「星を売る店」の神戸(4) ― 2015年06月13日 10時40分58秒
(今日は2連投です。以下、前の記事の続き)
私は「星を売る店」は非常に技巧的な作品だと思います。
そこには、ストーリーと無関係なように見えて、実は全体を象徴する「或るもの」が繰り返し顔を出します。それは即ち「マジック」です。
「私」は散歩を始めるとすぐに、シガレットを使った手品のことを思い出します。
Tという男が、いったいどこで覚えたのか、ポケットに入れた紙箱の中から寸秒のあいだにタバコを抜き取る。先日私が湊川新開地の入口でスターを二箇買って、その一つをかれに手渡した時、奴さん、もうその中の一本を口に咥えている!〔…〕先生、「奇術すなわち練習なり」とか何とか云って、再びポケットに手を入れたと思ったら、さらに一本、蠟引きの吸口をつけてまで取り出した。
「私」もそれを真似て、その後何度も練習するのですが、どうも上手くいきません。この日も散歩しながら、ポケットの中でゴソゴソやってみますが、てんでダメです。
トアロード沿いに坂を下った「私」は、さらにチャイナクォーター(南京町)の小路で、中国人の大道芸を見物します。
トアロード沿いに坂を下った「私」は、さらにチャイナクォーター(南京町)の小路で、中国人の大道芸を見物します。
…華人があぐらをかいて、色のはげた赤毛布の上に皿を三つならべていた。
「一二三!」と声をかけて、伏せてある皿をのけると、下には黒いつぶが数個ずつおいてある。「ほいッ!」とつぶをひとまとめに皿の下に入れて、他の皿も同様に左右に伏せた。一二三でまんなかの皿をのけると、そこは何にもなく、ヤッと左右の皿を取ると、つぶはちゃんと四箇ずつに分れて現れた。
「一二三!」と声をかけて、伏せてある皿をのけると、下には黒いつぶが数個ずつおいてある。「ほいッ!」とつぶをひとまとめに皿の下に入れて、他の皿も同様に左右に伏せた。一二三でまんなかの皿をのけると、そこは何にもなく、ヤッと左右の皿を取ると、つぶはちゃんと四箇ずつに分れて現れた。
その後、この中国人は小さな蛇を鼻孔から押し込んで、口から出すという芸を披露したすえに「イノチガケ、イノチガケ」とアピールして、観客からお代を求めます。
もちろん、これは命懸けなどという代物ではなく、至極他愛ない芸なのですが、そうした他愛なさは、煙草抜きにも、豆粒の移動にも共通しています。なぜ作者がそんなことに字数を費やすのか、不思議なぐらいですが、そこに足穂の冷静な計算があるのでしょう。
(すずらん灯が並木のように続く夜の元町通。昭和戦前の絵葉書。繁華なはずなのに、妙に森閑としています。)
「私」は、ここで友人のNと出会います。Nは歩きながら、盛んに話しかけます。
このあいだ君の創作をよんだよ。―ありゃ面白い。出たらめをかいて小づかいが取れるっていうから、愉快な話さ。あれをよんで、神戸にそんな事件があったかナ、と云っていた奴がいたぜ。
この「創作」が、前年(大正11年、1922)発表した「星を造る人」を指すことは明らかでしょう。これは世界的魔術師・シクハード氏が、神戸上空に無数の星を飛ばせる畢生の魔術を披露し、神戸の街を大混乱に陥れるというファンタジーでした。
この箇所には、3人のマジシャンが登場します。
まずは「スターメーカー」の異名をとる、シクハード氏。
そして、そんな「出たらめ」をパッと金銭に換える、イナガキタルホ。
さらに、そうしたエピソードを織り込んで、「星を売る店」というフィクションにリアリティを与え、読者に背負い投げを喰らわせようと企む作家、稲垣足穂。
そして、そんな「出たらめ」をパッと金銭に換える、イナガキタルホ。
さらに、そうしたエピソードを織り込んで、「星を売る店」というフィクションにリアリティを与え、読者に背負い投げを喰らわせようと企む作家、稲垣足穂。
自己作品への言及、繰り返し起こる視点の転換、世界の複雑な入れ子構造。
それによって、読者はすっかり足穂の術中にはまってしまいます。
歩きながら「私」が、Tの煙草抜きの件を持ち出すと、Nは一笑に付します。
それによって、読者はすっかり足穂の術中にはまってしまいます。
歩きながら「私」が、Tの煙草抜きの件を持ち出すと、Nは一笑に付します。
全神戸に唯一つの謎あり、それは余輩(わがはい)のタバコ抜きなり、なんてぬかしているが、あれにはしごく簡単なたねがあるんだ。本当に箱から抜くんじゃないとおれは睨んどる。べらぼう奴(め)、それにきまっているじゃねえか。〔…〕真に受ける奴の方がどうかしている。
この「T」は無論タルホ自身のことでしょう。
すなわち、作者・足穂は「星店」の世界において「私」と「T」に分離し、自らをだますと同時に、読者をもだまし、そして「真に受ける奴の方がどうかしている」と、ニヤリとして見せるわけです。何と小憎らしい男でしょうか。しかし、読者はその「イノチガケ」の口上に、喜んで投げ銭をしてしまう…。
