虹のかけら(5)…分光の驚異2014年02月12日 21時17分09秒

19世紀の天文学における「二大事件」といえば、写真術分光学の登場。その重要性は、おそらく17世紀における望遠鏡の発明に匹敵するものでしょう。ヒトはそれによって、遠く微かな天体の正体をたなごころに照らすかのように知る、強大な力を手に入れました。

その当時の熱い息吹をダイレクトに伝えるのが、このHenry Enfield Roscoe の大著、『スペクトル分析について(On Spectrum Analysis)』です(第3版、1873)。



…と知ったかぶりをして書いていますが、例によって中身は読んでいないので、ここでは表紙を飾る美しい虹色の帯を紹介するにとどめます。その虹の帯を横切るたくさんの暗線(吸収スペクトル)にも注目。このパターンこそ分光学の精髄にして、その最大の武器となった「物質の指紋」です。

(恒星と星雲のスペクトル図)

   ★

この本はその後も版を重ねましたが、1885年刊の第4版を見たら、表紙の絵が輝線(発光スペクトル)に置き換わっていて、おや?と思いました。


理由はしかと分かりませんが、当時の装丁家は、このシャープで離散的な線に、一層科学的興趣を感じたのかもしれません。たしかに、これはこれでカッコいいですね。(上の写真は自前ではなく、本屋さんの商品写真の流用です。)

コメント

_ S.U ― 2014年02月13日 21時35分09秒

 光とかスペクトルとか出てきますと、身体の底からうずくものがありますので連発でコメントをさせていただきます。

 ある物質(気体)が光源の手前にあって「暗線」になる場合と、同じ物質が何らかの理由で発光して「輝線」になる場合で、そのスペクトルの場所が同じ、と最初に聞いたときには、なかなかそれが感覚的に理解できませんでした。吸い込むのと出すのとでは正反対なのに、なんで同じ場所なんだろう、と思いました。

 でも、人生経験を踏んだ今では、自然でも人間でも、そんなものだよ、吸い込むのと吐き出すのは同じ場所で当然じゃないか、という気になってきました。

_ 玉青 ― 2014年02月14日 20時37分19秒

>自然でも人間でも、そんなものだよ

おお、これは物理学者らしからぬお言葉。物理の道を極めると、かかる深い境地に達するものでしょうか。(笑)

輝線と暗線の理屈は少しく難解ですが、にわか弁士としては、「何事もネガあればポジ。長所は同時に短所となり、逆もまた真なり。輝線と暗線もまたかくのごとし!」と、張り扇片手に煙に巻きたいところです。ここでさらに声を張り上げて、「およそ光あるところに影がある」云々と、サスケの名調子に持ち込めば、いっそう完璧かも。

_ S.U ― 2014年02月15日 08時00分00秒

>物理の道を極めると
 極めてもいないし人間関係の機微に疎いこともあるのでしょうが、かつての儒者のように「天地に人倫を問う」ようなこともあってよいのではないかと思えてきました。

>長所は同時に短所となり
 まさにその通りですね。暗線・輝線の出る場所は、物質にとっての「経絡秘孔」のようなもので、力を出すも封じるもここから、と考えれば、物理の現象も理解しやすいのではないでしょうか(ぜんぜん理解しやすくないか)。

_ 玉青 ― 2014年02月15日 11時48分26秒

>暗線・輝線の出る場所は、物質にとっての「経絡秘孔」

何だか話がK点越えしてきましたので、記事の方も思い切り飛距離を伸ばしてみました。(^J^)

_ S.U ― 2014年02月16日 10時21分27秒

>話がK点越え
 吹雪ではっきり確認できませんが、どうやら着地で転倒してしまったようです(笑)

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