まずは茹でた卵をよく味わい、然る後、静かに道を探るにしくはなし…と愚案します。

_ K.T. ― 2018年01月12日 16時51分20秒

ありがとうございます!
もう一回、もう一回だけご辛抱を!
貴コメント欄への投稿を通じ、幼少時からの宿年の疑問が疑問として、もうこの先徴兵もされないであろう年齢となった今、やっと朧げに形をなしてきたのです!
もう一回、本当に、このもう一回だけです!

今回の一連の書簡の目的は、民主主義国家とは本来相容れない「帝王学」的動機が、敗戦によって実行形態のみに変形を被った結果、征服支配の維持保守という依然たるその本質のゆえに、あたかも平和主義に資するかの外観を呈しているのではないか、という仮説を提示することにあります。証明にまで至ってはおりませんが、推認強度が然るべく高まっていることを執筆者として期待いたします。現皇后を持ち得たことの、この列島に起臥する者にとっての僥倖については、本文で触れました通りです。立憲主義が平和主義を何等保証しないことについても、専制主義が厭戦と矛盾しないことについても、民主主義が好戦と矛盾しないことについても、今は於きます。なお現在、石破茂氏をはじめとする、天皇をすら顧みないメカニックな純粋国家主義者が台頭の兆しを見せておりますが、それに関しては日をあらためまして。今夜はリヒャルト・シュトラウスを聴いて少し休もうと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=aUJgye0A5PY&feature=youtu.be&t=535

_ 玉青 ― 2018年01月12日 23時56分13秒

思えば、記事からずいぶん遠いところまで来ましたね。
とりあえず、この話題はここまでにいたしましょう。

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