ジョバンニが見た世界(番外編)…天気輪の柱をめぐって ― 2010年06月19日 19時15分53秒
梅雨本番。夜になっても、星の光はまったく拝めません。
ガラスの銀河模型の話題は涼しげでいいのですが、蒸し暑さで鬱屈した気持ちをぶつける相手としては不適なので、今日も別の話題です。
以下、本日の天候そのままに、粘着的な長文です。
ガラスの銀河模型の話題は涼しげでいいのですが、蒸し暑さで鬱屈した気持ちをぶつける相手としては不適なので、今日も別の話題です。
以下、本日の天候そのままに、粘着的な長文です。
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『銀河鉄道の夜』に「天気輪の柱」という謎のアイテムが登場します。
まず、ジョバンニがいじわるな級友にからかわれ、親友カンパネルラとも気まずくなって、一人ぼっちで町はずれの丘に上るシーン。
そのまっ黒な、松や楢の林を越えると、俄かにがらんと
空がひらけて、天の川がしらしらと南から北へ亘っている
のが見え、また頂の、天気輪の柱も見わけられたのでした。〔…〕
ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどか
するからだを、つめたい草に投げました。
ジョバンニはここで夢うつつの状態となり、銀河鉄道の世界に入り込んでいきます。そのイリュージョナルな体験の中で、天気輪の柱は不思議な変形をして、彼を銀河鉄道へと導きます。
そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつか
ぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍のように、
ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それは
だんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、
濃い鋼青(こうせい)のそらの野原にたちました。いま新らしく
灼いたばかりの青い鋼の板のような、そらの野原に、
まっすぐにすきっと立ったのです。
天気輪の柱は、物語の最後でもう1回登場します。
現在もっともポピュラーな「第4次稿」にはありませんが、それ以前のブルカニロ博士が登場するバージョンでは、ブルカニロ博士がジョバンニと言葉を交わし、去って行く場面に天気輪が出てきます。(各バージョンは、渡辺宏氏の「銀河鉄道の夜・原稿の変遷」で読むことができます。http://why.kenji.ne.jp/douwa/ginga_f.html)
「あゝではさよなら。これはさっきの切符です。」博士は小さく
折った緑いろの紙をジョバンニのポケットに入れました。
そしてもうそのかたちは天気輪の柱の向ふに見えなくなって
ゐました。ジョバンニはまっすぐに走って丘をおりました。そして
ポケットが大へん重くカチカチ鳴るのに気がつきました。林の
中でとまってそれをしらべて見ましたらあの緑いろのさっき
夢の中で見たあやしい天の切符の中に大きな二枚の金貨が
包んでありました。(第3次稿より)
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天気輪とは賢治の造語で、そういう物がこの世にあるわけではありません。
したがって、ウィキペディアが天気輪の説明として、 「天気輪、天気柱もしくは後生車は、おもに東北地方の寺や墓場の入り口付近に置かれている輪のついた石もしくは木製の柱のこと。〔…〕太陽柱といわれる気象現象の別名でもある」 とするのは、妙な叙述です。事実は「天気輪の正体として、後生車説や太陽柱説を唱える人もいる」というに過ぎません。
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天気輪をめぐる諸説については、垣井由紀子氏によるレビューがあります(西田良子編著『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を読む』、創元社、2003. pp.178-179.)。それによれば、大まかに言って、宗教的意味合いを重視して解釈する論と、天文現象に結びつける論とがあるようです。
前者に属するものとしては、たとえば仏教由来の石造物だと見なす諸説があります(「転法輪」説、「お天気柱」説、「法輪(車塔婆)」説など)。また法華経に説く「光り輝く七宝の塔」だとする説もあります。あるいはキリスト教と結び付けて、「ヤコブの『天の門』」説を唱える人もいます。さらに聖の空間の始まりの標であり、天上の異空間との通交の手段である「Cosmic Pillar(宇宙柱)」だという、難しげなことを言う人もいます。
後者としては、たとえば「太陽柱」(地平線下の太陽光が大気中の氷晶に反射されて地面から垂直に伸びあがって見える現象)説や、「テンキリン」を「天の麒麟」と考えて「きりん座」のことだとする説、あるいは「『北極軸』の具象化」説などがあります。
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一見して、「言いたい放題」という印象を受けるのは私だけでしょうか。
天気輪の柱は、賢治作品の受容の仕方を考える際の、鋭敏な試薬のような気がしてなりません。つまりその解釈姿勢は、その人の賢治理解の全体像を示しているように思えるのです。
賢治自身、法華信仰や日蓮主義に入れ込んだりして、ファナティックな要素を持った人だと思いますが、その読者の側にもファナティックな色彩を持った人が少なくないと、私は睨んでいます。どうも、賢治作品にとり憑かれた人は、「これこそ賢治が言いたかったことに違いない」「我こそは賢治の真の理解者である」という、故なき直覚に捉われがちのようです。これは足穂ファンと較べた場合、賢治ファンの悪しき習性だと思います。
天気輪の柱は、常識的に作品を読めば、以下のような条件に合致するものでなければならないはずで、「光り輝く七宝の塔」や「太陽柱」などは、あえて奇説と呼ぶほかはないのではないでしょうか。テンキリン=天麒麟…。あまりといえばあんまりな…。
○舞台はイタリアっぽい外国、ないし無国籍風異国。
(あまり抹香臭いものはどうでしょうね?)
