あるヴンダー趣味の徒の述懐…「ノーチラス」再訪2011年12月25日 21時21分06秒



以下、black-poolさん(http://black-pool.tumblr.com/)経由の情報です。

以前「世界のヴンダーショップ」と題してご紹介した、イタリアはトリノにある、
ノーチラス」(http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/11/22/5527067)。
ここがますます訳の分からないヴンダーな空間になっているようです。

ソースは以下のページ。

上記の記事を、ずっと下の方までスクロールすると、店内近影がずらっと紹介されています。 【12月26日付記: 上記にアクセスできない場合は、こちらのflickrページでも画像を見ることができます。ただし、ノーチラス以外の画像もまじっています。】
もう何と表現していいのか分かりませんが、とにかくすごいです。現代のヴンダーカンマーの理想形の1つかもしれません。私の目指す理科室趣味とは、いくぶん(というか、かなり)ズレますが、興味深い空間であることは間違いありません。

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ノーチラスは、AlessandroさんとFaustoさんという2人の男性が共同経営しているのですが、上記記事には、そのうちの1人、アレッサンドロさんへのインタビューが掲載されています。

私はイタリアに行けば、こういう奇怪な店がごろごろあるのかと思っていましたが、どうもインタビューを読むと、なんぼイタリアでも、誰もが怪奇趣味に染まっているわけではなくて、ノーチラスはイタリアでもやっぱり「変な店」であることに変わりはないそうです(当り前か)。

そして、このやりとりの中には、ノーチラス誕生のエピソードに加えて、現代における、ひとりのヴンダー趣味の徒の真情(そのヴンダー観やコレクション観)が見事に語られていると思うので、以下勝手訳で恐縮ですが、インタビューの内容を切り張りして、適当訳してみました。

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(ノーチラスはいったいどのようにして誕生したのですか?)

「この店の歴史は2005年に幕を開けました。その年、我々は自らの夢を実現しようと心に決め、自分たちのコレクションをじっくりと味わい、他のヴンダーカンマー好きの人々とそれを共有できるような場として、この私的ヴンダーカンマーをオープンしたのです。

私はモノ集めが大好きで、子どものころから、カードやら、ビンのふたやら、シールやら、あるいはあらゆる蚤の市に出かけては、目に付く限りの、ありとあらゆるガラクタを集めてきました。それがある日、木製のステレオスコープを見つけたことがきっかけで、自分の内にある、古い医療機器への愛好癖を自覚し、この嗜好が後に科学の歴史のあらゆる側面に及ぶことになったのです。

ファウストのたどった道も、私のと似たり寄ったりですが、彼のほうが一枚上手です。何せ10歳のころには、自宅のガレージで、ミリタリーグッズから成る「驚異の部屋」の展示会を開き、料金を取って友達に見せていたぐらいですから。」

(商売人である以前に、あなたは何よりもコレクターだというわけですね。ご自分がなぜ蒐集をするのか、考えられたことはありますか?コレクターとはいったいどんな人種なのでしょう?)

「ノーチラスは、通常の意味での店舗ではありません。むしろ、普通の店であれば、商売を成功させるためには絶対に避けるべき要素を凝縮したものとさえ言えるでしょう。たとえば、この店はいつも閉まっていますし、売り上げも僅かです(何せお客さんが買うのをためらえば、我々の方も「やめておきなさい」と掻き口説く始末ですから)。売値は日によって変わるし、懐具合や、お客さんの惚れ込みよう、我々の執着の程度によっても変わります。もう無茶苦茶ですね。だから、経営というのは、本当に周辺的な要素なのですが、でも他にやりようがあるのでしょうか?そもそもコレクターというのは、決して物を売ろうとしない人種なのですから。

コレクターの心理については、多くの語るべきことがあります。でも、この難しい質問は心理学者か誰かにお任せしましょう。私自身が完璧だと思うコレクターの定義とは、「年をとった少年 senex puerilis / an “elderly boy”」というものです。まさにコレクターとは、2つの矛盾した側面、すなわち大人の特徴であるシニカルな知恵と、子どもの特徴である驚異を感じ取る能力とを一体化した存在なのです。コレクターは、時の呪いから古きモノを救いだし、それに新しい生命を与えるために、時の流れに抗い、それと戦う存在です。あるいは、それによって自らが永遠不滅の存在に至れると考えているのかもしれませんね。」

(ところで、ノーチラス(オウム貝)という店名を選んだのはなぜですか?この貝と何か関係があるのですか?それとも『海底2万マイル』に登場する、ネモ船長の潜水艦の名前に捧げたものでしょうか?いずれにしても、ノーチラスという名前が、外界からのある種の避難所を意味していることについて、何かお考えになったことは?)

