再びフラマリオンの 『一般天文学』 について(1)2007年02月17日 22時16分26秒


依然として、気分が何となくフランスづいています。それはデロールの影響もあり、また最近自分の中でファーブルが、小ブームになっていることの反映でもあります。フランス語熱も微熱のように続いていますが、学習の方はまだ全く手付かず。

*   *   *

ところで、フラマリオンのAstronomie Populaire (http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/01/27/228265)は、表紙だけで、まだ中身をご紹介してなかったので、ここで少し内容を見てみようと思います。

ただ、その前に1つ訂正。以前載せた表紙の写真は、金彩の色を出そうと無理やり加工したため、オリジナルの色合いとは大分違うものになっていました。今回撮り直した上の画像のほうが本物に近い色です。

(この項続く)

コメント

_ syna ― 2007年02月18日 10時31分10秒

初めまして。shigeyukiさんの紹介で知って以来、いつも楽しみに拝見させていただいています。

ジュール・ヴェルヌに関するサイトをやっている者ですが、フラマリオンにもかねてから興味があり、(shigeyukiさんのホジスンのページからリンクしてもらっているので見ていただいたかもしれませんが)ちょっとした紹介ページも作っています。

ところで、11月5日の記事で紹介されていた一節ですが、『一般天文学』の中に原文を見つけました。かなり終わりの方で、6巻11章、GallicaのEテキストでは832ページから833ページにかけての段落です。該当箇所を抜粋しておきましたので、URL欄からご覧ください。原文を見て印象的なのはcontemplation (-teur)という語が二度使われていることですね。「眺める」よりもかなり深い言葉のようで「静観」とか「観想」と訳される場合もあります。そしてこの言葉は何よりもまず、フラマリオンが敬愛していた詩人、ヴィクトル・ユゴーの詩集のタイトルを思い出させます。

星と文学の関わりに興味を持っていて、実はウィリアム・ハーシェルにも非常に興味があるのですが、それはまたの機会に。

_ 玉青 ― 2007年02月18日 14時40分48秒

syna さま、初めまして。

ご教示ありがとうございました。ああ、やっぱり…という感じで気分がすっきりしました。さっそく元記事の方に註を入れておきます。

「最先端の基礎研究を行うための時間も資力も、そしておそらくその気もなかった天文家に目を向ける際には、実にこの観想的側面が決定的に重要であり、さらにまた、独創的な科学的思考の進展に大きな影響を及ぼすことが期待できないのに、なぜあらゆる階層の人々が、あれほど多くの時間とエネルギーをかけて宇宙を調べたのかという疑問に答える助けともなる。」

”アマチュア天文家の父”と呼ばれる、トーマス・ウェッブについて書かれた文章の一節です(A・チャップマン『ビクトリア時代のアマチュア天文家』、邦訳220ページ)。

彼はフラマリオンの1つ前の世代に属しますが、ここでも天文趣味における contemplation(観想)の行いが強調されています。ちょっと卑俗ないい方をすると、19世紀後半、西の方では天体観測に「精神修養」的な効果を期待していたのでしょう。

ハーシェルについても、ぜひコメントをお願いします。(日本ハーシェル協会の掲示板の方に書き込みしていただければ、他の協会員のためにも一層よろしいかと…。)

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