○この物語は児童の目を通して叙述されている。そして天気輪はジョバンニに
とって既知のものである。
(いきなり「光り輝く七宝の塔」が出現したら、子供はビックリするのでは?)
○この作品には、地上の現実描写と天上の幻想描写の区別がある。天気輪の柱は
現実世界に属し、手で触れることのできる物体である。
(太陽柱は地平線上に出現するものですから、そのそばまで行って、その下で
寝そべることはできないと思います。)
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垣井由紀子氏は上記レビューの中で、天気輪の正体(=現時点における最善解)を明かしています。実は、賢治は他の詩の中でも天気輪という言葉を使っており、その指示対象は明白なのです。
「それは、最晩年に描かれた「文語詩稿一百編」に含まれる「病技師(二)」〔…〕の「天気輪」である。下書稿では「あへぎて丘をおり/地平をのぞむ五輪塔」となっていた。賢治は1924年3月24日の日付で五輪峠を訪れた時の印象を詩に書き留めている〔…〕が、それがもとになっていると思われる。」(上掲書、p. 179。なお、「病技師」の完成稿では、上の句は「あえぎてくれば丘のひら/地平をのぞむ天気輪」となっています。)
要するに、天気輪とはかつて五輪峠で見た五輪塔からイメージされたものであり、それに天気輪という新語を当てたのは、単に五輪塔と呼んだのでは不十分な、賢治独自のイメージ(天の気に呼応する存在)が加重されているからでしょう。いずれにしても、性格としては一種の宗教的モニュメントであり、形象としては五輪塔を引きずったシルエットなのだと思います。
(五輪塔がそうであるように、太陽柱や七宝の塔も、天気輪の柱のイメージ源の1つである可能性までは否定しませんが、天気輪の柱とイコールで結ぶことはできないというのが私の考えです。)
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以下は蛇足です。もし天気輪が五輪塔に似ていて、それをバタ臭くしたような姿だったら、恰好のモデルがありますよ…という話。
そのモデルとは日時計です。特にオベリスク・サンダイヤルと呼ばれる石造日時計には、なかなかそれっぽい感じのものがあります。これは天気輪の正体をめぐる新説ではなくて、絵に描くとしたら、こんなイメージはどうだろうか?という、一種の「提案」に過ぎません。でも悪乗りすれば、賢治は‘Sundial’という単語から、「お天気の輪っか=天気輪」という言葉を思い付いたのだ!という奇説を主張したい気もします(←話半分に聞いてください)。
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Flickrにアップされている画像から、その実例をご覧ください。
(http://www.flickr.com/photos/25269184@N00/350351928)
スコットランドのドルモンド城の庭にあるオベリスク日時計。
なかなか洒落た、『銀河鉄道』の世界にふさわしいフォルムじゃないでしょうか。
スコットランドのドルモンド城の庭にあるオベリスク日時計。
なかなか洒落た、『銀河鉄道』の世界にふさわしいフォルムじゃないでしょうか。
こちらは「柱」然とした姿です。日本のお寺の境内に立っていそうな感じもありますね。
柱に凹凸がつくと、何となく五輪塔に似てきます(イギリス、ロスオンワイ)。
人目につかぬ場所で、草むす中にひっそりと立っている日時計もあります。
イギリス北部の村、Great Urswickの教会墓地の光景。
イギリス北部の村、Great Urswickの教会墓地の光景。
さらにイギリスばかりでなく、ジョバンニたちの住む(?)イタリアにも途方もない例があります。
http://www.flickr.com/photos/jlcarmichael/3938505904/in/pool-sundials
ローマのモンテチトリオ広場にあるアウグストゥス帝のオベリスク日時計。
ローマのモンテチトリオ広場にあるアウグストゥス帝のオベリスク日時計。
台座を含め、全高は30メートル以上もあります。これならば、銀河鉄道に乗りこむ直前、ジョバンニの前に「まっすぐにすきっと立った」のも頷けますが、彼らが暮らす小さな町には一寸似つかわしくない気もします。
(この話題、しばらく後でまた続けます)
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