タルホ33回忌2009年10月25日 17時16分12秒

今日は稲垣足穂の命日。今年はちょうど彼の33回忌に当たります。
今年は仏前に1枚の古葉書を供えることにします。

  ★

米国ミルウォーキーの公立博物館が、英国グラスゴーの博物学協会に送った葉書。消印は1926年12月14日付となっています。内容は、同協会発行の「グラスゴー・ナチュラリスト」をしかと拝受…という受取状。

もちろん内容は関係なくて、タルホの霊に捧げたいのは右上の消印です。
イカした複葉機に「航空便は時間の節約」の文字。

1926年といえば、航空郵便網が急速に整備されつつあった時期。もちろん、まだ大西洋便ができる前ですから、この葉書が飛行機で大西洋をひとっ飛びしたわけではありませんが、でもミルウォーキーからアメリカ某所までは、きっと空の旅を楽しんだことでしょう。(そんな航空便パイロットの1人が、あのリンドバーグで、彼が大西洋単独無着陸飛行に成功したのは、翌27年のことです。)

この年、タルホは26歳。「月光密輸入」や「滑走機」を発表。
葉書の消印から11日後、大正は終り、昭和と改元。

  ★

三十三回忌といえば、世間一般では「弔い上げ」の大きな節目ですね。

タルホの幽魂は今宵此岸を離れ、永遠に彼岸へと旅立つのかもしれません。
複葉機に乗った半透明のタルホは、ぼんやりと燐光を放ち、かすかにこちらに手を振ったかと思うと、ふわりと雲を越え、月を越え、土星を越え、遠い銀河の向こうへ…。

道中、コメットにお気をつけて!

コメント

_ S.U ― 2009年10月26日 20時19分19秒

飛行機が団体旅行客や爆弾を運んだりせずに、ただただ手紙を運ぶためだけに使われる、仮に人類がそのような時代にずっと留まっていたとしたら、さぞかしタルホは満足したことでしょう。
 しかし、そのような状況では彼の文学は生まれなかったでしょうね。ほうっておくと消えてしまうものをつなぎ止めるのが、タルホの文学であったように思います。

_ 玉青 ― 2009年10月27日 20時59分32秒

そう、そして後世の者は、タルホを世界につなぎとめるために変わり続けねばならないのかも。。。

_ S.U ― 2009年10月27日 21時29分28秒

ふと気づいたのですが、タルホ文学の中の飛行機は(実世界の飛行機の発達とは逆に)年月とともに飛ばなくなる傾向にあったように思います。少年時代の彼は大空を翔る飛行機について書いていたのだと思うのですが、26歳の「滑走機」は「頬っぺたを芝にくっつけて見なければわからぬ」程度しか浮かびませんでした。その後、彼の老境に至るまで、浮かぶどころか滑走もしないような飛行機が何度も取り上げられました。
 後世の者は、努力はするのですが、なかなかタルホ先生にはついて行けそうにありませんなぁ。

_ 玉青 ― 2009年10月28日 21時01分58秒

そう言えば、晩年に出た『機械学宣言』の副題は、「地を匍う飛行機と飛行する蒸気機関車」でしたね(後者が主題で、前者が副題かもしれません)。もはや飛行しないことこそ、飛行機の価値と感じていたのでしょうか。

…と思って、問題の本のページを繰ると、

「そうやね。飛行機っていうのは飛んだってしゃあないわけですね。私のは飛ばない。だからいいんですね。わかりますか」

と、若き日の松岡正剛相手にしゃあしゃあと言ってますね。
「わかりますか」と言われても、なかなか分かりません(笑)。

_ S.U ― 2009年10月29日 01時19分54秒

ほうですか。こりゃ分からんでもしゃあないすなぁ。

_ 玉青 ― 2009年10月29日 21時56分50秒

(笑)

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック