鬱屈者は元旦に黄金の実を拾う ― 2018年12月31日 08時59分19秒
今年もいよいよ終わりです。
1年を振り返って、今年いちばんの出来事は、12年間続いたブログについに終止符を打ったことです。じゃあ、今書いているこの文章は何かと言えば、中有にさまよう死者のつぶやきのようなものです。四十九日もとっくに過ぎたのに、未だ成仏できずにいるとは、よほど業が深いのでしょう。
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戯れ言はさておき、趣味の方面の話ですが、今年の買い物日記を読み返すと、自分は元旦から早速買い物をしていて、それがこれです。
金色のインク壺。
胡桃や団栗を模したインク壺は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ中で流行ったらしく、今でもオークションにたくさん出ています。素材は真鍮やブロンズ製のこともあるし、木製のこともあります。デザインも至極リアルなものから、デフォルメの利いた民芸調までいろいろ。これはイギリスの人から買いましたが、産地はフランスかもしれません。大雑把に言って、こうしたデザインは、アール・ヌーヴォーの余波でしょう。
この品、パカッと殻が割れるようになっていて、中はうつろになっています。
ここに直接インクを入れたわけではなくて、ここにピッタリはまるガラスのインク瓶が本来あったはずですが、今は失われています。(なお、この品は見た目は真鍮ですが、地金は銀白色で、スズと鉛ないし銅の合金ではないかと思います。)
付けペンを使う習慣のない自分が、なぜこれを買ったのか、当時の心持は何となく覚えています。その時の私は、机辺に何か野の香りのするもの、ホッとできるものが欲しかったのです。身辺の瑣事に、一種煮詰まった気分だったのでしょう。
この気分はブログの休止まで尾を引いており、その直前に「ヘンリ・ライクロフトの植物記」という記事を書いたのも、やっぱりその辺に原因があります。(その時ははっきり意識していませんでしたが、今思うと確かにそうです。)
硬質な星の世界も勿論いいですが、植物には柔らかさと同時に優しが、そして生の実感が伴っており、それに頼りたくなる気分のときがあるものです。
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で、このインク壺が今も机辺にあって、私を慰めてくれていればいいのですが、残念ながら物陰に追いやられて、今はまったく目に触れることがありません。というのも、届いた実物は最初画像で見た印象よりも一回り大きくて(差し渡しは約15cm)、机に置くと、他の作業に差支えるからです。
(手前は野生のオニグルミの実。こうして見ると、全然大きさが違いますね。)
何事も形から入ると、得てしてこういう企画倒れになりがちです。でも、それを責めずにいてくれるのが、植物の優しさなのかも。まあ、それに甘える自分もどうかと思いますが…。
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今年の霊界通信は、これで語り納めです。
それでは地上の皆さま、良いお年を!
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