明治科学の月影さやか ― 2010年09月22日 21時43分12秒
今日は旧暦8月15日。
残念ながら全天雲に覆われて、今夜は月の見えないお月見です。
でもふり返れば、そこに真ん丸い月が。
残念ながら全天雲に覆われて、今夜は月の見えないお月見です。
でもふり返れば、そこに真ん丸い月が。
本棚にかかっているのは、明治40年(1907)発行の学校掛図。
ラベルには「天文地文空中現象掛図 第一輯 六軸之内 五」とあって、天文・地学教材として作られた、シリーズ物のうちの1枚のようです。
明治時代の掛図は、後のものに比べて小さいと以前書きましたが(http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/05/20/3531187)、実際この掛図もサイズは約86×56cmしかありません。
編纂は大阪教育社、著作発行・兼印刷者は、大阪市西区の「集画堂・吉江治平」となっています。集画堂(大阪集画堂)は、教育用掛図の古い版元で、戦後も昭和30年頃迄まで存続していましたが、その後廃業したのか、消息を聞きません。
月の海や光条の表現が独特で、ザラザラした砂目石版による表面の陰影とも相まって、何とも不思議な表情の月です。おそらく何か外国から来た元絵があると思うんですが、いまだに見当がつきません。
ちょっと画像をいじると、いっそう幻想的な雰囲気に。
(画面の輝度を調節すると、きれいな満月が浮かび上がります。)
明治の科学少年の目には、名月がこう映ったのかもしれません。
コメント
_ S.U ― 2010年09月22日 23時27分32秒
_ 玉青 ― 2010年09月25日 09時22分39秒
なるほど!
この月面を岩肌と見れば、これは確かに伝統的な日本画(何派かはっきりしませんが)の描き方ですね。そして繊細な管菊のような光条。
この画面全体にモヤモヤと漂う、不思議なエキゾチズムの正体は、新時代の科学的説明図を、旧来の和の筆法で描いてしまったところが変なのでした。
そのことが分かり、俄かにスッキリしました。
ご指摘ありがとうございました。
この月面を岩肌と見れば、これは確かに伝統的な日本画(何派かはっきりしませんが)の描き方ですね。そして繊細な管菊のような光条。
この画面全体にモヤモヤと漂う、不思議なエキゾチズムの正体は、新時代の科学的説明図を、旧来の和の筆法で描いてしまったところが変なのでした。
そのことが分かり、俄かにスッキリしました。
ご指摘ありがとうございました。
_ L4RI_JP ― 2017年12月02日 14時24分23秒
S.U様の「菊水図」は謂い得て妙ですが、この「月面らしからなさ」具合からして、望遠観測や撮像を直接見ての絵とは到底思えません。何かしら、既に描かれたものを參考に想像で描き直した結果、こういう不思議な図になってしまったのではないでしょうか。
候補としてひとつ思いつくのは、東京造画館から明治36年に出された『天地現象掛圖』第二輯五枚組のうちの「月の圖」で、こちらの方は多分舶来の元図か写真かを基に描いたものらしく、まずまずそれらしく見えます。
大阪集畫堂は時期からしても社名からしても、何となく造画館が掛図で当てたのを知っての、利に敏い大坂商人の肖り商売だった、という可能性も考えられます(明治期はそういうパターンの起業と紛いもの批難の応酬が盛んだったらしいことが、当時の新聞広告を追っていくとよくわかります)ので、あながちないことでもないかなぁ、と思っております。
なお『天地現象掛圖』は、インターネットで検索してみた限りでは奈良女子大学附属図書館「明治教育文庫」に第四輯の一部が所蔵されているとのことですが、シリーズの全貌は今のところ明らかになっていないようです。
候補としてひとつ思いつくのは、東京造画館から明治36年に出された『天地現象掛圖』第二輯五枚組のうちの「月の圖」で、こちらの方は多分舶来の元図か写真かを基に描いたものらしく、まずまずそれらしく見えます。
大阪集畫堂は時期からしても社名からしても、何となく造画館が掛図で当てたのを知っての、利に敏い大坂商人の肖り商売だった、という可能性も考えられます(明治期はそういうパターンの起業と紛いもの批難の応酬が盛んだったらしいことが、当時の新聞広告を追っていくとよくわかります)ので、あながちないことでもないかなぁ、と思っております。
なお『天地現象掛圖』は、インターネットで検索してみた限りでは奈良女子大学附属図書館「明治教育文庫」に第四輯の一部が所蔵されているとのことですが、シリーズの全貌は今のところ明らかになっていないようです。
_ 玉青 ― 2017年12月03日 16時45分41秒
どこかから元絵を引っ張ってきて模写したというのは、まず間違いないところでしょうね。
さらに、先行する掛図の丸パクリというのも、大いにありうることですが、先行図もまたどこかに元絵があったはずですから、仮に造画館から難詰されても、集画堂側は「いや、たまたま同じ絵を模写しただけでしょう」と、しれっと言い抜けるつもりだったかもしれませんね。(^J^)
明治の天文・地学の掛図類は、奈良女子大所蔵のものと同一のものを含め、何点か手元にあるので、いつか記事にしたいと思っています。(なお、奈良女子大にあるのは、紐でぶら下げるボード式に調製してありますが、手元にあるのはすべて普通の巻物式の掛図になっています。)
さらに、先行する掛図の丸パクリというのも、大いにありうることですが、先行図もまたどこかに元絵があったはずですから、仮に造画館から難詰されても、集画堂側は「いや、たまたま同じ絵を模写しただけでしょう」と、しれっと言い抜けるつもりだったかもしれませんね。(^J^)
明治の天文・地学の掛図類は、奈良女子大所蔵のものと同一のものを含め、何点か手元にあるので、いつか記事にしたいと思っています。(なお、奈良女子大にあるのは、紐でぶら下げるボード式に調製してありますが、手元にあるのはすべて普通の巻物式の掛図になっています。)
_ L4RI_JP ― 2017年12月03日 21時32分12秒
では記事をたのしみに待つことにいたしましょう。
数をみておりませんので断言はできませんが、明治期の(意外と小振りの)掛図はぺらっとした組ポスターという感じのものが多く、紐を取り付けてぶら下げて使えるようにしたのはユーザである学校側の仕事だったのでは……という感じがしております。少なくとも、先の三省堂の全天恒星図などは、寧ろ例外的にしっかり造られているのではないかしらん。
数をみておりませんので断言はできませんが、明治期の(意外と小振りの)掛図はぺらっとした組ポスターという感じのものが多く、紐を取り付けてぶら下げて使えるようにしたのはユーザである学校側の仕事だったのでは……という感じがしております。少なくとも、先の三省堂の全天恒星図などは、寧ろ例外的にしっかり造られているのではないかしらん。
_ 玉青 ― 2017年12月05日 21時52分46秒
>ユーザである学校側の仕事
私も同意見です。たぶん、最初から版元で掛図に仕立てたものと、「まくり」状態の廉価版の両方が流通していたんじゃないでしょうか。
私も同意見です。たぶん、最初から版元で掛図に仕立てたものと、「まくり」状態の廉価版の両方が流通していたんじゃないでしょうか。
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これは、何とも不思議な月面図ですね。昭和期の岩崎賀都彰(一彰)氏の絵を思い浮かべました。
この光条と海を見ていると、「月面図」というよりは「菊水図」のようにも見えます。案外、日本的なのかも?