石田五郎 『天文台日記』…星のダンディズム2006年11月01日 22時10分23秒


★石田五郎著 『天文台日記』 (筑摩書房、1972)
 ちくま少年図書館シリーズの1冊。

昨日トコさんにコメントをいただいた本です。一昨年文庫化されていたんですね(中公文庫BIBLIO)。知りませんでした。日本の出版界もやるな、と嬉しくなります。今アマゾンで見たら、文庫版の表紙も洒落ていました。ついでながら、アマゾンのカスタマーレビューも大いに吉。

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出版時、著者は48歳。その3年前に岡山天体物理観測所の副所長に任ぜられています。本の内容は天文台に起居する科学者たちの日常を、1年間の日記形式で描いたノンフィクション。

「197 * 年1月1日 快晴 せまい分光器の観測室内で夜明けをむかえる。露出計(モニター)の目盛りを照らす小さいランプ以外、すべてのあかりを消した暗い室内で、ひとり椅子にすわりファインダーの視野の監視をつづけていたが…」

という書き出しで始まり、大晦日の晩、一人モニターの前でアポリネール作詞のシャンソンを口ずさむシーンで終わります。

「レ・ジュール、サン・ヴォン、ジュ・ドムール 日はすぎ去りて、とどまるはわれ…」

実にかっこいい本です。山行記や航海記に通じる「男のロマン」と、学問の先端をゆくハイブロウな雰囲気が、子供のころの科学者へのあこがれを甦らせます。

本もそうですが、著者の生き様もまさに「ダンディ」と呼ぶにふさわしいものでした。

岡山天文台開所、初日カバー2006年11月02日 22時56分50秒


石田五郎氏との縁で話題を続けます。

岡山天文台(正式には東京天文台岡山天体物理観測所)の開所は、昭和35年(1960)10月19日。計画自体がスタートしたのは、日本の占領が解除された直後の昭和28年(1953)ですから、思い起こせば、ずいぶん昔のことです。

188センチ反射望遠鏡を主力機材とし、日本における本格的な大望遠鏡の歴史はここに始まります。

さて、写真は同天文台の開所を記念して発行された初日カバー(First Day Cover、略してFDC)。初日カバーとは、記念封筒に新発行の切手を貼り、発行日の消印を押したもの。封筒自体は公式に作られる場合もあり、また民間の業者があれこれ趣向をこらして作る場合もありますが、今回の品は後者です。

やさしい色合いの素朴な木版画が童画チック。

こうした品は、どちらかといえば郵趣マニアの領分であり、本来の天文趣味からは遠いのですが、その周辺に位置するアイテムとして、ちょっと気が利いています。

岡山天文台 初日記念プレート2006年11月03日 21時34分29秒


だんだん話がずれていってしまいますが(たしか、まだパリ天文台の絵葉書の途中だったような…)、ズレついでにもう1つ載せておきます。

これも岡山天文台にちなむ「初日モノ」。先日アメリカから里帰りした品で、なかなかの珍品です。

記念切手の図柄をそのまま拡大して金属プレートに刻み、特殊な技法で彩色したもの。山田総合科学工芸研究所(と、多分書くのだと思います。解説が英文なので漢字表記は不明)の製品で、彫金を担当したのは遠藤シュウメイという人です(伝未詳)。

鈍く光る金属の質感と、その彩色のグラデーションが硬質な美しさを見せています。
同じモチーフでも、昨日の木版画とは非常に対照的な風合い。

岡山天文台 初日記念プレート (画像追加)2006年11月04日 09時32分06秒


金属プレートの質感がスキャナーだとよく出ないので、カメラで撮り直しました。これでも、実際に見るのとは違いますが、まだ感じが出ていると思います。

きらきらと光る、金、銀、淡黄、オレンジ、灰、濃灰で描かれた風景です(サイズ 5.2cm x 7.6cm)。空と海は梨子地(なしじ)のようなテクスチャーで表現されています。

パリ天文台(4)2006年11月04日 10時33分17秒


同天文台の絵葉書の4枚目です。

子午儀、子午環といった子午線観測用の機材群がずらりと並んでいます。

これらもまた望遠鏡の一種といえばそうですが、鏡筒は上下にしか動きません。その用途は、主に星が南中した時刻と高度を調べることで、恒星の極めて厳密な ―秒単位の― 位置測定を行うことにあります。可動域の制限が、一方では機械的安定性を高め、厳密な観測を可能にしているのです。

