ピーター・ダンス著 『博物誌』 ― 2015年01月04日 10時06分03秒
昨年、邦訳が出たピーター・ダンスの『博物誌―世界を写すイメージの歴史』(東洋書林)を読んでいます。原著(The Art of Natural History:Animal Illustrators and Their Work)が出たのは1978年ですから、もう40年近くも前です。博物画の歴史に関する概説書としては、既に古典と言っていいかもしれません。
(背後は大判の原著。原著もいいですが、信頼できる翻訳があればなお良いもの…)
邦訳に書かれた著者紹介はごく簡略なので、それより心持ち詳細な、原著に書かれた1978年当時の紹介文を掲げておきます。
(S.ピーター・ダンス。The Art of Natural Historyより)
「S. Peter Dance は、貝類とその蒐集に関して、世界的な著述家の一人である。古書籍と水彩画の販売を手がける以前、長年にわたってロンドンの大英博物館(自然史部門)やマンチェスター博物館、あるいはカーディフの国立ウェールズ博物館に勤務し、これまでアメリカとオーストラリアでの講演旅行を行うとともに、大西洋の両岸でテレビ・ラジオ出演を果たした。約15編の科学論文の著者であり、7冊の本がアメリカとイギリスで出版されている。」
今回、記事を書くにあたり、著者のダンスについて改めて検索したのですが、意外なことに、現在、英語版ウィキペディアには該当項目がありませんでした。なぜかフランス語版には記載があって、それも「Stanley Peter Dance(1932-)は軟体動物学者にして、科学史家である」という1行のみ。その冷遇ぶりが目に付きますが、そっち方面の事情に暗いので真相は不明です。基本的に在野の人という点が影響しているのでしょうか。
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博物画と言っても、本書が取り上げるのはもっぱら動物画で、植物画や鉱物画は扱われていません。
記述は、石器時代の壁画から説き起こし、エジプトやギリシャ・ローマを経て、ヨーロッパで博物画が成立・発展する過程をたどる内容となっていますが、テーマの特殊性からして、自ずと見慣れない固有名詞のオンパレードになることは避けがたく、通読するだけでも結構骨が折れます。
もちろんそれは私の無知のせいですが、元々コーヒーテーブル・ブック(日本でいうムック的ビジュアル本)に近い性格の本なので、ここはあまり「お勉強」にこだわらず、多彩な図版に目を留めて、ひたすら唸る…ということで十分なのかもしれません。
「資料編」と銘打って、18~19世紀の博物画の優品をずらり掲げた、冒頭60頁に及ぶカラー図版は、本書最大の見所で、それに続く本文(「解説篇」)中にも、300点を超えるモノクロ図版が挿入されており、博物画のイメージを感覚的につかむには格好の本です。
(本書目次より)
良くも悪くも、日本における「博物画の見方」は“荒俣色”が強いので、それ以外の人の意見を聞くというだけでも、意味があると思います。
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というわけで、内容理解は心もとないのですが、この本をぜひ読んでみたかったのは、翻訳を手がけられたのが、尊敬する「虫屋」の奥本大三郎氏だったからです。そしてまた、巻末の「訳者あとがき」は、博物画に関する私的エッセイとして、本文よりもいっそう共感を覚えました。
その中に、以下のような「おや?」と思う文章がありました。
「やがて私が長ずるに及んで西洋の博物書などを少しずつ目にするようになると〔…〕
そうなるともっと知りたい。しかしそうした絵入りの豪華な博物書は日本ではあまり紹介されてもいないし、それを所持する人は私の周りにはいなかった。学校に行くついでに通ったのは東大の総合図書館であったが、私の探すような本はほとんどない。『ファーブル昆虫記』〔…〕の原書などはないし、外国産昆虫の図鑑などもまったくない。それは農学部の図書館でも同じことで、当時(も今も)世界最大の蝶、蛾の図鑑として有名であり、コレクターにとっては基本文献とも言うべき、ザイツの『世界大型鱗翅類図鑑』〔…〕でさえ、一冊も揃えられてはいなかった。」
そうなるともっと知りたい。しかしそうした絵入りの豪華な博物書は日本ではあまり紹介されてもいないし、それを所持する人は私の周りにはいなかった。学校に行くついでに通ったのは東大の総合図書館であったが、私の探すような本はほとんどない。『ファーブル昆虫記』〔…〕の原書などはないし、外国産昆虫の図鑑などもまったくない。それは農学部の図書館でも同じことで、当時(も今も)世界最大の蝶、蛾の図鑑として有名であり、コレクターにとっては基本文献とも言うべき、ザイツの『世界大型鱗翅類図鑑』〔…〕でさえ、一冊も揃えられてはいなかった。」
インターメディアテクの展示に幻惑された者としては、書物にしても、標本にしても、東大には明治以来のお宝がザクザクあると信じていたので、これは意外な―すこぶる意外な―事実です。(ちなみに、1944年生まれの奥本氏が言うところの学生時代ですから、これはおそらく1960年代後半の状況でしょう。)
ただ、奥本氏はそのすぐ後で種明かしをして、
「しかし、自分も大学の教員になってからわかったのだが、そういうものが読みたければ自分で買うべきなのであって、いわゆる公費で買ってはいけない、という空気があるのだ。
実用からは程遠くて古臭い、おまけに高価な博物書などを買うのはもっての他というわけである。」
実用からは程遠くて古臭い、おまけに高価な博物書などを買うのはもっての他というわけである。」
と書かれています。荒俣宏氏が、後に『図鑑の博物誌』を書くきっかけとなったのは、本郷の古本屋で、古い西洋の博物学書を何冊か掘り出された経験でしたが、なるほど、それは過去の碩学が自腹で購入し、手元に置いていたものが、死後古書肆の手に渡ったものであり、そのことと大学の蔵書が相対的に貧弱であることは表裏一体なのだな…と、ようやく合点が行きました。
そして、奥本氏はこう結論付けます。
「いずれにせよ日本にいて古い豪華本を楽しもうと思ったら、巨人、荒俣宏さんや本のグルマン、鹿島茂さんのように自分で買ってしまうのがいちばんである。」
同じことは、荒俣氏や鹿島氏自身もどこかで書かれていました。残念ですが、これが今も変わらぬ真理、あるいは現実なのでしょう。
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なんだか本の紹介を全然せずに、周辺的なことばかり書いていますが、こういう本を読むと、博物学書もやっぱりいいなと思います。もちろんダンスが取り上げるような名品とは一生縁がないでしょうが、19世紀後半の大量印刷本にも、愛すべき佳品がいろいろあるのは天文古書もいっしょで、そういう本をこれからもポツポツ買えたらいいなと思います。
「見たい、知りたい―なにはばかることのない好奇心の結晶とも言える博物誌は、現代の百科図鑑の原型でもあって、その美しい挿画のゆえに、今もって色褪せない魅力を放っているのである。」 (「訳者あとがき」より)
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