さようなら、学研の科学2009年12月04日 22時08分22秒

今朝の新聞で、学研の「科学」と「学習」が来年3月で休刊するというニュースが大きく報じられていました。要するに事実上の終刊でしょう。

朝日の記事によると、2誌の最盛期は1979(昭和54)年で、合計670万部を記録したそうです。「しかし、少子化や主婦層の在宅率の低下、子供たちの価値観の多様化などの影響で『最近は部数が最盛期の10分の1を大きく下回る状態』(同社)が続いていた。『学年別総合雑誌が時代のニーズに合わなくなった』と判断し、休刊を決めたという。」(朝日新聞、2009年12月4日)

「学研の科学」は、私自身はもちろん、息子たちも毎月購読していて、親子2代でお世話になりました。休刊と聞いて万感胸に迫ります。

上の写真は『不思議・たのしい実験室―学研のふろく30年』(INAX、1989)。
私が「懐かしいなあ…」と思って手にとったこのブックレット自体、すでに20年前の代物ですから、時代の移り変わりは、もはや如何ともし難いのでしょう。この際ですから、この本に拠って、「科学」誌の沿革を少し書きつけておきます(さっきアマゾンを見たら、この本は現在でも1996年刊の第3版が入手可能のようです)。

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上記の朝日の記事によれば、「科学」の方が後発誌で、「学習」は1946(昭和21)年、「科学」は1957(昭和32)年の創刊…とありますが、これは少し注釈が必要です。

57年に創刊されたのは「○年の科学」の前身である、「たのしい科学」誌で、これは後の「科学」とは違って、一般の書店で店頭販売され、教材(ふろく)もまだ付いていませんでした。売れ行きは今一つで、3ヶ月であえなく休刊。

その後、1960(昭和35)年に、同誌は「科学の教室」として復刊され、付録を定番化すると同時に、1963年(昭和38)年には「○年の科学」と改題されて現在に至る…というわけです。

「科学」の沿革といえば、「科学」をどこで買ったかで、その人の年齢が分かるという話があります。「科学」を学校の敷地内で売っていたのを覚えている人も多いと思いますが、あれは1971(昭和46)年までで、この年の4月に日本消費者連盟が「神聖な学校を商売の場にするとは!」と噛みついたために、以後は「校門の外」、「学校の近くの空き地」、「学校近くの文房具屋」…という風に追い立てられて、ついにパートの女性(教育コンパニオン)による宅配方式に切り替わったのだそうです。

ところで、昔の学校直販方式は、先行誌である「学習」が先に採用していたのですが、何故やすやすと私企業が学校の内部に入り込めたのでしょうか?

「『学習』が創刊された当時は、レッドパージで公職を追放されていた先生が全国にたくさんいましてね。この方たちを直配所長として組織し、決まった日に学校に出向いてもらって『学習』を販売していたわけですよ。『科学』の販売もこの組織に乗せて行っていたんですよ。」(元「5年の科学」編集長・渋谷一夫さん)

「科学」の陰に戦後秘史あり―。
戦後の理科振興ムーヴメントの申し子とも言える「科学」の誕生と発展。
今、その休刊とともに、一つの「戦後」が終わろうとしているのかもしれません。


※上の記事は、串間勉(著)『まぼろし小学校』(小学館、1996)も一部参考にしました。

コメント

_ かすてん ― 2009年12月05日 08時06分43秒

私が天文少年への歩みを始めたきっかけははっきりしていて、『4年の科学』のふろくの青いプラスチックの四角い星座早見盤です。その時点ではまったく興味がなかったのですが、本棚の本の隙間に押し込んでおいたのですね。それから1年くらい?してから再び手に取ったときに、意識のビッグバンのようなことが起こった見たいで、その日の夕方から天文少年になりました。

_ 玉青 ― 2009年12月05日 18時25分00秒

おお、個人的秘史ですね!(…というほどでも、ないか)

記事では、あまり個人的なことを書かなかったのですが、私がはっきり覚えているのは、最初に買った「1年のかがく」の付録が「カタツムリの飼育セット」で、本誌の方に、キャロライン洋子がカタツムリの観察をしている記事が載っていたことです。そう強烈に記憶に残りそうな付録でもないんですが、こうして覚えているのは、「かがく」を買ってもらったこと自体が本当に嬉しかったからでしょう。そして、何度も読んだせいでしょう。

付録では「食べ系」が結構好きでした。水あめ作りとか。

天文系は、あまり「科学」に期待していなかったせいか、一寸印象が薄いですね。(付録の望遠鏡は、うーん…あまり良く見えなかったですねえ。顕微鏡の方はまだマシでしたが。)

_ かすてん ― 2009年12月05日 18時52分43秒

ああぁ!水飴、覚えてます、完全に失敗しました。あと、10個のかけらがパッケージされた鉱物標本が、どういうわけだか気に入って、長い間引き出しにしまってありました。ときどき出してボーキサイトの玉を手に取ってはアルミニウムとの姿の違いを不思議に感じていました。
理科少年の育成にはかなり貢献した雑誌だったのでは無いでしょうか。科学立国日本、、、の原動力には力不足だったかもしれませんが。

_ 玉青 ― 2009年12月05日 21時22分46秒

そうですねえ、確かに「○年の科学」を読んで科学者になった人は、あまりいないかも…。
単純な<おもしろ実験>のレベルで終らずに、「○年の科学・EX」とか、「○年の科学・ジーニアス」といった、ステップアップ方式を採用していたら、より尖端的な少年少女の受け皿ともなって、科学立国の強力な原動力になっていたかもしれないですね。

あまりにも万人受けを狙いすぎたところが、「科学」の勝因であり、同時に敗因でもあったのではないでしょうか。

_ S.U ― 2009年12月06日 20時44分46秒

玉青様、かすてん様、こんばんは。(さきほどお近くへ帰ってきました)
 私は、「○年の科学」を購読せずに「学習」のほうを購読しておりました。小学校の時は「理科ひとすじ」だったので、友人が持っていた「科学」の付録がうらやましかったものです。「これ以上、理科に没頭せずに、社会科や国語も勉強せよ」という親心だったのでしょう。今ではありがたく思っております。「学習」の付録もけっこう楽しめました。「科学」の天文系の付録ではアポロ着陸の前後に「月球儀」を友人が学校に持ってきて飾っていたのを覚えています。

 「中○コース」(学研)はすでに廃刊となり、「小学(五、六)年生」(小学館)も今年度限りと聞きました。時代の変化で仕方ないのでしょうが、読者欄に見る、同じ雑誌を読んでいる同学年の全国の読者の連帯感、といった漠然とした気持ちがなくなるのはちょっとさびしいように思います。

_ 玉青 ― 2009年12月07日 17時53分45秒

無事でご帰還、何よりです。

S.Uさんが「科学」ではなく「学習」を購読されていた聞いて驚きました。が、その理由をうかがって、納得というか、いっそう驚いたというか。「理科ひとすじ」の小学校生活というのが、実にすがすがしいですね。

学年誌は、軒並みダメみたいですね。今は同学年の連帯感どころか、クラスの連帯感も怪しいらしいので、やむを得ない面もあるのでしょう。この先はどうなっていくんでしょうね。また連帯が復活する可能性も、なくはないのでしょうけれど。。。

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