「位置天文学」というのは、気ままなスターゲイザーからすると、何となく辛気臭い分野のように思えますが、こうした作業の果てに、地動説の直接証拠である恒星の年周視差も発見されたのであり、まさに天文学の王道を行く、人類の知力と技術力の勝利を象徴する存在ともいえます。

それにしても、大砲や操舵輪のような姿が実に勇壮ですね。エレクトロニクス以前の、19世紀のハイテクの粋がここにはあります。

19世紀の天文趣味…フラマリオンに見るその一断面2006年11月05日 19時44分55秒

昨日、某メーリング・リストに投稿された記事です。「もしみんなが望遠鏡を持っていたら…」というタイトル(以下、適当訳)。

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「およそ知性ある者、美しい光景に心を動かす者であれば、たとえ貧弱きわまりない望遠鏡であれ、起伏に富んだ白銀の三日月が、紺色の空でうち震える様をひと覗きすれば、すばらしい喜びに感極まり、今や地上の俗生活を離れて、宇宙旅行の最初の停泊地を訪れているのだと感じるのではあるまいか?

およそ思慮深い魂ならば、4つの衛星を従えた壮麗な木星を、神秘の環で囲まれた土星を、はたまた緋色とサファイアブルーに輝く二重星を無限の夜空に眺め、しかも驚異の念で心が満たされぬということがあろうか? まさに然り!

もし人類が ― 野良仕事のつましい農夫や、都市で苦役につく労働者、教師や自立できるだけの資産を持ち、今や富と名声の絶頂にある人々、果ては浮薄この上ない社交界の女性に到るまで ― どんなに深い内的な喜びが、宇宙を眺める人々を待ち受けているかを知ったなら、そのときこそフランスは、いや全ヨーロッパは、銃剣ではなく望遠鏡で覆い尽くされ、世界の幸福と平和は大いに増進するに違いない。」

 ― カミーユ・フラマリオン、1880

"What intelligent being, what being capable of responding emotionally to a beautiful sight, can look at the jagged, silvery lunar crescent trembling in the azure sky, even through the weakest of telescopes, and not be struck by it in an intensely pleasurable way, not feel cut off from everyday life here on Earth and transported toward that first stop on celestial journyes?

"What thoughtful soul could look at brilliant Jupiter with its four attendant satellites, or splendid Saturn encircled by its mysterious ring, or a double star glowing scarlet and sapphire in the infinity of night, and not be filled with a sense of wonder? Yes, indeed:

"If humankind - from humble farmers in the fields and toiling workers in the cities to teachers, people of independent means, those who have reached the pinacle of fame or fortune, even the most frivolous of society women - if they knew what profound inner pleasure awaits those who gaze at the heavens, then France, nay, the whole of Europe,
would be covered with telescopes instead of bayonets, thereby promoting universal happiness and peace."

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出典が明記されてませんが、たぶん彼の代表作『一般天文学(Astronomie Populaire)』の一節ではないかと思います。天文趣味は世界を変える…という彼の予想は残念ながら外れましたが、19世紀には天文趣味にそれだけ大きな期待がかけられていた、ということは記憶されてよいのではないでしょうか。

フラマリオンのこの本は以前もご紹介しました(http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/01/27/228265)。上の写真はその英訳本“Popular Astronomy”です(Gore 訳、Appleton、1925)。これとても読んでないことに変わりはないんですが、フランス語よりはまだ取っ付き易いかと思って、本棚に並べてあります。

それと、この本にはもう1つ別の興味もありました。(…以下明日に続く)


■07.2.18 付記■

上記文章の出典は、やはり Astronomie Populaire だそうです。
詳細は以下の記事の、synaさんのコメントを参照してください。http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/02/17/1191574

ひとやすみ2006年11月06日 22時56分31秒

今日はちょっと長文のメールを何通か書かねばなりませんので、ブログはお休みします。

昨日の続きは、また明日に…。

マイケル・J・クロウ著 『地球外生命論争』 を読む2006年11月07日 22時52分03秒

(上掲書、第3巻表紙)

一昨日触れた、フラマリオン著・ゴア訳の『一般天文学』について知ったのは、マイケル・J・クロウの『地球外生命論争』(鼓澄治ほか訳、工作舎、2001)においてでした。