すなわち、作者・足穂は「星店」の世界において「私」と「T」に分離し、自らをだますと同時に、読者をもだまし、そして「真に受ける奴の方がどうかしている」と、ニヤリとして見せるわけです。何と小憎らしい男でしょうか。しかし、読者はその「イノチガケ」の口上に、喜んで投げ銭をしてしまう…。
★
他にも、この作品にはいろいろと仕掛けが施されている気がしますが、それはまたその都度振り返ることにします。
ちょっと作品論めいた話になったので、ここで時計の針を戻して、再び「私」とともに、往時の神戸散歩を続けます。
(この項つづく)
コメント
_ S.U ― 2015年06月14日 11時48分59秒
タルホの「明石もの」、「学園もの」、「科学技術史もの」は、だいたい史実をたどって書かれていますが、このへんの神戸ものだけは、ハッタリで、それも人を騙してやろうという意図が働いていて、面白いですね。
_ 玉青 ― 2015年06月14日 15時35分58秒
神戸ものは油断がならんですよね。
そもそも「星店」の発想源は神戸ではなしに、(我がふるさとである)早稲田鶴巻町あたりの時計屋の店先の光景だった…なんて聞くと、とても他人事とは思えないのですが、これも作者一流の韜晦かもしれず、もう何が何やらという感じです。
そもそも「星店」の発想源は神戸ではなしに、(我がふるさとである)早稲田鶴巻町あたりの時計屋の店先の光景だった…なんて聞くと、とても他人事とは思えないのですが、これも作者一流の韜晦かもしれず、もう何が何やらという感じです。
_ S.U ― 2015年06月15日 10時31分23秒
.>鶴巻町
へぇ、そうなんですか。それは、自分で書いているのでしょうか。
そうなら、1921~22年にそういうところを訪れたのでしょうか。
へぇ、そうなんですか。それは、自分で書いているのでしょうか。
そうなら、1921~22年にそういうところを訪れたのでしょうか。
_ 玉青 ― 2015年06月15日 20時02分29秒
こないだ買った新潮文庫版『一千一秒物語』の巻末解説を見ていたら、典拠がどうもはっきりしませんが、「足穂によると、「ある晩、早稲田鶴巻町から矢来に向う途中の時計屋の飾窓に光りすぎるものがあり、近寄って眺めた硝子の内部の懐中時計が星であったらと考えた」気持ちと結合させていたのである」云々とありました(筆者は松村実氏)。
年譜と突き合わせると、これは大正10年9月、佐藤春夫の誘いで上京し、ひと月ばかり鶴巻町の衣巻省三宅に居候していたときのエピソードのようです。
年譜と突き合わせると、これは大正10年9月、佐藤春夫の誘いで上京し、ひと月ばかり鶴巻町の衣巻省三宅に居候していたときのエピソードのようです。
_ chanson dada ― 2015年06月15日 21時32分41秒
気になってまた覗いてしまいました。
「鶴巻町の時計屋」云々の文章は、67年2月に「作家」に発表した「「ヰタ・マキニカリス」注解」に含まれるもので、「もしもこの時計が星だったらと考えた。」の後に続けて、「この次第と、神戸三ノ宮山手の夕暮のムードとを結合したのである。」と書いています。なので、鶴巻町の時計屋で得た想念から、神戸三ノ宮山手のムードを思い出し「星を売る店」の着想を得たというのが正しいでしょう。
度々、失礼致しました。
「鶴巻町の時計屋」云々の文章は、67年2月に「作家」に発表した「「ヰタ・マキニカリス」注解」に含まれるもので、「もしもこの時計が星だったらと考えた。」の後に続けて、「この次第と、神戸三ノ宮山手の夕暮のムードとを結合したのである。」と書いています。なので、鶴巻町の時計屋で得た想念から、神戸三ノ宮山手のムードを思い出し「星を売る店」の着想を得たというのが正しいでしょう。
度々、失礼致しました。
_ S.U ― 2015年06月16日 19時45分34秒
玉青様、chanson dada様、
典拠のご紹介ありがとうございます。タルホは、年取ってから自叙伝的注解を書いているところが偉いです。普通の人だったら俗物的所業になりそうなのですが、そうならないのがタルホの強みですね。
鶴巻町には今もけったいなビルがありますね。
大正10年ごろ、時計屋、東京でふらふらというと、同時期の構想だったであろうジョバンニの店を連想してしまいます。賢治は妹の死がありましたのでもっとシビアだったと思いますが、タルホも飛行家の夢を絶たれて文学で行けるか帰郷中に考えるところが彼なりにあったでしょう。
