再びフラマリオンの 『一般天文学』 について(4)2007年02月20日 22時28分16秒


英語版(*)では、昨日の挿絵は割愛されていますが、本文はそのまま「太陽も一つの星に過ぎない:その運命」という章に載っています。

(*)http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/11/05/668568
  http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/11/07/693478

著者はまず、広大無辺の宇宙の中で、太陽がいかに小さな存在か、最も近いアルファ・ケンタウリ(ケンタウルス座α星)でさえも、どれほど遠く離れているか、さまざまな比喩を用いて読者を驚かせます。そして、わが太陽も有限の時間内に燃え尽きる、限られた寿命の星であることを指摘し、その後は真っ暗な闇が地上を覆い、太陽系は宇宙を彷徨う墓場となるのだと予言します。

これだけ読むと、通俗的な「科学びっくり譚」であり、人間の卑小さをニヒリスティックに述べているだけのように読めますが、しかし、実はフラマリオンの主張はその後に続くのです。

―しかし、それだけの距離を隔てながらも、我々の太陽はアルファ・ケンタウリと相互に影響を及ぼしあっている。いや、この世の全ての原子は他の全ての原子と重力的につながっているのだ。太陽もいつかは燃え尽きよう。しかし、それが永遠の終わりではない。太陽はおそらく他の星と衝突することによって再び燃えあがり、よみがえる。物質は不滅の存在であり、常に循環しているのだ。我々の肉体を構成する原子・分子はかつて先祖を構成していたものであり、愛しいフィアンセの瞳の輝きは、また雲となり、雨となり大地を潤す。自然界に偉大な物はなく、また卑小な物もない。原子を支配する法則は、同時に宇宙を支配している。重力こそエネルギーの源。それこそが星々に滅びをもたらし、また復活をもたらすのだ。(以上、かいつまんで適当訳)

「そして」と彼は最後に付け加えます。我々の肉体を構成する原子が不滅であるならば、我々の生命力、精神のモナド、自我もまた不滅なのではあるまいか。生命は普遍的であり永遠である― この命題に答を与えうる唯一のもの、それが科学である。

…とまあ、こういった調子で畳み掛けてくるので、フラマリオンが当時の読者に熱狂的に受け入れられたわけもよく分かります。その筆致には、確かに人を興奮させるものがあります。そしてまた同時に、彼が輪廻転生説を信奉し、オカルトに傾倒して行ったのも大いに肯けます。

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なお、フラマリオンの事跡については、先日コメントをいただいた syna さんの解説もごらんください。

http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Vega/1828/bio/flammarion.html