江戸の人は望遠鏡で南極大陸を見た…か?2011年01月02日 09時41分16秒

(↑Moon eclipse 1999 in Belgium (c) Luc Viatour:ウィキメディアコモンズより)


正月なので、記事の方はのんびり進めることにして、『星恋』の続きは明日に回します。

以下、ごく渋い記事ですが、常連コメンテーターのS.U氏から複数の記事にお寄せいただいたコメントを整理しておきます。自分自身へのメモとしてはもちろん、他にも興味を持っていただける方がいらっしゃると思いますので。

内容は、江戸時代の半ばに西洋天文学を咀嚼し、独自の論も加えて大いに気を吐いた鬼才・麻田剛立(あさだごうりゅう;1734-1799)が、月食のときに月に落ちる地球の影を見て、南極大陸の存在を察知したと言うのは本当か?という話題。

なお、当然ながらS.U氏の文章の著作権は同氏にありますので、引用・参照にあたってはご留意願います。もちろんブログの管理人といえども、寄せられたコメントを恣意的に転載・流用することは許されないと思いますが、そこはS.Uさんとの信頼関係がありますので…(あるはず・笑)。


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※以下、〔 〕内は引用にあたって、管理人が注記したものです。また明らかな誤字は訂正しました。

■2010年12月28日付の記事に対するS.U氏コメントと管理人のレス
http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/12/28/5613840

◆S.U氏◆
〔前略〕 麻田剛立にも、月食中の月面に落ちた地球の影のかたちから南極大陸の存在を確認した、というエピソードがあり、現在でも、これをポジティブな観測結果として賞賛したものが多々あります。〔後略〕

◆管理人◆
〔前略〕 麻田剛立と南極大陸のエピソードは寡聞にして知りませんでした。
万里の波頭を越えずとも、居ながらにして南極の山谷を知る。
その発想は素敵ですね。〔三浦〕梅園が驚倒したのも分かります。

でも、それが不可能なことは、頭で考えても、実際に月食の際の地球の影を観察しても容易に分かりそうなものですが、なぜ剛立はそれができる(できた)と思ったのでしょうか、その点がいかにも不思議です。

〔三浦梅園の〕『帰山録』に引用された剛立の書簡〔注〕を読むと(文意の取れない所もありますが)、月食の時刻を観測すると、地球を真円と仮定した場合に比べて数秒の増減があることから、地形の凹凸が窺い知れるのだ…という理屈でしょうか。でも、月食の接触時刻や食甚時刻の決定は、当時にあっては(今でも)難中の難で、剛立もそのことは熟知していたはずですが、実は熟知していなかったとか…? 〔後略〕

〔注: 中村学園大学図書館の以下のサイトで閲覧できます。剛立の書簡は、ページ左欄に付けられたしおりから、「帰山録 下」の「麻田剛立の手紙(南極その他)」という箇所を見て下さい。http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/e-lib/kizan/kizan.pdf

◆S.U氏◆
>麻田剛立と南極大陸のエピソード
 お調べありがとうございます。梅園がこの説を知ったのは長崎旅行の時(1778年)だったわけですね。

 私は、この件の剛立の観測記録を見た記憶はないので、実際の状況はわかりませんが、剛立は若い頃から月食観測をして暦算の実証の研究をしていましたから、ご指摘の通り、その時刻測定が難しかしいことは熟知していたはずです。確かに、剛立にしては?という印象です。

 ところで、梅園の言う「分秒」は角度の単位だと考えます。地球の凹凸が数秒角ならば、地球影の視直径約2度に対して1/1000のオーダーになります。現代からみると多少の過大評価ですがケタ違いではないです。このへんは地理好きの梅園が計算をチェックできたのだと思います。

 これに加えて、剛立は、南極部分の地球の影のヘリが、影に向かって進行する月に対して斜めの角度でかかるなら時刻測定による観測精度が上がるという効果を考えたのかもしれません。幾何学的な状況によっては時刻で30秒、あるいは1分以上の違いが出ることも原理的にはありえます。梅園は数学の計算を理解しなかったので、ここまでの記述を彼に求めることは無理ですが、剛立ならそれなりの計算はしたものと思います。(ほんとうは、いずれにしても影の縁がぼやけているので、最終的に有効な精度はほとんど改善しないでしょうが)

 以上はまったくもって私の想像ですから、ご参考程度にお願いします。 〔後略〕

◆管理人◆
〔前略〕
>梅園の言う「分秒」は角度の単位だと考えます。
あ、なるほど。

>幾何学的な状況によっては時刻で30秒、あるいは1分以上の違いが出ることも原理的にはありえます。
それぐらいの時間オーダーならば、検出できてもおかしくない、と剛立が考えたとすれば、理屈は通りますね。でも、実際に試みてどうだったんでしょう。〔後略〕

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■2011年1月1日付の記事に対するS.U氏のコメント
http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/01/01/5619328

〔前略〕 渡辺敏夫氏の『近世日本科学史と麻田剛立』によると『帰山録』以外の情報として、三浦梅園の孫弟子の帆足万里のそのまた弟子の勝田之徳の『窮理小言』に具体的な数値がでているということです。それには、

「麻田剛立曰、地球亜細亜〔アジア〕墨瓦蝋泥加〔メガラニカ〕二洲最大其洲中央値最高、故月食時、二洲中央所映処微凸不円、今按亜細亜唐氷山等地最高、若高於海面二十里許、相当十二三秒、此以正映時而言、斜即減少也」

とあり、剛立の数値として、地球の高山(唐氷山はヒマラヤか)は海抜20里もあってよいと考えるならば、月食で観測にかかっても良いかもしれません。80kmの出っ張りなら地球影で30秒角くらいにはなりますので「相当十二三秒」は多少数値があいません。

 次にこの月食がいつの月食かですが、剛立の観測記録「麻田家両食実測」を見るに、1778年以前で、剛立と片岡直次郎の実測が載っている月食で該当しそうなものは、1775年閏12月15日(新暦では1776年2月4日)だけです。これは地球影のほぼ中央を通った皆既食で、特に南極部分が月に斜めかかった現象ではなかったようです。剛立の観測記録はおもに観測数値しか書かれていないので、彼の考えたことはわかりません。

 「墨瓦蝋泥加洲」というのは、現在のオーストラリア大陸を含む仮想的なかなり広い大陸だったので、けっこう南半球の低緯度まで伸びていると思っていたのかもしれません。

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どうでしょう、語り出すとどんどんディープになって行きますが、天文学史の周辺には十分語られざる話題がまだまだ多いのです。そして、いずれも滋味豊かです。

上で記したように、実際には無理だとしても、「望遠鏡で月食を観測すれば、そこに遥か異国の高山が見えるはずだ!」というのは理論的には筋が通っています。そのことを思い付いたときの剛立翁の胸の高鳴りやいかに。その興奮がこちらにも伝わって来るようです。

天文学史とは、一面では人間の想像力の歴史でもありますね。
星と人との関わりは本当に興味深いと改めて思います。

(なお、この話題、今後追加情報があれば、随時この記事に追記していきます。)