ジョバンニが見た世界…ラポルト作『大宇宙天文図解』(3)2008年08月01日 06時53分45秒


おまけとして、部分図をいくつか載せます。

まずは星図全体のアップ(ちょっとピントが甘くなりました)。
星座図は平面的なんですが、そこに浮かぶ各惑星は、太陽光を受けて背後に影を引き、惑星自体も丸々と、妙に立体的に描かれているのが、ちょっとコミカルな味を生んでいます。

ジョバンニが見た世界…ラポルト作『大宇宙天文図解』(4)2008年08月01日 06時55分36秒


下半分のアップ(部分)

掛図の下半分はこんな感じで、各天体の基礎知識がみっちりと書きこまれています。
説明内容はほぼ太陽系限定で、深宇宙への言及がほとんどないあたりも、古風といえば古風。

ジョバンニが見た世界…ラポルト作『大宇宙天文図解』(5)2008年08月01日 06時56分17秒


上半分の左下隅に描かれた望遠鏡。
子どもたちの天空への憧れを掻き立てる添景…

   ★  ☆

19世紀の天文教育のエッセンスを詰め込んだ、愛らしい掛図。
連載企画「ジョバンニが見た世界」、その第1アイテムはとりあえずこれに決めます。
まず、教室にこの図が掛かっている場面を思い浮かべてください。

この後も、文章の流れに沿って順次アイテムを採り上げていきます。

ある数寄者の部屋2008年08月02日 17時32分27秒

■BRUTUS No.644 特集「博物館♥ラブ」

東大総合研究博物館の紹介記事あり、と耳にして買いに走りました。
圧巻は、先日の「鳥のビオソフィア」展の目玉、「鳥類学者の小部屋」を超広角で撮った見開き写真。あの日の記憶が細部までよみがえります。

上の写真は、東大を根城にヴンダーカンマー趣味を鼓吹してきた、同博物館教授・西野嘉章氏の研究室。古色のついた棚、机、それらを囲繞するオブジェ群が目を引きます。

意外にあっさり片付いている印象もあります。個人的には、もっと山のように古物が集積する中で、眼光ケイケイとしてらっしゃると素敵なんですが、それは私が氏の「作品世界」と生身のご当人を混同しているせいかもしれません。

記事中、氏は「展覧会というのはおもてなしの空間だと思うんですよ。〔…〕つまりは、お茶会の世界に近いかな…」と語っていますが、展覧会にはあくまでも非日常の高揚感が必要なわけで、常時そんな雰囲気に身を浸したいと思うのは、大いなる心得違いなのかも。

されど数寄の心止みがたく―。今日もせっせと「ひとり驚異の部屋」展の企画を練り、唯一の観客として足を運ぶ日々です(←病気かも)。

(他愛ない話ですが、この雑誌をパラパラ見ていた息子が、「この部屋、お父さんの部屋みたいだね」と呟いたのが一寸嬉しかったです。キミ、イイコト言ウネ。)

掛図を使った授業風景(イギリス編)2008年08月03日 18時15分31秒

D.E.アレンの『ナチュラリストの誕生-イギリス博物学の社会史』(平凡社、1990)のカバー(http://tinyurl.com/67wrzw ←アマゾンにリンク)に、掛図を使った授業風景が載っているのを思い出しました。

元となっているのは、同書の第10章に掲載されている写真で、「自然学習クラス。1923年」とキャプションにあります。さらにその大元の出典は書かれてないんですが、たぶん、イギリスのprep school(パブリックスクールの前段階に当たる私立小学校)あたりの光景でしょう。

掛図が小さいせいか、先生はぐっと前方に生徒たちを集めています。描かれているのはマツ類の球果で、半ズボンにジャケット、ネクタイ姿の、いかにもこまっしゃくれた少年たちが結構真剣に見入っています。背後の壁にも大小の掛図が掛かっており、掛図が授業で多用されていたことがうかがえます。

何とも微笑ましく、懐かしい光景に見えるのですが、著者アレンの目にはかなり苦々しいものに映ったらしく、この図は博物学(そしてナチュラリスト)の哀れな晩年を悼む文脈の中に出てきます。それをカバーデザインに取り入れたのは、『ナチュラリストの誕生』という邦題からすると、実に皮肉な話。

アレンが何をそれほど嘆いたかは、上の写真とは直接関係がないので、記事を改めます。

博物学の盛衰…紳士とジャムつぼ2008年08月05日 20時23分04秒

↑「ジャムつぼ派」の聖典(?)、Furneaux 著、The Out-Door World (London, 1900)


さて、前回の続き。

著者アレンは「自然学習nature study」の授業に非常に厳しい評価を与えています。

アレンの主張を要約すれば、こういうことだと思います。
19世紀の末、ダーウィン主義の苛烈さに耐えられない人々がすがったのが「生気論」であり、そこに感傷主義、ふやけた理想主義、俗っぽい大衆教養主義、擬人主義がたっぷりと注ぎ込まれた末に、旧来の博物学とは似て非なるものが出現した。それが当時の教育改革運動にも影響し、その結果生まれた<鬼っ子>が「自然学習」なる教科だったと。