タルホは自分の将来を、若いときに童話を1冊だけ出した時計屋のじいさんに喩えたことがありました。いろいろと符合がありそうです。「銀鉄」の成立上、賢治がタルホ作品の載った「中央公論」を読んだ可能性も考えるべきなのでしょうか。
典拠のご紹介ありがとうございます。タルホは、年取ってから自叙伝的注解を書いているところが偉いです。普通の人だったら俗物的所業になりそうなのですが、そうならないのがタルホの強みですね。
鶴巻町には今もけったいなビルがありますね。
大正10年ごろ、時計屋、東京でふらふらというと、同時期の構想だったであろうジョバンニの店を連想してしまいます。賢治は妹の死がありましたのでもっとシビアだったと思いますが、タルホも飛行家の夢を絶たれて文学で行けるか帰郷中に考えるところが彼なりにあったでしょう。
タルホは自分の将来を、若いときに童話を1冊だけ出した時計屋のじいさんに喩えたことがありました。いろいろと符合がありそうです。「銀鉄」の成立上、賢治がタルホ作品の載った「中央公論」を読んだ可能性も考えるべきなのでしょうか。
_ 玉青 ― 2015年06月16日 22時16分30秒
○chanson dadaさま
重ねてご教示ありがとうございます。
何と最初に執筆してから45年後の回想というわけですね。足穂にとってはよほど印象深い体験だったのでしょう。そしてそれを地元の神戸の景観に引き付けて考えたということは、当時の彼には故郷を離れた心細さが多少あったのかもしれませんね。
おかげさまで、ハヤカワ文庫も無事届きました。
文章の彫琢という点では、やはり現行の形態に軍配を上げたいと思いますが、初出形態にはその分初々しさが出ているように思いました。まあ、あそこまで手を入れると、いっそ別作品と捉えたほうが適切かもしれませんが、今後記事の中で折に触れて言及したいと思います。
○S.Uさま
>賢治がタルホ作品の載った「中央公論」を読んだ可能性
夕暮れの町に明るく光るショーウィンドウ、列車(足穂の場合はボギー電車)から眺めるファンタジックな光景、円形のレールを走る玩具の汽車への言及、西洋経由のオリエンタリズムへの憧憬、そして星と直接触れ合うというアイデア…。
たしかに両者には重ねて考えられる点が多いですね。答は永久に謎かもしれませんが、そう想像することは興味深く、また楽しいことです。
重ねてご教示ありがとうございます。
何と最初に執筆してから45年後の回想というわけですね。足穂にとってはよほど印象深い体験だったのでしょう。そしてそれを地元の神戸の景観に引き付けて考えたということは、当時の彼には故郷を離れた心細さが多少あったのかもしれませんね。
おかげさまで、ハヤカワ文庫も無事届きました。
文章の彫琢という点では、やはり現行の形態に軍配を上げたいと思いますが、初出形態にはその分初々しさが出ているように思いました。まあ、あそこまで手を入れると、いっそ別作品と捉えたほうが適切かもしれませんが、今後記事の中で折に触れて言及したいと思います。
○S.Uさま
>賢治がタルホ作品の載った「中央公論」を読んだ可能性
夕暮れの町に明るく光るショーウィンドウ、列車(足穂の場合はボギー電車)から眺めるファンタジックな光景、円形のレールを走る玩具の汽車への言及、西洋経由のオリエンタリズムへの憧憬、そして星と直接触れ合うというアイデア…。
たしかに両者には重ねて考えられる点が多いですね。答は永久に謎かもしれませんが、そう想像することは興味深く、また楽しいことです。
_ 蛍以下 ― 2015年06月17日 02時12分11秒
足穂ほどではないにせよ、賢治も改訂する人でしたね。
当時の作家は、改訂するというのが当たり前だったのでしょうか。
例外的な事だとすれば2人の共通点の一つに数えてもいいのかなと思いました。
完成型を目指す作家の意図をよそに、アーキタイプ(原型)に惹かれるオタク心は抑えきれません。私も初出版をいつか読みたいです。
当時の作家は、改訂するというのが当たり前だったのでしょうか。
例外的な事だとすれば2人の共通点の一つに数えてもいいのかなと思いました。
完成型を目指す作家の意図をよそに、アーキタイプ(原型)に惹かれるオタク心は抑えきれません。私も初出版をいつか読みたいです。
_ 玉青 ― 2015年06月18日 07時17分04秒
「銀河鉄道の夜」の変遷は興味深いですね。あれも初期と後期とでは別作品と思えるぐらいです。いったん作品として完成に近づいても、気に入らなければ、プロットにまで大ナタを振るって最初から書き直す…というのは、造形作家にもそういう人がいますが(鬼のような形相で自作を叩き壊す陶芸家とか)、そういう点で、たしかに足穂と賢治は似た資質の持ち主だったかもしれませんね。
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