ジョバンニが見た世界…天文掛図の話(その1)2008年05月19日 21時02分11秒

( 『銀河鉄道の夜』より 第1章「午后の授業」 )

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れた
あとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは
何かご承知ですか。」先生は、黒板に吊した大きな黒い星座の図の、
上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みん
なに問をかけました。…

   ★    ★    ★

さて、今日の記事は文字だけなんですが、かなりまなじりを決して書いています。
他でもありません。『銀河鉄道の夜』に登場する素敵な天文アイテムの数々を検証するという、「天文古玩」開始時からの念願だった巨大なテーマに、いよいよ取り組もうと思います。

物語に登場する順番に沿って、まずは星座の掛図の話題から。

   ★    ★    ★

そもそも、この企画のスタートがこれほど遅れたわけは、ズバリこの星座の掛図が、大層な難問だったからです。実を言えば、今でも正体がはっきりしません。星座の掛図というのは、ありそうでない。では本当にないかと言うと、あったことは確かなんですが、近づけば逃げる逃げ水のようなもので、なかなか正体がつかめません。

大層なことを言う…と思われるかもしれませんが、この何気ない文章は、実はいろいろ問題をはらんでいます。掛図の歴史、天文学史、理科教育史、天文教具の歴史に照らして、こうした場面は現実にありえたのか?そもそも、この作品世界の時代設定はいつで、ジョバンニたちは何年生なのか…?

星座の掛図問題(問題視しているのは私だけですが)について、現在分かっていることを、これから順不同に挙げていきます。

(この記事は超長期連載になるので、ふだんの記事の合間に間欠的に書いて行こうと思います。)

コメント

_ shigeyuki ― 2008年05月19日 22時33分10秒

なんとなく読み進んでしまう宮沢賢治の文章が、玉青さんの問い掛けで途端に不思議なものに変わってしまいますね。連載、楽しみです。
そうそう、先日の鳥のビオソフィア、僕は行けなかったんですが、玉青さんの文章を読んでいると、見損なったことがとても惜しいことのように思えてきます。随分と良い展示だったようですね。

_ かすてん ― 2008年05月20日 17時13分20秒

パチパチパチパチ、、、
 これは開講を祝う拍手です。私も『銀河鉄道の夜』を傍らに置いて聴講生になります。

_ S.U ― 2008年05月20日 18時43分29秒

ついに始まりましたね。お待ちしておりました。
私も「銀河鉄道の夜」には特別な思い入れがあります。何せ、我が天文同好会の
会誌の題名が「銀河鉄道」ですから。(表記URLで公開していますので、また、おヒマで
死にそうな時にご笑覧いただければ幸いです)
問題の掛図については、私には特に明瞭はイメージはありませんが、当時どんな物が
あったのか興味があります。
 
 ところで、皆様のご感想を拝見するに、「鳥」は良かったようですね。残念ながら私は
行けませんでした。これで、もう一つの「理科室の謎」を思い出しました。私の通っていた
中学校や高校には液浸標本と並んで剥製もけっこうありました。あういうのはどこで
入手されたのでしょうか。アホウドリの剥製らしき物が高校にあって、なんで特別天然
記念物がこんなところに、と疑問を感じました。また、何らかの機会にご解説
いただけましたらさいわいです。

_ 玉青 ― 2008年05月20日 22時18分05秒

>shigeyukiさま

釣り逃がした魚(鳥?)になりましたねー。
東大に義理はありませんが、なかなか良い仕事でした。綺麗な空間でした。今後も楽しみですが、なかなか足を運べないのが残念です…。

>かすてんさま

「おっほん。ではみなさんは…」といった気分ですね。
まあ、「講義」というのはつまらないのが相場なので、あまり期待することなく、快眠の具としていただければ幸いです(笑)。

>S.Uさま

おお、そうでしたね!
そういえば、申し遅れましたが、星座の記事を拝読しました。ランダムな点の配列を、ヒトがどのように図形として認識するかという話題に興味を覚えました。経験的に「ゲシュタルト要因」として知られる原理が作用しているように思いますが、これは今ではもっと微視的に、神経レベルで説明が付いているかもしれません。

学校の剥製標本は、たぶん液浸標本と同じルート、つまり出入りの教材業者から購入したものだと思います。そうした教材業者の背後にいたのが無数の剥製屋で、その数は今日に比べ桁違い多かったと、何かの本で読んだ記憶があります。

なお、ウィキによると、アホウドリが乱獲で激減し、採取禁止になったのは1933年だそうですから、Uさんがご覧になったのは、それ以前に剥製化されたものではないでしょうか。

_ 近藤 ― 2008年05月20日 22時53分54秒

玉青さんの問いかけに対して、今はまるでジョバンニのような心もちですが、書架から岩波文庫の『銀河鉄道の夜』を取り出し、職場の往き復りに読みなおして見ています。昔は銀河鉄道の夜の構成は実際にはどうであったのか?とか(…この間原稿ナシ…)という箇所ばかりが気になっていたりしました。確かに、前には気にもならなかった初めの部分の「星座掛図」興味深いですね。

_ 玉青 ― 2008年05月20日 23時29分50秒

>近藤さま

先日はどうもありがとうございました。すぐにメールをと思いながら、御礼言上が遅くなり面目ありません!