「自然の研究(そしてナチュラリスト)についてゆがめられた考えが世間に広まった〔…〕。それによって、自然の研究は、<授業> ― そして、さらに悪いことには、幼児のための授業〔…〕― との宿命的な結びつきを獲得した〔…〕。ごく普通の人にとって<ナチュラリスト>は、もはや真面目な顔をしてハンマーで岩をたたいたり、レンズを通して植物をのぞいている紳士の姿ではなく、ジャムつぼをもった汚いいたずらっ子を思い出させるものとなった。」(アレン、前掲書325~326頁)

「小学校を出たばかりの子供たちの、次々と波のように押し寄せる嗜好に、できるだけ誠実に応えようと競ったきわめて多岐にわたる新しい新聞や雑誌が、一斉に出現したことも、事態の助けにはならなかった。必然的に、自然学習はより大きな関心を集めるようになり、その過程で、その活力を教室のはるか外にまで拡張した。長い伝統をもつ博物学は、締め出され、その結果、大多数の人々に、博物学が時代遅れのやり方の代表だという印象を与えた。」(同327頁)


つまり、本来博物学はもっと深く大きなものであったのに、19世紀末から初等教育と結び付いたために、内容が矮小化され、真面目に取り組まれなくなった…ということです。かくして、


「第1次大戦後の10年間は〔…〕博物学の均衡をひどく失わせた。バードウォッチャーは引き続き多くいたが、他の分野の研究者たちは、後継者がいないまま急速に消えていきつつあった。昆虫のキャビネット、化石の引き出し、きちんとラベルが貼られた植物標本集、これらはもはや父から息子へと引き継がれなかった。〔…〕全体として、博物学のあまりにも多くの分野で、かつてあれほどいっぱいいた専門家たちが破滅的に消えていった。」(同393頁)


博物学の死!

しかし。博物学はそのまま死に絶えたわけではない…と、アレンは終章で書いています。博物学は、生態学という新しい学問を接木されたことで力強くよみがえり、今でも多数のナチュラリストが、全国的な組織を基盤に、旺盛な活動を続けているのは、そのおかげだと。

ヴィクトリア時代、あるいは続くエドワード時代の博物趣味を語るとき、(少なくとも私の場合)何となく1つのイメージで語ってしまうことが多いのですが、実際には、その内実と社会的意味合いは、きわめて大きな変化をこうむっていたのは確かなようです。

まあ、アレンの嘆きは別として、私自身は「高尚な紳士の趣味」である博物学にも、ジャムつぼを抱えて無心に昆虫を追う少年にも、それぞれ惹かれますし、強い郷愁を感じます。(アレンなら、博物学に郷愁を求めること自体間違いだ!と言うでしょうが。)

理科少年の血脈2008年08月06日 21時49分02秒


昨日のW. Farneaux(ファーノー?)の本の中身を見ていこうと思ったのですが、フラッシュをたかずに自然光の方がきれいに撮れるので、それは後回しにして、あらましだけ書いておきます。

★W. Farneaux 著
 THE OUT-DOOR WORLD or Young Collector’s Handbook
 『戸外の世界―若き収集家のための手引き』
 Longmans, Green & Co., London, 1900.
 8vo., p.411

1900年、つまり19世紀最後の年に出た本。表紙には少年と犬が戸口に立って、陽光のあふれる戸外に今まさに出かけようというところが描かれています。

内容は、<動物の生活><植物の世界><鉱物の世界>の3部構成になっていて、自然界の宝探しを目指す少年たちは、これ1冊で用が足りるという趣向。内容も実に盛りだくさんです。生態についての解説あり、採集と飼育・標本作りのノウハウありで、頁をめくると100年前の理科少年の息吹がじかに感じられるようです。

いやいや、こういう本は確か私自身の身近にもあったぞ…と思い出したのが左の本。小学生のときに愛読した『採集と標本の図鑑』(小学館)です。これまた昆虫から、蟹から、貝から、植物から、岩石から…要するに何でも載っています。両者を較べると、自分が19世紀の末に生まれた「理科少年」のはるかな末裔だったのだな…ということをしみじみ感じます。

ファーノー著 『戸外の世界』 (1)…トンボ2008年08月08日 20時27分21秒


さて、ファーノーの本の中身を見ておきます。

この本は12×18cmほどの、あまり大きな本ではありませんが、16葉の美しいカラー図版が入っています。

19世紀の最末期は、本の挿絵が多色石版画(クロモリトグラフ)から3色分解の網点製版に移行する端境期にあたりますが、それだけに多色石版画の技術水準は最高レベルに達していました。この本の挿絵からも、その一端がうかがえます。

 ■

繊細な線に微妙な色合いを乗せたトンボたち。

ファーノー著 『戸外の世界』(2)…蝶2008年08月08日 20時32分52秒


鮮やかな朱。クールな空色。
石版画のマットな色調が、蝶の羽根の質感をうまく捉えています。

ファーノー著 『戸外の世界』(3)…卵2008年08月09日 11時27分45秒


いかにも旧来の博物趣味を引きずっているな…と感じるのは、鳥の卵のコレクション。我が身を振返っても、こればかりはあまり馴染みがありません。