科博へ(4)…続・館内ひとめぐり2010年10月06日 20時01分48秒

科博のつづき。次の部屋は、博物館らしく骨の集団です。

キャプションには「動物学部骨格室の一部」とあって、「骨部屋」はそれだけで独立していたことが分かります。一昨日の記事に載せた当時の館内平面図を見ると、動物展示室は2階にあるのに、骨格陳列室はポツンと地階に離れて存在したようです。

動物の身体構造と、その生態を知らしめるという全体の展示目的からすると、骨格標本だけを別に集めたことには、合理的理由を見出し難い。この発想には学問を超えた「何か」があるのでしょうか。

「骨だけズラッと並べてみい。ごっつい迫力やで」みたいな素朴なノリなのか、それとも「骨(コツ)はあんまり表に出したらあかん。地べたの下にそおっと置いとくもんや。第一お猿さんの脇にケッタイな骨なんぞ置いてみい、子ども衆が泣きよるで」という情緒的配慮なのか…。

   ★

ん?そうすると、当時の科博にはまだ博物館の目玉、恐竜の骨がなかったのか…?
今の科博だと、地球館の地下に(これまた地下!)、「進化」を切り口として、恐竜やら何やらの骨が大量に集められていますが、えーと昔は…

調べて見ると、日本で最初に展示された恐竜の骨格標本は、科博のアロサウルスで、その時期は戦後も戦後、昭和39年(1964)だそうです。意外に遅かったんだな、という気がします。ましてや戦前の子どもたちにとって、恐竜は遠い憧れでしかなかったわけですね。

余談ですが、検索の過程で、このアロサウルスの骨格がインベーダーに盗まれて、怪獣アロザとして復活、ミラーマンを苦しめた…というエピソードを知りました(1972年放映、ミラーマン第18話)。当時の子どもたちにとって、科博の恐竜がいかにポピュラーな存在だったか伺える話です。(…と他人事のように書いていますが、まあ、そのポピュラーさの記憶が残っているので、私は1964年という公開年を意外に遅いと感じたのでしょう。ちなみにミラーマンのこの話は、全く記憶にありません。見てたはずなんですけどね。)


■参考:ウィキペディア「アロサウルス」の項より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B9

「国立科学博物館にはアロサウルスの全身骨格が収蔵されているが、
これはジェームズ・マドセンがクリーブランド・ロイド発掘地より収集した
実物化石である。

化石の発掘を依頼、資金提供を行ったのは戦前および戦後にアメリカ
でホテル経営を行っていた日本人・小川勇吉であった。小川はモリソン
層で産出する化石に強い興味を抱いており、その古生物学への情熱が
日本の子供達のためにアロサウルスの全身骨格を入手するという目標
に結びついた。結果的にマドセンのチームが発掘・復元に成功した骨
格が国立科学博物館に寄贈された。

この標本は1964年に公開され、日本初の恐竜の全身復元骨格として
注目を集めた。その後国立科学博物館上野本館(現・日本館)において
常設展示されていたが、2004年以降収蔵品扱いとなり、特別なイベント
時にしか公開されていないようである。」


(ちょっと話が横道にそれました。次回は機械モノの部屋を見に行きます。)