屋根の上で見つけたもの2018年12月29日 13時43分22秒

空はよく晴れているのに、風が吹きつけて、昨日は底冷えのする一日でした。
前日まであんなに賑やかに鳴いていた鳥たちもピタリと鳴きやみ、木が風にごうごうと鳴る音を聞きながら、机の上をざっと片付け、今年もどうにか仕事納め。

そして今日目覚めたら雪の朝でした。
ゆく年くる年までは、まだ二日ばかりありますけれど、気分的にはもう一年が終わったような心持ちです。そんな気分で、少しのんびり文章を書いてみます。

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小人閑居して不善をなす。
まさにこの言葉通り、「天文古玩」を休止して浮いた時間を、最近の自分は何か有効なことに使うでもなく、ネット上をうろうろして、要らざるものを買い込んでは、部屋を狭くするぐらいのことしかしていませんでした。
でも、その分いろいろ意外なモノとの出会いもあり、まあ不善は不善にしろ、大悪に堕すことなく、それなりに楽しい時を過ごしています。

たとえば、今年は天文をモチーフにしたゲームを何度か取り上げましたが、これは依然として興味の対象なので、しつこく探索を続けています。そして財布と折り合えば、積極的に買うようにしています。


このゲームもその一つ。
空の定められた位置に、星代わりの銀球をコロコロ転がしてはめ込むという、手先の器用さと根気を試される、一種のパズルゲームです(箱の大きさは約10.5×16cm)。1900年代初頭のドイツ製で、背景はクロモリトグラフ。

(遊びとしては、以前登場した「星の銀貨」のミニゲームと同工異曲)

これのどこが天文なの?と思われるかもしれませんが、まあ、この男の晴れ晴れとした顔をご覧ください。煤まみれの煙突掃除人が、屋根のてっぺんで見つけたもの、それは譬えようもなく美しい天上の星々でした。


人家の立て込んだ街中にあって、室内で逸楽にふける大金持ちや小金持ちの目には触れない、このひそかな楽しみ。貧しくも広大な空を我がものとした男の得意を思いやるべし、です。

どうでしょう、これはなかなか天文趣味の妙をうがっているのではないでしょうか。
まあ、天文に惹きつけて無理に持ち上げなくても、この暗い色調の絵柄には、強く惹かれるものがあります。

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そんなこんなで、モノとの付き合いは続いています。
そして、その付き合いの記録を、ひきつづき書き残すことにします。

真の天文アンティークとは2018年12月30日 15時25分38秒

ロンドンとニューヨークに堂々たる店を構えているDaniel Crouch Rare Books(以下、クラウチ古書店)というお店があります(注)。ここは金満的なファインアートも扱っていますが、天文関係の品にことのほか力を入れていて、その取扱い品目も古書に限らず、天球儀をはじめとする天文関係のいろいろな優品に及んでいます。

オンラインの商品案内だと、「Instruments」というカテゴリーにそれは出てきます。


さらに「Show SOLD items」というボックスにチェックを入れると、過去の取り扱い品目も見られるし、別のページに飛ぶと、過去のカタログ(例えばこちら)をじっくり眺めることもできます。

うーむ、見れば見るほどすごいです。
こういうのを真の天文アンティークと呼ぶのではありますまいか。そして、すごいと言えばお値段の方もすごくて、数千ポンドはおろか数万ポンドという値札まで平然とぶら下がっています。きっとこのお店は、100万円単位のお金を気楽にポンポン出せる富裕層や、資金力のある大学や博物館を主な顧客にしているのでしょう。

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私も自分の手元にある品を「天文アンティーク」と呼ぶことがあります。
でも言葉は同じでも、その意味するところはまるで違います。その主体は、大量に刷られた一般向けの古書であったり、星座カードであったり、星にちなんだ玩具とか雑物類なんかですから、本当は「天文アンティーク」というよりも、「天文ブロカント」と呼んだ方がぴったりくる感じです。

