クレムスミュンスター補遺2009年09月25日 22時03分51秒

(昨日の続き)

上の図は、ドネリー女史の昨日の本からとった正面図(A~Cは引用者)。
一昨日の記事に対する「修正」というのは、昨日の絵に描かれた天文台は、この絵のどこにあるか(あったか)ということに関連します。

公式サイトによれば、6階が天文台(現・天文博物館)、7階がチャペルで、チャペルからバルコニーに出られると書いてあります。つまり、上図C中央のピョコンと出っ張っている部分がチャペルで、その下の階が天文台だという説明です。何しろ公式サイトですから、現況は確かにそうなのでしょう。

ドネリー女史の本は、1864年の文献に依拠しているのですが、そこに書かれた姿は上の描写とは異なります。女史によれば、6階から上はすべて観測施設であり、Cの中央の出っ張り部分は独立階ではなくて、6階に附属する「中2階(mezzanine)」だと書かれています。そしてその上に(=B?)天文家が使用する小部屋があり、さらに屋上(A)には4つの小塔と、カメラ・オブスクラがあったと記述されています。

要するに、以前はチャペルはなくて、礼拝堂は天文台が機能を停止後に、後から設けられたものらしいのです。ですから、クレムスミュンスターは、最初から「キリスト教的宇宙観」を具現化した壮大な館だったわけではなくて、この点はちょっと修正しておきます。

昨日の図は、窓の形からするとCの中2階部分のはずですが、でもそうするとちょっと空間的に不合理な点が目に付くので、これは実景のスケッチではないかもしれません。

ちなみにAの部分も、写真と比べると、現況は少し後の手が入っているようです。また、最上部にあったカメラ・オブスクラというのが、ピンときませんでしたが、ウィキペディア(http://tinyurl.com/5murw6)を見て納得しました。カメラ・オブスクラというと、昔の暗箱写生装置を思い浮かべますが、それよりさらに以前は、部屋全体を暗箱とした大がかりなものもあり、絵画への応用ばかりでなく、太陽黒点や日食などの太陽観測装置としても使われたとのこと。クレムスミュンスターの場合もそれでしょう。

  ★

塔上の天文台というのは、18世紀以前には普遍的な存在でした。それが大型機材の誕生と振動対策のために、19世紀には地上へと降りてきたわけです。その後、世紀の替わり目あたりから、今度は高山の頂へと上昇を始め、そしてついには大気圏を飛び越えて、宇宙にまで進出しましたが、補償光学の進歩によってまた地上の望遠鏡が見直されて…という風に、遠い天界に近づくために、上がったり下がったりを繰り返しているのが面白い所です。

コメント

_ S.U ― 2009年09月26日 10時30分15秒

私の主たる観測場所もベランダと地表を行ったり来たりしております。
これも系統発生の反復でしょうか。

_ 玉青 ― 2009年09月26日 20時00分38秒

あははは。「観測適地を求めて」という意味では、確かに歴史の反復には違いないですね。

ときに地表から見たベランダ。極微の世界の住人からすれば、無限とも思える距離を隔てた高所かもしれず、ある意味、天界の下層と言ってもいいかもしれませんね。

_ S.U ― 2009年09月27日 08時03分52秒

確かに、ベランダから望遠鏡で星を見ますと、家族が歩くだけで星が振動し、宇宙空間をただよっているかの浮遊感が得られますよ。(まさか。)

_ 玉青 ― 2009年09月27日 16時38分40秒

我々が絶えず「宇宙空間を漂っている」のは、まぎれもない事実ですね。
それを無言で教えてくれる家人の有り難さ(笑)。

  +

「時間と空間、質量とエネルギー、これらの間にある
不思議な関係を、これから私たちは学んでゆきます。

 たとえば、ベランダでは地表よりも時間は早く進み
ます。同じベランダでも、そこに人がいれば、また時間
の流れは変わってきます。

 そして、そこを人が歩けば、その運動は必ずや遠くの
恒星の運動にも、微弱な影響を及ぼすに違いありませ
ん。…いいですか、皆さんは時空を改変し、遠い星々に
も影響を与えることのできる存在なのですよ。」

賢治先生の話に、生徒たちは‘ほう’というような顔つき
で、ジッと耳を傾けました。

_ S.U ― 2009年09月28日 20時20分56秒

本題からは脱線しますが、ふと思ったことですが、
賢治なら量子力学と仏教の世界観を結びつけるだけの発想ができたのではないか、と思います。でも、コペンハーゲン解釈が1920年代の後半、反粒子(陽電子)の発見が1932年と、ちょっと時間的に無理があったようです。あと十年長く生きていたら、ひょっとして何か言ってくれたかもしれません。

_ 玉青 ― 2009年09月28日 21時16分17秒

仏教の精髄は、有と無を超えた「空」の認識だと思いますが、確かにこれは量子力学が説く不思議な世界観とよくなじむ気がします。賢治もその点に深く思いを凝らしたことでしょう。そして、そうした思弁哲学と現実の人々の救済をどう取り結ぶか、彼なりの結論が出されたかもしれませんね。

ただ、私はボンヤリと思うんですが、もし彼があと10年生きながらえたら、彼は文学を完全に棄てて、よりラディカルな社会改良運動に走り、そして昭和の暗い世相の中でボロボロになって果てたのではないか…そんな気もします。彼はあそこで斃れたからこそ、詩神たりえたのかも…。

この広いマルチユニバースには、賢治がもっと長生きした宇宙や、あるいは今でも生きている宇宙があるかもしれませんね。覗けるものなら是非覗いてみたいものです。

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