さて、「銀河鉄道の夜」の魅力の一端は、未完成作品という点にあることは間違いないと思います。まあ、賢治の理想主義的主張とは別に、謎解きの魅力ばかり追うというも、我ながら一寸どうかと思うんですが…。

ともあれ、いろいろな読み方ができるというのが、名作の名作たる所以なのでしょう。

_ S.U ― 2008年05月21日 20時42分13秒

玉青様、 星座の拙論をご覧いただきどうもありがとうございました。
 なるほど... ゲシュタルトですか...(←実は全然わかっていない)
 心理学には疎くてよくわかりませんが、2次元面上の点配列を効率よく記憶する
方法が存在してそれが天体の観察に有用であり、ある程度、意識しながら線の
繋ぎ方を工夫することが必要な場合もある、ということを私は経験上感じております。

 これを書いた時は、「古代人が線で描いた星座の図」というののもっと明瞭な
例がどんどん現れると期待していたのですが、いまだにそういう例を知りません。
ないのが不思議なようにも感じられます。お心当たりがあれば是非ご教授下さい。

 剥製についてどうもありがとうございました。剥製はやはり昔ながらの暗い
理科室が似合いですが、最近の明るい流しやパソコンととも置かれた剥製群、
という倒錯?した理科室も見てみたい気がします。

_ 玉青 ― 2008年05月21日 22時16分56秒

S.Uさま

話がちょっとずれるんですが、今ふと思いついたことを書きます。

近世以前の日本(と中国)の天球図は、みな星を線で結んだ形で星座を表現していますね(ある意味現代的です)。対する西洋の天球図は、星の並びの上に絵を重ね書きして星座を表現しています。

輪郭重視の東洋画と、面表現重視の西洋画の関係とパラレルなところが興味深いですね。画像処理のモードが元々違うんでしょうか。東亜の民は空に「文字」を見、西欧の民は空に「絵」を見た…のかもしれません。(どこかで誰かが言っていそうなフレーズですが。。。)

_ S.U ― 2008年05月21日 23時18分10秒

うーーん、面白いですね。 一方、文字である漢字を、中国人や日本人は、絵を
見る脳で処理していると聞いたことがあります。(心理学に疎いので事実かどうか
は確認していません) 空に「文字」を見、文字に「絵」を見る。錯綜して来ました。

_ 玉青 ― 2008年05月22日 23時07分05秒

失語・失認を伴う頭部外傷の患者さんは、星座をどう認識するか…というトピックは、これまで研究した人もいないでしょうが、実に興味深いです。文化差は出るでしょうか?ハタシテ人ハ、星座ヲ脳ノドコデ処理スルノカ?

_ S.U ― 2008年05月24日 06時50分04秒

ランダムに散らばっている点を線でつなぐ、というのは、脳の処理としては、普遍的な
ようでもあり、そうとう特殊な作業のようにも思えます。どうなのでしょうか。

 私は、できることならば、一度、頭の中にある西洋星座の記憶をすべて消してしまい、
そして満天の星を改めて見て、星々をたどる経験をしてみたいです。

 星座に興味のある人は、まず星座を本で学んでからそれを夜空に探すでしょうし、
星座に興味のない人は、そもそも夜空の星を線でつなぐなどという発想もないで
しょうから、「自分で星座を創る」という経験をした人は、すくなくとも現代では皆無
ではないでしょうか。

_ 玉青 ― 2008年05月27日 14時01分25秒

すみません。私の1つ前のコメントは、寝ぼけて書いたので、我ながらちょっと意味不明でした。

失語症の研究によって、文字・画像・意味・音がそれぞれ脳の中でどう結びついているか、これまでいろいろ興味深い事実が分かっている(らしい)ので、それを星座に当てはめたらどうなるのだろう?ということを、唐突に連想してコメントしました。

さて、全く白紙の状態で満天の星を見上げたら…。
「何かを見よう」という気で見上げれば、きっといろいろ見えてくるんでしょうね。楽しい物、恐ろしい物、亡き人の面影…。そして、そこから自分独自の物語を紡ぎ始めることでしょう。

自分の内にあるものを外に見る…というのは、心理学で言うところの「投影」のメカニズムそのものですが、昔の人もそうやって宇宙を見つめながら、同時に自分自身と対話してきたのでしょう。

私もそうした豊かな体験をしたいのですが、悲しいことに満天の星がなかなか見つからず、貧弱な物語しか紡げません。。(嗚呼)

_ S.U ― 2008年05月27日 20時20分05秒

脳の病気の方に実験をお願いするようなことは専門家の人でないとなかなかできない
と思いますし、自発的にこのような実験をする人もいないと思いますが、星に興味が
あって、かつ、星のよく見えるところに住んでいるが、残念ながら今まで(時間がなくて、
あるいは参考書がなくて)星座を学ぶ機会にめぐり会えなかった、という人なら、近くに
けっこう見つかりそうに思います。そういう人に、「星座を教えるから、その前にちょっと
実験につきあって。」と頼むと、白紙の状態で夜空に何が見えるか、ひょっとすると
貴重なデータを与えてくれるかもしれません。誰か試してくださいませんかね。

_ とこ ― 2008年05月27日 22時57分06秒

 満天の星空を真っ白な心で見上げたら…というロマンチックな話題のなかで、ちょっと俗なコメントで失礼します。

 「パズル通信ニコリ」というパズル雑誌の中に、「ポチポチコンテスト」という読者参加型のコンテストがありまして、小さな画面の中に配置されている24個の点を繋げて投稿するというコーナーがあります。それを思い出してしまいました。
 こんな感じです↓
http://www.nikoli.co.jp/gif/pochi.gif

 たった24個の点からたくさんの図案が投稿されていることを考えると、満天の星からは、それはもうたくさんの絵が浮かび上がってくるのだろうなあとワクワクします。

_ 玉青 ― 2008年05月28日 22時57分05秒

ポチポチコンテスト!
もちろん、やっている人はそこまで考えていないでしょうが、これこそ星座の生成を考えるのに恰好の素材ですね。いや、面白いです。
(しかし、例示されている絵は何ですかね?)

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