まあ、クラウチ古書店のような世界と無縁であることは、返す返す残念ですが、今さら貧を嘆いても仕方ないし、逆にいうとクラウチ古書店のカスタマーの視界には、天文ブロカントの愛らしい小世界は見えてないでしょうから、そこはお互い様です。(それに、優品であれ、些細な品であれ、そこに込められた「星ごころ」に本来優劣はないし、我々はモノを通して「星ごころ」をこそ賞美しているのだ…というのが、私の負け惜しみというか、公式見解です。)

とはいえ、星ごころさえあれば、モノは不要だというわけでは決してありません。
モノにはモノの価値がやっぱりあります。そうでなければアンティークにしろ、ブロカントにしろ、そもそもモノを集める意味がありません。そして、時には眼福を得ることや、見て学ぶことも大切ですから、ブロカント派の人も、クラウチ古書店の商品ラインナップをしばし呆然と眺めたり、せめて複製や復刻なりとも手にして、優品の雰囲気を味わうことが大切になってくるわけです。

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というわけで、自分のやっていることを自己肯定しつつ、やっぱりスゴイものはスゴイと、素直にビックリしています。対象を天文アンティークに限っても、世界は実に広いです。

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(注)同店のことは、以前もロシアで最初に出た美しい星図集について触れたときにチラッと書きました。

金の星図

鬱屈者は元旦に黄金の実を拾う2018年12月31日 08時59分19秒

今年もいよいよ終わりです。
1年を振り返って、今年いちばんの出来事は、12年間続いたブログについに終止符を打ったことです。じゃあ、今書いているこの文章は何かと言えば、中有にさまよう死者のつぶやきのようなものです。四十九日もとっくに過ぎたのに、未だ成仏できずにいるとは、よほど業が深いのでしょう。

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戯れ言はさておき、趣味の方面の話ですが、今年の買い物日記を読み返すと、自分は元旦から早速買い物をしていて、それがこれです。


金色のインク壺。
胡桃や団栗を模したインク壺は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ中で流行ったらしく、今でもオークションにたくさん出ています。素材は真鍮やブロンズ製のこともあるし、木製のこともあります。デザインも至極リアルなものから、デフォルメの利いた民芸調までいろいろ。これはイギリスの人から買いましたが、産地はフランスかもしれません。大雑把に言って、こうしたデザインは、アール・ヌーヴォーの余波でしょう。


この品、パカッと殻が割れるようになっていて、中はうつろになっています。
ここに直接インクを入れたわけではなくて、ここにピッタリはまるガラスのインク瓶が本来あったはずですが、今は失われています。(なお、この品は見た目は真鍮ですが、地金は銀白色で、スズと鉛ないし銅の合金ではないかと思います。)


付けペンを使う習慣のない自分が、なぜこれを買ったのか、当時の心持は何となく覚えています。その時の私は、机辺に何か野の香りのするもの、ホッとできるものが欲しかったのです。身辺の瑣事に、一種煮詰まった気分だったのでしょう。

この気分はブログの休止まで尾を引いており、その直前に「ヘンリ・ライクロフトの植物記」という記事を書いたのも、やっぱりその辺に原因があります。(その時ははっきり意識していませんでしたが、今思うと確かにそうです。)

硬質な星の世界も勿論いいですが、植物には柔らかさと同時に優しが、そして生の実感が伴っており、それに頼りたくなる気分のときがあるものです。

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で、このインク壺が今も机辺にあって、私を慰めてくれていればいいのですが、残念ながら物陰に追いやられて、今はまったく目に触れることがありません。というのも、届いた実物は最初画像で見た印象よりも一回り大きくて(差し渡しは約15cm)、机に置くと、他の作業に差支えるからです。

(手前は野生のオニグルミの実。こうして見ると、全然大きさが違いますね。)

何事も形から入ると、得てしてこういう企画倒れになりがちです。でも、それを責めずにいてくれるのが、植物の優しさなのかも。まあ、それに甘える自分もどうかと思いますが…。

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今年の霊界通信は、これで語り納めです。
それでは地上の皆さま、良いお年を!