囲繞する、何か(7)…水晶と黄金2009年10月17日 13時21分52秒

…ではなくて、ガラスと真鍮。
いずれも、クラシックな理科室趣味には欠かせない素材ですね。

でも、ガラスと真鍮の色や質感を愛でる心の背後には、水晶と黄金への呪物崇拝に近い、より意識の古層に根ざしたものが、きっとあるにちがいありません。

(個人的には、絢爛たる金色の仏堂に安置された、水晶製の五輪塔を連想したりします。欧米の魔法ファンタジー系作品にも、似たような取り合わせは出てくることでしょう。)

  ★

今日は冷気を含んだ風と通り雨。
暗い空を鳴きながら飛ぶ小鳥の声も寂しげです。
秋はいよいよ深く、季節は少しずつ冬へと向いつつある様子。

コメント

_ S.U ― 2009年10月17日 18時45分43秒

真鍮はかつて「貧者の黄金」と呼ばれた、と聞いたことがありますが(これは本当でしょうか)、真鍮が形作っているものがかつての理科室にあったような科学器具であった場合は、黄金で出来ている場合よりもずっと神々しく値打ちありげに見えると思います。
 それから真鍮製の器具は、やはり木箱ですね。20~30年前くらいまでは、光学機器は真鍮製でなくても木箱に入れられて売られていました。最近は、すべてプラスチック製の箱でしょうね。

_ 玉青 ― 2009年10月18日 08時54分49秒

貧者の黄金に愚者の金(黄鉄鉱)。
それだけみんな黄金に憧れているわけですね。

木箱に収まった真鍮製科学機器の鈍い輝きは、本当に魅力的です。
尚古趣味の徒として、私はなるべくプラスチック製品を身の回りから遠ざけて暮らしていますが、その一方で、ぼんやり空想することもあります。

(以下、長文になってしまいましたので、独立した記事にします。)

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