天空の色彩学(その2)…カテゴリー縦覧:恒星編2015年03月26日 21時24分48秒

天空色彩学の大御所、ウィリアム・ヘンリー・スミス(Willam Henry Smyth 1788-1865)。彼は歴とした海軍将校でしたから、「スミス提督(Admiral Smyth)」とも尊称されます。

彼は海軍で水路測量を経験していたので、天文学の基礎はもとより熟知していましたし、若い頃軍務でシチリアに駐留していたとき、カトリック僧にして天文家であった、ジュゼッペ・ピアッツィと親交を結び、また陸に上がってからは、ジョン・リー(Dr John Lee 1783-1866)という、これまた天文趣味に深く染まっていた弁護士と刺激し合って、後半生は星の世界にすっかりのめり込んで暮らしました。(そして息子である、ピアッジ・スミスは、後にプロの天文学者になりました。参照:http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/06/05/


その彼が書いた1冊の本。彼の最晩年、1864年に出たものです。


三ツ星の下に「Colours of Double-Stars」の文字が見えます。
ただし、これは正式な書名ではなく、タイトルページに書かれた題名は…


『Sideral Chromatics』、すなわちズバリ『天空の色彩学』という意味です。

その後に続く副題は、「多重星の色彩に関する『ベッドフォード天体一覧』及び『ハートウェル続集』からの抜き刷り及び付録」というもので、この本はスミスの既刊の著書から、多重星(主に二重星)の色彩についての章節を抜き出して、一冊に編纂し直したものです。

スミスはイングランド中部のベッドフォードに「ハートウェル・ハウス」という邸宅を構え、そこで観測を行ったので、『ベッドフォード天体一覧』(1844)と、『ハートウェル続集』(1860)という書名は、それにちなみます。(なお、スミスの有名な二重星目録「ベッドフォードカタログ」は、『ベッドフォード天体一覧』の第2巻がそれに当たり、レイモが引用したスミスの饒舌な色彩表現も、主にこのベッドフォードカタログに由来します。)

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ここで、スミスの弁護のために書いておくと、彼は気まぐれなロマンチシズムから、「クロッカス」や「薔薇」を登場させたわけではなく、星の色というヒトの視覚で捉え得る、ギリギリ境界線上にある対象を、何とか正確に捉えようとして、こういう表現を編み出したということです。

彼は星の色がいかに捉えがたいものであるか、それは空の条件によっても、見る人の特性によっても(色覚異常は当時すでに知られていました)、望遠鏡の光学特性によっても、左右されるものであることをよく知っていました。

この『天空の色彩学』は、スミスの死の前年、1864年に出たもので、その序文は天体観測の盟友であるジョン・リー博士への書簡という体裁をとっています。間もなく喜寿を迎える、この老観測家(スミス)は、自分よりもさらに5つ年上の親友に向かって、彼らがたどってきた天空色彩学の歩みを振り返りつつ、当時発見されたばかりの新元素タリウムが発する緑色スペクトルに言及し、新たな科学分野である「分光学」が、天空色彩学の分野でも見事な成果を挙げつつあることを、依然衰えぬ知的好奇心で熱心に綴っています。

スミスはアマチュアの立場とはいえ、その心は科学者であり、より正確な色彩表現を求めて試行錯誤していたことが、この『天空色彩学』を読むと伝わってきます。

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…と書いたところで、早々と白旗を掲げておくと、この18世紀生まれの提督の文章は、私の拙い英語力には余るものがあって、パラパラ読んでも、正直よく分かりませんでした。上に書いたことも、以下に書くことも、(スミスに劣らぬ)想像力を駆使して書きなぐっているので、もし事実誤認があったらご免なさい(泉下の提督にも予め謝っておきます)。

(長くなりそうなので、いったんここで記事を割ります。この項つづく)