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 フラマリオンの最も成功した著作は、彼の『一般天文学』であり、それは、英語に翻訳した天文学者J・E・ゴアによれば、「数年の間に、…10万部以上が売れ、多分、科学的著作の中では、他に匹敵するものがない売れ行きであったろう」。

〔中略〕J・E・ゴアによる『一般天文学』の注釈付き翻訳の一文は、フラマリオンの大胆で陽気なスタイルと、それが翻訳者に提示した問題を、次のように要約している。

 「われわれはすでに空に、断続的な閃光を放ちながら、燃え上がり、死に瀕し消滅へと向かっている25の星を見た。[「束の間の星」に関して認証されている事例数は、25より少ない―J・E・ゴア]。われわれの祖先によって観測された明るい星は、すでに、宇宙の地図から消滅してしまっている。[明るい星が、実際に消滅したかどうかは、非常に疑わしい―J・E・ゴア]。非常に多くの赤色星が、消滅の時期にさしかかっている。[赤色星が本当に冷却しつつあるかどうかは、論争中である―J・E・ゴア]。」

 このような文面から、フラマリオンの次の大著『星々と宇宙の名所』(1882)を評したある論評家が、なぜ彼を「欠点と言っていいほど、情熱的で想像的」だと描写したかが読み取れる出あろう。 (邦訳 671-672頁)

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上にあるとおり、ゴアのこの訳本は妙に註釈が多く、そこに半世紀の間に成し遂げられた天文学の進歩と、フラマリオンの大胆なスタイルが伺える…というのが、興味を惹かれた点でした。

本文を読み、註を見れば、いわば「1粒で2度おいしい」効果が期待できるのではないか、と思ったわけです。まあ、結局積ん読のままなので、空しい期待だったわけですが…。

それはともかく、この『地球外生命論争』はとても読みごたえがあります。フラマリオンはもとより、天文学史の本流というよりは、その周縁に位置する人々(しかし当時は、それなりに影響力のあった人、というのがミソ)が大量に登場してくるので、天文趣味の歴史を振り返る上では、大層参考になる本です。全3巻というボリュームに加え、広範な思想史をたどる硬派な内容からも、決して読みやすくはありませんが。

ウィリアム・ハーシェルの肉筆原稿2006年11月08日 23時43分56秒


今度の土曜日は、日本ハーシェル協会の年会の日です。私も出席の予定。

写真は天王星の発見者として名高い、ウィリアム・ハーシェル(Herschel, Sir William 1738~1822)の自筆原稿です。

後年(1865年)、同じく天文学者だった息子のジョン・ハーシェルが、知人宛てに亡父の手蹟を贈ったことがあったらしく、別にジョンの自筆贈り状も付属します。ハーシェル親子2代にちなむ品、というわけで、ハーシェル協会員としては自慢の一品なのです。

内容はというと、

“The term easier reflected, … the mixture in each small circle cannot follow the proportion pointed out, as is evident by considering that each colour will be freed from admixture of rays as soon as the neighbouring rays leave its circumferences …”.

とあって、どうも光学について論じた論文草稿のようですが、はっきりしません。

200年前、ハーシェルがじかに触れ、ペンを走らせた、まさにその紙片が今目の前にある…というのが、どうにも不思議な感じです。

水星見ゆ2006年11月09日 21時54分10秒

今日は1日中良いお天気でした。

出勤前に、話題の“水星・太陽面通過”を子どもといっしょに観察しました。しゃれたフィルターは持ってないので、太陽プリズムにサングラスという古典的な観測方法。熱でサングラスが割れる危険性があるため、現在ではご法度の方法ですが、それでも真昼の暗黒に浮かぶ緑の光球は、子どもの頃から見慣れた姿。

その光球上をゆっくりと横切る、針でつついたほどの黒い点が水星でした。実は水星をこの目で見たのは生まれて初めてだったので、ちょっとした感動がありました。(本当かどうか知りませんが、かのコペルニクスも終生水星を見たことがなかったという噂があります。)

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さて、写真は何度かとりあげたプロイセンゴールドのシガレットカード。水星(左)と金星(右)の絵です。金星の方は、まさに太陽面通過の模様。

星座シリーズも洒落てましたが、他の画題もそれぞれデザインに工夫があって、眺めて楽しいセットです。