「あなたはノーチラスの核心部分を見事に突かれましたね。我々は、ふたりともジュール・ヴェルヌの小説を読んで育ったので、ノーチラスという店名は、もちろん彼の代表作に捧げたものです。しかし同時に、そこにはこの店の2つの方向性、すなわち科学と太古の自然とが含意されており、前者は潜水艦によって、後者は貝によって象徴されています。そしてノーチラスは、たとえ一時的にせよ、日常生活から逃れて、2万海里のかなたに赴く機会を与えてくれる、ある種の象牙の塔でもあるのです。」

(このお店は、商品がきわめて適切に配置されているのが印象的です。無秩序の中に秩序を感じさせ、醜悪なモノから一種のハーモニーが生まれている、そういう矛盾をはらんだ配置法のように、私には感じられました。お二人は美術史の教育を受けられたのですか?)

「我々は芸術表現ならばどんなものでも好きですが、ただ美術に関する教育を受けたことは全くありません(私自身は電子回路の技術者です)。あなたも気づかれたように、ここにあるモノたちは、どれ1つとして無造作に置かれたものはありません。

この店の基本デザインは、ファウストの前職(彼はヨットのデザイナーでした)の賜物ですが、モノを配置するのは私の仕事で、ご覧のように、私はシンメトリーに強くこだわっています。昔のヴンダーカンマーの典型的な分類法は、私には耐えがたいものです。私はさまざまなモノを配置して、通常ならありえないような、尋常ならざる組み合わせを生み出すのが好きなのです。それによって、モノたちに新しい生命を吹き込み、これまで知られていなかった美を明らかにできればと思っています。」

(ノーチラスを訪問すると、「美」とはいったい何なのか、困惑してしまう人もいるでしょうね。この店には醜悪なもの以外に、恐ろしいものや、嫌悪感を催すもの、気味の悪いものが満ちあふれていますから。これらのモノの、いったいどこが一番気に入っているのですか?あなたにとって、「美」や「醜」とはいったい何なのでしょう?)

「私の美に関する観念は、きわめて古典的かつ伝統的なものです。そして、我々のコレクションに「醜い」モノが含まれていることは否定しませんが、しかし、もしヴンダーカンマーの中に歩み入れば、美醜はもはや考慮に値する価値基準ではありませんヴンダーカンマーが拠って立つ唯一の原理は驚異をもたらすことであり、醜悪さや恐怖をもたらすモノこそ、我々を最も驚かせるものなのです。ちょうど蝋で作られた「解剖学のビーナス」の模型がそうであるように、ときとして美は驚異と混然一体となる場合もありますが、そうなると我々は「崇高さ」について次に議論しなければならなくなるでしょう。」

(あなたがなぜこういったモノを好むのか理解できない、という理由で、あなたの趣味を批判する人も多いと思います。あなたの奇妙な趣味について質問を受けたり、あるいはそのせいで変人扱いされたことはおありですか?)

「ええ、ご想像の通り、そうした質問を受けることは多いです。たぶん、世界には2種類の人間がいるのでしょう。ノーチラスに足を踏み入れる人間と、そうしない人間と。まあ、こういうとちょっと大げさかもしれませんが、実際そうだと思いますよ。

私は確かに奇妙なモノに心を奪われ続けてきましたが、唯一それだけが驚異をもたらすものだというわけではありません。驚異の念を生むには、未知であること、通常とは異なること、予期せぬものであることが必要です。

気味の悪さは、たしかに私のコレクションの一側面ですが、ホルマリン漬けの解剖学標本や胎児のような、きわめて恐ろしい品であっても、私はそこに気味悪さを感じることはありません。個人的に言わせてもらえば、現在の社会がふつうに受け入れている言論の中にこそ、私はいっそう気味の悪い、醜悪なものを感じ取っています。ともあれ、この問題はきわめて個人的な要素が強いものでしょう。

“この場所で過ごすのが怖くないんですか?”と尋ねられることもよくあります。でも、その度に、“私にとっては、この場所を離れることの方が、よっぽど怖ろしいのです”と答えることにしています。いったい本当の変人とは誰なんでしょうね?」